第54話 絶対なる死

◆◇◇◇◇◇



 目を覚ますと太陽が高く昇っており、もう昼を過ぎているようだった。

 ……授業は!?

 時計を見ると既に午後の13時を回っていた。

 焦ってベッドから降りると、足に力が入らず倒れ込んでしまった。


「おい! 大丈夫か!?」

「あるじ!!」


 声のした方を見上げるとベッドの上から2匹の黒猫が心配した表情で覗き込んでいた。

 なんか過保護な親に心配をかける子供のような気分にさいなまれる。


「大丈夫、足がもつれただけだから。それよりも授業が……」


 僕が焦りながら話すとレオニスが口を開いた。


「アーネンとかいう教師が来て今日はゆっくり休ませてあげてと言ってたぜ」


 レオニスの話を聞いて、再度時計に目をやった。

 もうすぐ5限目が始まる時間だ、こんな状態で実技授業を受けても邪魔になるだけかも知れない。

 スピカがピョンとベッドから僕の頭上に飛び乗る。


「トイレは大丈夫か? 腹は減って無いか? 大丈夫そうならもうちょい寝てろ」


 そう言いながら、僕の頭をペシペシと叩く。

 スピカのヤツ、いつからこんなに過保護になったんだ?

 少し弱っているとはいえ、心配し過ぎだろう。


「……わかった、もう少し寝るよ」


 僕は促されるままベッドに戻り、目を瞑った。

 ・

 ・

 ・



 ……どのくらい寝ていただろう。

 不意に誰かの話声が薄っすらと聞こえてきた。


「クリストフの話では、アルテナ国で最年少…13歳の神皇が誕生したそうです」


「長らく空席だった神皇がついに現れたんだね」


 聞き覚えの有る男性と女性の声を聞き、そこで僕は目を覚ました。

 部屋にはアーネン先生とクーヤ、そして同期生の男性と女性がイスに腰掛けており、ベッドの脇にスピカとレオニスが寝ていた。


 男性は金髪をオールバックに纏め、冷たさを感じさせる目付きで僕の方を見つめている。

 同期生で学級長を務めている…名前は確かアルフィオ君だったかな?

 座学成績や魔法スペルの実技に関しても他の生徒を寄せ付けない実力を持ち、クラスの中心人物的な存在だ。


 もう1人、赤茶けた髪色の女性はアルフィオ君の対面に座り、手には厚手の書物を開いていた。

 彼女は同じクラスの生徒だったと記憶しているが目立たない存在の為、名前自体を憶えていなかった。


 僕が体を起こすと同時にスピカとレオニスもピクっと片耳が動きパチリと眼を開いた。

 獲物の足音を聞き付けた時のように、2匹はほぼ同時に体を起こした。


「おはよう! あるじ!」

「もう、こんばんわの時間だけどな」

「起きたら、まず”おはよう”だろ?」


 黒猫達が喧嘩を始めそうだったので、両手を使って2匹の頭を撫でた。

 目を瞑って嬉しそうに撫でられる小動物というのは、見ていて精神的に癒される。

 しかし長時間続けると嫌がられて引っ掻かれそうなので、そろそろ止めておこう。


「よく眠れたかい? ラルク。色々、大変だったようだね」


 クーヤが立ち上がり、僕の手を取って微笑んだ。


「すまない、ラルク君。まさかあのような事態になるとは…」


 アーネン先生が恐縮した様子で謝ってきた。

 実の所、自分に何が起きてどうなったのか理解してない僕は、昨夜の事を先生に聞いてみた。


 アーネン先生の話では、僕の中にある”結界のようなもの”に干渉しようと魔力マナを送った所、呪術が発動して僕に内包する全ての魔力マナが黒い刃となって体を突き破って顕現したらしい。

 僕は魔力マナを失ったうえ大量に出血し、死ぬ寸前の所だったようだ。

 今回も”不死状態”に助けられたって事か、”死なない”のか”死ねない”と言うべきか…。

 先生は話しながら包帯を巻かれた僕の鎖骨の部分を指さして、「原因はこれね」と言った。

 そこは隷属の印の刻まれた場所に他ならなかった。


 隷属の印、約3年前に故郷で刻まれた呪いの刻印。

 アーネン先生に見られてしまったのか。

 今までずっとスピカに言われて隠してきたけれど……

 もしかして大勢の人に見られたのだろうか?

 少なくとも、アルフィオ君と女生徒は見たから、この部屋にいるのだろう。


「ねぇ、猫ちゃんはこの刻印の事を知っていたのかしら?」


 アーネン先生はスピカ達に向かって睨むような眼差しで問いかけた。

 スピカは「フンスッ!」と鼻を鳴らし無視を決め込み、レオニスは「あなたは知らなかったようね」と自身が答える前にアーネン先生に言われていた。

 裸を見られたことは何度かあったけど、鎖骨の部分を隠すようにしていたからレオニスは見た事がなかったのだろう。


「…まぁ、いいか。おっと、忘れる所だった。彼らは知っているよね、同じクラスのアルフィオ君とデイジー君だ。君の治療に手を貸してくれた生徒達だよ」


 アーネン先生が紹介するとデイジーさんは軽く会釈をした。

 当時の状況を覚えて無いが、僕は「ありがとうございます」と2人に頭を下げた。

 デイジーさんは長い赤毛を三つ編みにして前側に垂らし、青い瞳は斜め下辺りを眺め視線が合う事はなかった。


「彼は学級委員長として事情を把握して貰う為に来てもらっています。デイジー君は呪術に詳しい家柄の生まれで、今回の件に適任と判断したので私が呼びました。あとクーちゃんはどうしても君の事が気になって夜も眠れないと言うので連れて来たのさ!」


「母上、冗談はそれくらいで。その刻印は消す事ができるのですか?」


 クーヤはアーネン先生のあおりを華麗に受け流すと、隷属の印が消せるのかと聞いた。

 先生は娘の薄い反応に不服そうな表情を浮かべ、デイジーさんに「どう?」と問いかけた。

 デイジーさんは太腿の上の本を両手で閉じると、顔を上げこちらに視線を向けた。


「隷属の印は契約者に命を捧げる高位呪術です。契約者が術を発動すれば確実に死にます。”刻印を施した者が死ぬ”か”刻印を施された者が死ぬ”以外に消える事はありません。でも、今回のケースは不可解な点があります」


 デイジーさんは話すのを止めて、僕の目をじっと見つめて来た。

 青く透き通る瞳が何かを問いかけて来るように僕を捕らえて離さない。


「それは何かしら?」


 アーネン先生が急かすように問いかけ、皆も彼女の言葉を静かに待った。


「本来は術が発動すると同時に体内の魔力マナの暴走によって毛穴から血液が全て押し出されて出血死に至ります。そして隷属の印はその効果を失い体から消失するのが通例です。しかしこの男性は何故か死んでいない、そんな事は有り得ません」


 デイジーさんの言葉を聞いて、今度は全員の視線が僕に向けられた。

 僕は肩に巻かれた包帯をずらし鎖骨をあらわにした。

 隷属の印は変わる事無く僕の肌に刻まれたままだった。


「より上位の呪術って事は無いかしら?」


「いいえ、この印は隷属の印で間違いありません」


 デイジーさんは自信に満ちた表情で断言する。

「…ふむ」先生も彼女の言葉を飲み込み、特に反論する事無く腕を組んだ。

 呪術に詳しい家柄だと話していたが、先生の反応を見る限り高い信頼を寄せているようだ。


「僕の見解ですが宜しいでしょうか? 先生の持たれている特殊才能ギフトに”自動再生リジェネレイト”というのがありますよね? 彼も同じようなモノを持っていたのではないでしょうか。死をギリギリで踏み止まるような」


 今まで黙って話を聞いていたアルフィオ君が軽く手を上げて発言をした。

 先生の持つ”自動再生リジェネレイト”は以前見せて貰った事がある。

 どんな傷を負おうと瞬時に治癒能力が発動し、傷痕きずあとを残す事も痛みを感じる事も無く消し去ると言っていた。

 弱点としては自分で制御ができない為、勝手に魔力マナが消費される事だと話していた。

 僕の持つ”不死状態”は死なない代わりに傷や痛みはそのまま残る。

 よく覚えてはないけれど今回のは痛さを感じる前に意識が飛んだから、ある意味苦痛を感じなかったようだ。


「それは有り得ません。我が家は呪術に造詣ぞうけいの深い家系ですが、有史以前そのような事例は聞いた事がありません。…それに、例え先生でも”絶対なる死”には抗えません」


 デイジーさんが言うには呪術が発動して死ななかった事例は無く、異例中の異例だと話した。

 彼女はおもむろに僕に刻まれた印を触り、不思議そうな表情で眺める。


「先生、この男子生徒を実家に連れて帰っても宜しいでしょうか? 凄く興味深い被験体ですので」


「それは駄目です」

「駄目だ赤毛女!」

「駄目だろ!」


 デイジーさんの言葉にアーネン先生とスピカとレオニスが同時に反応し叫んだ。

 彼女は心底残念そうな顔をしながら、おずおずと部屋の隅へと移動し静かに座った。

 クーヤは複雑な表情で僕を見つめている。

 そんな視線が痛くて、目を合わせにくい。


「…それで、君はその刻印を誰に付けられたんだい?」


 アルフィオ君は優雅に足を組み直し、睨むように僕を見据える。

 そして、誰もが躊躇して聞かなかった核心部分を的確に突いてきた。

 僕はどう答えて良いのか分からず、目を逸らし俯く。


 その時、忘れていた当時の記憶が少しずつ蘇って来た。

 卒業式当日の夕方、僕はビクトリアに連れられて成人の儀へと赴いた。

 そこで破壊神の加護が発覚し、強制連行された牢獄で激しい暴行を受けた。

 あの時、目隠しをされていたが男の声で「教皇様」という言葉が聞こえてきたんだ。

 恐らく僕に刻印を付けたのは、アルテナ国”創世教”最高指導者ネディロ教皇。


 …しかし自分の目で見た訳では無いので、ネディロ教皇本人だったかは確証が無い。

 この場合、どう答えるべきなんだろうか。


「ラルクは5歳より前の記憶が無いから、どこのどいつが印を付けたか知らねぇんだよ。…あまり踏み込んでんじゃねぇよ! ガキがっ!」


 僕が悩んでいると、不意にスピカが怒りの籠った声で冷たく凄んだ。

 僕は5歳以下の記憶が無いというのをスピカに昔話した事がある。

 隷属の印を刻まれたのは15歳の時だが、一応嘘は言っていない

 それにしても、この短時間で上手な設定を作ったものだと少し感心する。


「なっ!?」


 突然、喋る黒猫に間接的に噛みつかれたアルフィオ君は驚きのあまり表情が歪んだ。

 先程の発言が勘に触ったのか、彼はスピカに対して激しい憎悪の眼差しを向けた。


「はい、アルフィオ君そんな顔しない! ラルク君、スピカ君、立ち入った事を聞いて申し訳ない。心から謝罪いたします」


 アーネン先生はアルフィオ君をたしなめた後、僕に向き直り深々と頭を下げた。

 アルフィオ君は聞こえるか聞こえないか微妙な声量の極小さな舌打ちをして、そっぽを向いた。

 スピカは僕の横で尻尾をピンと立ててい威嚇を続けていたので、後ろから両手でそっと顔面を包んだ。

 …こいつなりに僕を思って、怒ってくれたんだな。


「スピカ、ありがとう」


 僕がそう呟くとスピカの尻尾はペタンと降り、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 結局、隷属の印が発動した理由は分からず、微妙な雰囲気になった話し合いの場はお開きとなった。

 アーネン先生は改めて集まった皆に今回の件は他言無用にするようにと釘を刺していた。

 取り敢えず、おおやけには特殊技能スキルの暴発という線で告知するらしい。

 デイジーさんは実家で詳しく調べてみると言いってくれたが、解散後も僕の袖を掴んでなかなか離してくれなかった。


 自室に戻り、スピカとレオニスともう1度状況の整理をしてみた。

 しかし、物知りのスピカでも原因は分からないと言っていた。

 当然、僕とレオニスにも分かる訳が無いので迷宮入りである。


 丸1日休んだ翌日、僕が教室に入ると騒めいていた生徒の声がピタッと止まり、ヒソヒソと小声の囁きに変わった。

 どうやら教室中に僕の噂が広がっている様子だ。

 教室を見渡すと、最後方隅の席でデイジーさんが分厚い本を読んでおり、最前列にはアルフィオ君の姿が見えた。

 各々、読書やら予習をしているようで、何となく声をかける事を憚れた。


 その後、アーネン先生が教室に入り朝礼が始まった。

 朝礼の中で昨日話していた事情説明があり、僕に対して気を遣う必要は無い事を伝えていた。

 どのみち友人と呼べる程、仲の良いクラスメイトはいないので効果は無いだろう。

 …自分で考えてて、少し虚しくなってきた。




 入学してから1ヶ月が過ぎる頃には噂話も完全に鎮火して、いつものような日常が流れ始めた。

 ほんの少し、僕の周囲に変化があった。

 デイジーさんがたまに話し掛けてくれるようになったのと、魔法スペルの扱いが少し上手くなった。


 アーネン先生曰く、僕の体内にある結界的なモノへの干渉自体は成功していたんじゃないかと言う。

 あの錆びた扉が開くような不思議な夢は、結界への干渉を表していたのだろうか?

 基礎魔法スペルは人並み以上に扱えるようになり、実践での威力や動きの幅も広がった。

 先生はそろそろ上位魔法ハイスペルの習得も視野に入れようと意気込んでいた。


 もしかしたらと思い、久しぶりにルーン武器の作製も試してみる事にした。

 試しに3文字刻みのルーン武器を作製してみた所、約1時間と40分程度で造る事ができた。

 単純に魔力マナの放出量が増えたようで、ルーン文字を刻む速度が大幅に向上したようだ。

 今度時間が有る時に、5文字刻みを何時間短縮できるかチャレンジしてみよう。


 ……なんだろう凄く充実している実感がある。

 自身の成長に喜びと自信を感じていた矢先、”中間考査”の期間に突入した。

 そこで僕は改めて、その自信を打ち砕かれた。

 赤点こそなかったものの、実技も含め全て平均点以下という現実に直面したのだ。


 自分の実力の無さは理解しているが数値化されて順位をランキング形式で張り出されると、自分の順位に溜息が出るばかりだった。

 クーヤに優しい言葉で慰められ、デイジーさんに「私も勉強を教えようか?」と同情される。

 ……まぁ、悔やんでいても仕方が無いし、切り替えて行くしかない。


 そして、来月はいよいよ競技祭があるとアーネン先生が話していた。

 競技祭はクラス対抗で体術の実技がメインとなるので、少しだけ活躍出来そうだ。


 この時僕は、魔法学園スペルアカデミーの一風変わった競技祭の事を知らず、楽観視していたのだった。

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