29. 討伐訓練(3)

日は傾き、西の空へと沈んでいく太陽。その日差しは夜のとばりを背負った山陵さんりょうを紅くきらめかせていた。


 そして、そんな紅い太陽とあい反するように、私たちが進むこの森の暗さは徐々に濃く、重くなり始めてもいた。


 薄暗い森の中をレイリンが黙々もくもくと進み、その後を三人が追いかける。

 かぶと面具めんぐの隙間から覗く瑠璃色の瞳。その煌めきは、夜に沈みつつあるこの森の中で迷うことなく、進むべき先を見据みずえているように感じられた。


 彼女の道なきみちを突き進める勇敢さ。そのおかげもあり、私たちはこの森の中を昼と同じ速度で進み続けることが出来ていた。


 ふと、右の太ももにすこし生暖かい、ベトっとした物が触れた。


「……ほんと、なんでまだれてるんだ?結構ぎ取ってから時間経ってるのに……」

 

 私の右手に握っているのは、荒縄の輪。それには、ヘルハウンドから剥ぎ取った舌が三枚、根元に開けた穴でまとめられている。


 およそ二十センチはありそうなそれら三つの肉塊は、獣と血が混ざった臭いを放ちながら、今なおよだれらしき何かを分泌ぶんぴつし続けている。

 後ろを振り返れば地面にはこいつのよだれの跡が点々と、土の上に軌跡きせきのように残っているに違いない。


 そう思いたくなるほどには、この魔獣の部位は異質なまでにかわくことがなかった。

 改めて、魔獣が私たちの知るような普通の生物ではないと思わずにはいられなかった。

 

 右隣を歩くミールが少しだけ前に出た。小脇には、根元で束ねられた三本の尻尾が重く、ゆらゆらと揺れている様が見えた。

 

「……本当に、これでいけるのかなぁ……」


 追いつくように並んだ私に気づいたのか、ミールはヘルハウンドの尾を抱えながら、不安そうにつぶやいた。

 小脇で血と泥で汚れた尾を見る彼女の表情は、少しだけ沈んだような表情をしていた。

 

「大丈夫……と思うしかないよ。無理なら……どうしよっか」

「どうしよっかって、アンタねぇ〜……!!アンタの提案に乗ったこっちの身にもなりなさいよ!!」


 少し弱気な返事に対して、左隣からエミリが鋭い言葉を投げかけてきた。いや、ごもっともです。はい……

 

「ごめんってエミリ!……まぁ、流石に手ぶらじゃないから、最悪の事態はないと思う、よ?」

「だと良いんだけどねぇ……はぁ〜不安だぁ〜!!」


そんな二人の様子を見ながら、この目論見もくろみが失敗しないことを祈ってしまっている自分の頼りなさ、そして不甲斐ふがいなさを感じずにはいられなかった。

 

「……皆……見えたぞ」


 先頭を歩くレイリンが声を発した。その先には、薄緑うすみどりまくのようなもの……この区画を区切る結界がたたずんでいた。


 十六時のときを知らせる銅鑼と鐘は、遥か前に鳴り止んでいる。

 夜に溶けていく森の中に戻る時間も、気力もない。

 戻ったところで、この暗さの中でヘルハウンドが見つかる保証もない。それはここまでの探索で嫌になるほどに理解している。


 そして、こうして考えを巡らせる間にも、私たちの歩みは止まらず、結界の外へと飛び出さんとしている。

 ……そうさ、行くしかない。やるしかない。そう言い聞かせながら、私は再び進む先を見た。 

 

「……出るよ、みんな!!」


 そう言い放ちながら、私たちは結界の外へと飛び出していった。


  

 

                  ◇



 

 日がほんの少し傾き始めた頃、十四時の銅鑼と鐘が遠くで響いた。

 それから数分が経ったあたり、五番の鳴子を確認し終えた私たちは、離れた位置で待機していた二人の元へと戻っていた。


「ただいまぁ〜!!」

「……ただいまー!!二人とも、戻ってきたよー!!」


 魔獣の奇襲と勘違いされないように、声を出し、低木をき分けながら私たちは彼女らの前へと顔を出した。

 そうしてたどり着いたのは森の中にできた開けた、小さなギャップ。

 その中で日に当たりながら休んでいた二人うち、エミリが軽く返事を返してくれた。


「あら?結構早かったわね、二人とも」

「まぁ、流石に帰りは一直線で進んできたからね。そっちは大丈夫だった?」

「えぇ……気持ち悪いほど平和だったわ。……ちなみにヘルハウンドとの遭遇そうぐうは?」

一切いっさいなし。足跡や戦闘の痕跡もなかった」

「……そう。じゃあ改めて、五番の鳴子を鳴らしたのはなんだったか、教えてくれる?」


 いくつかの質問を終えたエミリはそう言いながら、私たちの方へと向き直っていた。


 レイリンは言葉こそ発することはなかったが、兜を外さずに腰に据えた刀に手をかけ、視線だけをこちらに向けている。

 その姿から警戒しながらも耳を傾けていることは、言わずとも汲み取ることができた。


「そうだね……簡潔にいえば、今の私たちじゃ倒せない魔物がいた可能性が高い」

「魔獣じゃなくて魔物……でいいのね?魔力で変異した生物じゃなくて……」

「そう、明らかに隔離迷宮で生まれたか、龍みたいな生態系の上位存在……そういう類だと思う。足跡ですら一メートル、それに六本足……少なくとも、私が講義で学んだ範囲で、該当しそうな魔獣は一つもいない。あとは一緒にあった粘液質の何かは……もしかしたら表皮を保護する何かかもしれない。そうなると――」

「――ハクボウぐらいの魔術じゃ、傷をつけることすら難しい、ってことかしら?」

「うん、多分……」

「……そう」


 未知の存在に対する私の一通りの報告と推測、それを聞いたエミリは一言だけそう呟いた。

 森の中を抜ける風、つられる様に騒ぎ出す枝葉。それだけが、淡々と聞こえている。

 そんな息苦しい静寂せいじゃくを壊すように、今度はレイリンが口を開いた。

 

「……で、この後の計画は……どう考えているんだ?……アズサ」


 兜と面具の隙間から届く視線は、兜で暗く影が落ちていても力強い。

 ただし、そこには責める様な気迫はない。純粋な疑問としての発言として、彼女は私に尋ねただけの様だった。


 ……ならば、私はできる限り応えなきゃいけない。私と、みんなの為に。たとえ、それが考えすぎだとしても。

 そうして、私は穿うがった目で見過ぎかもしれない、己の推測と計画を話すことにした。


「うん、そうだね。結論から言うと……私はあと一匹、ヘルハウンドを狩れば十分、かも、知れない……って思ってる」

「……ハァ!?アンタ、それマジで言ってるの!?まだ二匹しか狩れていないのよアタシたち!!?」


 私の言葉にエミリが声を荒げながら飛び跳ねるように立ち上がった。

 そして彼女の右手は、地面に転がっているヘルハウンドの舌と尻尾をこれでもかと指さしていた。


 もちろん、彼女がこうして声を荒げる気持ちも十分にわかる。

 だから、私はなるべく感情的にならないよう、冷静に努めながらまた話し始めた。


「うん、そうなんだけど……ちょっとおかしいと思うんだよね」

「……何が?」

「もし規定数を討伐することがこの訓練の目的なら、なんで、って……」

「……どう言うことよ」


 私の問いを聞いて、エミリも思うところがあったのだろう。彼女の怒り肩は徐々に下がり、力が抜けていくのがはっきりと分かった。

 その様子を眺めながら、私は言葉を続ける。

 

「うん……今回の討伐の証拠、わざわざ舌と尻尾のどっちでもいい、って言ってるじゃん?でも……もし本当に討伐数で判断したいなら、厳格に一つの部位だけを指定すればいいはずなんだよ。だって……」

「……一匹から一つしか取れない方が、狩った証拠としては確実だから?」

「うん、そうなんだよ、エミリ」

「ってことはアズサ、まさかこれって……」


 軽く握った右手を口元に当てながら、思い至った様子でエミリがポツリと応えた。

 直情的なところはあるが、やはり育ちの良さもあるのだろう。冷静さを取り戻せば、彼女ならこうして適切に対話ができる。


 生死を共にする仲間としてはこれ以上ないほどの安心感を彼女に抱きながら、私は彼女に対して言葉を返した。

 

「うん……この訓練、今の条件だとんだよ」


 そう言いながら、私は改めてヘルハウンドから剥ぎ取った舌と尾の方へと視線を向けた。


 最初の剥ぎ取りをするとき、私は何か引っ掛かりを感じながら、万が一の保険として私は両方の部位を剥ぎ取るように指示をしていた。

 その結果、まさか最善のルートを歩んでいたことになるとは……直感に従って石橋を叩くスタイルもバカには出来ないな…… 


 正直、荷物になるし気持ち悪いしで、何度も舌の方は捨てたくなったけど。まぁ捨てなかったから、偉いってことで……


「……確かに、その理論なら……あと一匹で十分には、なるな……」

「でもさ?アズサ……それなら、なんでそう言わなかったんだろうね?」


 一通りの説明を受けて、発言の意図に納得するレイリン。

 しかし、ミールは疑問を私に投げかけた。なぜコウレンたちはこうしたのか、と。

 そんなミールの問いに、私は他の二人にも答えるように、己の推測を話し始めた。


「それは、多分……私たちが受けているのが、迷宮探査員としての教育制度だから……だと思う」

「ん?どゆこと?」 

「カンザンも言ってたじゃん。私たちに求められているのは、腕がげても生き残って、迷宮の情報を持ってくることだって……それに、エミリも確か、ツツギに似た様なこと言われてなかったっけ?」

「あー……最初に杖使ったあの鍛錬の時ね……忘れるわけないじゃない」


 そう言ったエミリの表情は、苦虫を噛んだと思うほどに露骨に歪んでいる。

 あ、やべ。トラウマ掘り返しちゃった……?あ、ごめん、睨まないでエミリ!!そうだよね!!腹立ったよね!!

 そんな具合で咄嗟に表情を作り、彼女を宥めつつ、私は更に話を続けた。

 

「それに……この訓練、目標とその条件は提示されているけど、実は。あの軍人かぶれでお固いタッタが言っていないんだよ?」 

「………………え!?あ!!!ホントだ!!!」

「確、かに……言ってないわね、彼」

「……タッタ監督官の性格なら、罰があるとすれば……伝えるはずだ。少なくとも、後出しで隠すことは、しない……」

「そうそうそうそう!!!!タッタ監督官、そういうの多分嫌いそうだし!!!!」


 タッタはいい意味でも悪い意味でも軍人気質だ。子供だからといって容赦もしない。

 そして、知らなければこちらが不利になるような伝達不足もしない男でもあった。

 確証こそないが、数ヶ月ほぼ毎日顔を合わせてた私たちからすれば、それは公然の事実として認識されていた。


 だからこそ、タッタが目標を定めた上で罰則を提示していないという事実は、彼らしくはなく、何かしらの意図を感じさせるには十分だった。


 そしてこれら推測を踏まえ、私はこの推測の帰結を三人に述べた。


「要は……この訓練、『単独で警戒心が強くなっているヘルハウンドを狩れるだけの隠密おんみつ行動、作戦力があるか』、『予想とは違う条件下でどう条件を満たして生還せいかんするか』、そして『仮に条件を満たせなくても無理をせず、危険を回避かいひして帰ってこれるか』……ってところを見てるんじゃないのかなーって」

「……だとしたら、相当に意地悪ね」

「でも……そう言う環境なんだと思うよ、私たちが送られるような隔離迷宮って」


 エミリの一言に思わずそう返した。

 ――この程度でリタイアするなら、この先は長くない。常に考えろ。

 今の私は、そんなコウレンらのメッセージがこの訓練には込められている様に感じていた。


 だとしても、奴隷とはいえ子供が相手なんだし、もう少し手心があってもいい気もするけど……そんな思いを抱きつつも、私は三人に向かって、最後の確認をした。


「……とまぁ、これが後一匹狩ればいい、って私が言った理由……です。もちろん六匹まで狩れたなら何も言うことはない。けど、残り時間を踏まえて、もし六匹を狩れないのなら……この方針を私は取りたい。三人は、それでもいい?」

「うん、わたしは問題ないよ!」

「アタシも賛成。けど、あんたほど口は上手くないから。先生たちとの舌先勝負は任せたわよ?」

「……私も、エミリと……同じ意見だ。よろしく、頼む」


全員からの了承が取れた。ならば、あとは今すべきことをするだけだ。


「それじゃ……ここからの行動指針は次の三つ。やばそうな魔物は避けて、あと一匹はなんとか狩る!!運が良ければもう三匹!!そして全員五体満足で帰ること!!いいね?」

「「「了解!!!」」」

「よし。それじゃ……行動開始するよ」


 そうして私たちは日のあたるこのギャップを後にし、再び薄暗い森の中へと進み始めた。

  


                  ◇ 

 

 

 十七時を告げる銅鑼と鐘が、うるさく感じるほどに鮮明に聞こえた。

 日はかなり沈みかけており、空も深い紫から夜の濃紺のうこんへと切り替わりつつある。

 そんな暗がりの中、柵の中へとちょうど到着した私たちの前に飛び込んできた光景は、想像以上のものだった。


 広場には、魔術であろう眩い光の玉が電灯のように無数に配置されていた。

 そんな無機質で白い光に照らされていたのは、傷の治療を終えた多くの奴隷と、急拵えであろう二つの白いテントだった。


 ざっと見ても三十人くらいはしっかりと怪我をしており、手に添木をする子や頭部に包帯を巻いている子も少なくはなかった。


「今到着した皆さーん!!こちらで討伐証明の部位を確認しまーす!!」


 ふと、どこかからコウレンの声が聞こえた。

 見れば、二つの白いテントの左隣に浮かぶ赤緑の光の玉、その光に照らされるようにコウレンがたたずんでいた。


「……行くよ、みんな」


 返事は無かった。ただ、三つの足音が私の後をついてきているのはしっかりと分かった。

 

 うめく奴隷らの中をもくして歩く。その道中、急拵きゅうごしらえであろうテントの中が見えた。

 その中には六人、素人目に見ても明らかに酷い傷を負っている子らがいた。赤黒く滲む包帯。欠損した足、腕。不明瞭なうわ言……そしてその横には、四人の子らが白い布を顔にかけられ、横たわっていた。


 ふと、目の端でエミリの表情が一瞬だけ見えた。

 眉を寄せ、深く皺を作り、そして下唇を強く噛んでいた。

 回復術師として、そして救護技術を学んでいるが故に、彼ら彼女らの死期を悟ってしまった。そんな表情だった。


 テントを通り過ぎた先、赤緑の光の下にはコウレンとタッタが立っていた。


「……三十六期・第十八班・アズサ班、ただいま帰還しました」

「はい。アズサ班、帰還を確認しました。四人とも、お疲れかとは思いますが、もう少し頑張ってくださいね……では、タッタの方で認定を」

「……分かりました」


 なるべく感情を殺して、余計なことは言わない。

 それを念頭にしつつコウレンへ帰還の報告を終えた私は、彼の左隣に立つタッタの方へと足を進めた。


「訓練、ご苦労だった。では、持参したヘルハウンドの部位をここに出してくれ」


 そう言ったタッタの前には、黒く血が染み込んでいる木製の台が一つあった。


「分かりました。……ミール、尻尾出して」


 私は外套の中からヘルハウンドの舌を持ち上げ、ミールは小脇からヘルハウンドの尻尾を両手で持ち直す。

 そして、同時にそれらをタッタの前にある台の上へと置いた。


 置き終わった後、台から一歩身を引いた私はタッタの顔を伺う。

 ヘルハウンドの部位を見つめる彼は、いつも通りの整った身なりで毅然きぜんとした様子だ。

 だが、今の状況においては、その立ち振る舞いはどこか不気味ささえ感じさせた。


「……認定、。よって、アズサ班は本訓練を合格とみなす……以上だ」


 タッタからの合格の一言。

 その報告を隣で聞いていたコウレンは、私らの姿を見て満足そうに、優しく語りかけた。


「四人とも……本当によく頑張りましたね。明日は休みとしますので、今日はこのまま解散し、身を休めてください」 

 

 ――博打ばくちが、通った。

 目論見が、穿うがった深読みが、事実になった。

 だが、ここで大喜びするのは……たぶん、駄目、だ。


「ありがとう、ございます……では、失礼します」

「はい、お疲れ様でした」

  

 私は胸の中でうねる感情を押し殺しながら、コウレンに返事を返した。

 そして、それ以上は何も言わずに、私たち四人は彼の元を後にした。


 ふと、ヘルハウンドの肉塊が放つ強い死臭が鼻腔びくう容赦ようしゃなく殴りはじめた。


 喉の奥がひりつくような、言い難い気持ちわるさを、私は静かに押し殺す。

 緊張の糸が少し解けたせいだろうか、そう考えながら急拵えのテントの前を通り過ぎていく。


 再び横目で中を覗けば、中には先ほどと同じく、重傷を負った子らと白い布をかけられ、横たわる子らがいた。


 だが、私がその長い眠りにつく子らが四人から七人に増えていることに気づいたのは、それから数秒ほど遅れてのことだった。





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