8. 一時の安らぎ、マーブルな誘い

 あれから少し時間が経ち、私たちはコウレンをはさむように両隣に座っていた。

 日は少しばかり高くなり、森には先程より日差しが強く差し込み始めている。私たちの足元を見れば、木陰こかげには風で枝葉からの木漏れ日がしずくのようにチラチラと草花を照らし、輝いていた。


 そんなほがらかな景色を眺めながら、私は手に持った木製のコップに口をつける。少し冷たさを感じながら、舌に苦みと淡い甘さが優しく広がる。そのままゴクリとのどうるおし一息をつけば、瑞々みずみずしい爽やかな香りが鼻を抜けていった。

 私たちはあの号泣ごうきゅうおにぎり爆食ばくしょくタイムをえ、彼からいただいたお茶を飲みながら、昼下がりのようなおだやかな時間を過ごしていた。


 右に座るコウレンを見る。彼はこちらに気づく様子もなく、木製の水筒すいとうを傾け、私たちに分けたお茶の残りを飲んでいた。脇目わきめも振らず泣いてしまった手前、この状況に少し恥ずかしさを感じているが、彼がそのことを気に掛ける様子は今でも一つも感じなかった。


 改めて先の状況を振り返る。ガビガビで伸び切った髪、あかまみれの汚い体、みすぼらしい服、そんな乞食こじきめいた姿で号泣しながらおにぎりを食べていた私たち。そんな私たちを、あざける……ことはちょっと最初の方してたけど、さげすむことはせず、彼はただただ優しく側にいた。

 ……正直に言おう。すでに私は彼のことを信用……いや、信頼しつつある。まだよく分かんないのに。


 だってさぁ!?おにぎりくれたんだよ!?見ず知らずの乞食にさ!!?んで小汚ねぇはずの私達のこと普通にでながら、食べるの見守ってくれたんだぜ!?絶対コイツらくっさいなぁって思ってるだろうにさ!!?シラミやフケだってかなりなハズだよ!!?!なのにずっとましやがってこのイケメン顔でよぉ!!もうちるしかないってこんなの!!!!!

 ――と、腹も心も満たされたおかげか、こんな限界オタクのような自己問答じこもんとうが出来る程度には、私のメンタルも落ち着いてきていた。


 そしてコウレンの奥、彼の右隣に座るミールだが、これまたさっきまでの警戒心はうそのように、完全にリラックスしきっている様子だった。顔を見れば、まぶたを少し閉じながら目尻めじりを下げ、ほほも少し赤らんでいる。そして、口はむにぃーっと横に伸びながらニンマリとしていた。あの小屋で出会ってから一度も見たことのない、なんともまぁー緩みきった表情だった。


「……うん、二人共落ち着いたようですね」


 ふとコウレンの声がした。顔を上げれば、その深い琥珀こはく色の瞳がこちらを見つめていた。改めてみると、まるで宝石のような綺麗な瞳だ。なんというか、乙女おとめゲーの攻略キャラみたいなはなやかさ、とでも言えばいいんだろうか。……こういう時、己の語彙力のとぼしさが少し悔しく感じてしまう。


「はい。えっと……すいません、色々恥ずかしいところ見せてしまって」

「え?あぁいやいや、そんな……!君がこの子を守るために必死だったのは、話している間もずっと感じていましたから」

「そう、ですか……」

「それに……私を見る眼差まなざしは何かしらの覚悟を感じさせましたから。君も、この子からも」


 そう言いながら、コウレンは隣に座るミールの肩を軽く叩く。手はそのままに、彼は再びこちらを見ながら言葉を続けた。


「それじゃ、改めて君たちのこと、お聞きしても?」


 それは、私たちがおにぎりを貰う前、警戒心を全面に出しながら対峙たいじしていたあの時と同じ質問だった。だが、今はその言葉に対して躊躇ちゅうちょすることはなかった。


「はい、私はアズサっていいます。そしてその子はミール」

「はい!ミールです!」

「そして、私たちは……」


 すこしだけ生まれた無意識での迷いか、言語化出来ない何かが私を止めた。――いや、多分彼なら大丈夫。即座そくざに心のなかで言い聞かせながら、私はすぐに言葉を続けた。


「……私たちは、奴隷で、逃げてきたんです」




                  ◇




 一言、彼に奴隷だと打ち明け始めてからは、再び言葉に詰まることはなかった。

 荷馬車にばしゃで奴隷商の館までつれて来られたこと。ミールとの出会いのこと。あの小屋の惨状さんじょう、左肩の焼印、死んでいった他の奴隷……そして、火事さわぎにじょうじて奴隷商から逃げて、二人でここまで来たこと。ここにいたるまでの全てを私は彼に語った。


「……これが、私たちのことと、貴方あなたに会うまでの過程です」

「そう、ですか……うん、ありがとうございます。話しづらいことも打ち明けていただいて」


 一通り話し終えたあと、見上げた彼の顔が一瞬だけ微笑んだ。だが、視線をこちらから外すと同時、その優しい微笑みはすぐに消えた。こちらではない、どこか遠くを見つめるその顔は真面目で、それでいて何処どこうれいをびているような気がした。


 それから一分ほどだろうか、吹き抜ける風が起こす葉擦はずれの音だけを静かに聞いていると、座っていたコウレンがその場から勢いよく立ち上がった。


「よし!では、色々教えてくれたお礼にひとつ!」


 そう言いながら、彼は四歩ほど前へ歩き、右手の外套がいとうを勢いよく振り上げながらこちらへと振り返った。すると、彼の右手にはどこから取り出したのか、地面から彼の背丈ほどある鉄の棒を一振り、木漏れ日をあわく反射しながら握られていた。


「それじゃ二人共、そこでじっとしててください」

「え、あっ、「はい!」」


 私たちは言われるまま、座ったままに返事を返した。その声に彼はうなずくと、手に持っていた棒の先をこちらへと向ける。よく見れば、その先には親指ほどの深緑ふかみどりの宝石が一つはめ込まれており、木漏れ日に照らされては小さなきらめきを放っていた。もしかして、これってつえ……?


汎用はんよう術式一の八の十、重ねて一の八の十三、重ねて五の一の三、対象二――」


 彼が何かをつぶやく。言葉を続けるにつれ、深緑の宝石のきらめきはチリチリと激しくなる。神秘的で鋭い輝き、その未知みちなる光景に、私は息をんで見入っていた。


「――はつ


 そして一言、彼が呟いた。と同時、見えない何かが私たちに迫り、そしてぶつかった。意図していなかった突然の感覚に驚き、思わず瞼を閉じる。ふわりとした感触、ほんのりと涼しさが全身をおおったかのように思えば、またたく間にその感覚は消散しょうさんした。

 ……今、私は何をされた?それを確かめるように目を見開こうとしたその時、隣からミールの明るい声が森に響いた。


「……すっごい!!体、綺麗になってる!!!」


 聞こえた内容に思わず耳を疑い、ミールの方を見る。そして、目に写った光景を前に私は思わず言葉を失った。


 そこには、癖毛くせけだがふんわりとした長い赤髪、そしてほんのり浅黒い肌が目立つ、小綺麗こぎれいな少女が一人、自分の姿をキラキラした瞳で見ながら座っていた。

 髪の長さや麻布あさぬのの服、そしてせこけた肉体こそそのままだが、今まで湧き水では落とせなかったあか皮脂ひしでゴワゴワだった髪の汚れ、ずっと着続けて黒くなっていた服の汚れ全てが、まるで風呂上がりかと思うほどに清潔なものになっていた。


 慌てて自分の体へと視線を下ろせば、肌は風呂上がりの白さに戻り、服もボロい以外は新品並に汚れが消えていた。そして、伸びてつたの如くうねっていた髪も、指通り最高でキューティクル抜群の超絶ロングストレートへと変貌へんぼうしていた。えてかヤバい、自分の髪綺麗すぎない?えめっちゃ輝いて見える!ヤベェ!!サラッサラや髪!!!スゲェ!!!!神!!!!!


「どうですか?ひとまずは体の汚れと匂い、消してみましたが」


 そう言いながらコウレンがこちらへと歩いてくる。いやなんてこと無い雰囲気を出しているけどこの人、マジでスッゴイ人なんじゃないか……!?


「すごい!!すっごいです!!!!」


 ミールがすかさず返事をする。戸惑いつつも興奮こうふんで声が出せなかった自分もミールに同意するように、ヘドバンと錯覚するほどに激しくうなづいた。


「そうですか、ならよかったです」


 私たちの反応で安心したのか、彼はまたやわらかい笑顔を見せてくれた。

 その時ふと、私の脳裏のうりにあることがよぎった。それを確かめるように私は口を開く。


「すいません、これってつまり……」

「そう、これが魔術まじゅつです。といっても、今のは比較的簡単な部類ですけどね」


 やっぱり。やっぱりそうだった。

 これが、魔術。コウレン、魔法使いだったんだ。

 ……いやそりゃ学校で魔術教えてるなら使えて当然だろうし、そもそも全てを疑っていたわけじゃないよ?けれど、聞くだけと実際に体験するとでは、その認識には果てしないものがあるじゃん?ましてや、生前せいぜんの私とっては、それこそファンタージの存在である魔術となれば……実際に百聞ひゃくぶん一見いっけんの差は如実にょじつで、感動は言い尽くせないもので。               

 とにかく、今の私にとってあの体験はあまりにも熱烈ねつれつなものとして脳裏に焼き付いた、そんな感覚がした。


 ふと、コウレンがしゃがみ込んだ。地面に片膝かたひざをつけた彼の、真っ直ぐな眼差しが私たちの目線と並ぶ。


「アズサ。君はさとい子だ。警戒を解かず、大人に対しあれだけ理路りろ整然せいぜんと対話が出来る子、僕は初めて出会いました」


 唐突に私への賛辞さんじの言葉をぶつけられた。あまりにも脈絡みゃくらくなく語られたのもあって、少し呆然ぼうぜんとしつつも、褒められた事自体に対しての不快感はなかった。


「そしてミール。貴女も素晴らしい子だ。魔術で気配を消していた私を、木陰こかげに立った瞬間にはすでに気づいていた。本能的でも体質的でも、君はなにかを秘めているのかもしれない」


 視線を右にずらし、今度はミールへと言葉をおくる。横目でミールを見れば、そうなの?と納得しかねるような微妙な面持ちで彼を見つめていた。


 言葉の裏にある意図をはかりかねている私たちを前に、彼はまた言葉を続けた。


「その上で、僕から君たちに一つ、提案があります。――

「えっ……」


 思わず声が漏れる。奴隷じゃなくなる、方法がある……?


「――僕の務める高学院こうがくいんで、奴隷向けの政策せいさくが行われています。記憶がたしかなら、まだ枠に空きがあったはずです。今なら、君たち二人をそこへ紹介できる」


 予想外の提案だった。あまりにも虫のいい話だった。絶対になにか裏がある、そう疑ってしまうぐらいには、その提案は私たちに都合が良すぎるものだった。


「もちろん安全ではない。それに、市民の権利は、君たちの命をして生き抜いた、その先で得られる未来です。無理強いはしません。ですが――」


 やはりそうだ。そんな美味い話があるはずがない。でも分からない。なぜ今?なぜ私たちに?どれだけの危険?疑念ぎねん困惑こんわいては脳内を埋めていく。


「――その身一つで逃げてきた君たちには今、しるべとして、心をあずけ向かえる場所はありますか?」


 瞬間、思わず息を呑んだ。その言葉を聞いて、当てが無いことに気づいたからではない。

 目前の、私たちを見つめる彼の瞳の奥に感じてしまった、。ドス黒いとも、偽善ぎぜんとも言えない、しかし圧を感じさせるほどの確かな何か。その感覚を本能的なのか、感じてしまった。


 その感覚の答えも分からぬままに、彼は右手を差し出し、再び私たちへ語りかける。


「……もう一度聞きます。そこにいたるための最初の切符きっぷを僕は君たちに与えられる。乗るか降りるかは君たちにゆだねます」


 森が風でざわめく。問いに続く声はない。ミールも、私も。


 さっきまでの、心から彼を信じ切っていた私は嘘のようにもういない。今はただ、シロともクロがかき混ぜられた、マーブル状のレイヤー越しに彼を、彼の手を見つめている。


 ふと、右手に誰かが触れた。いや、握った感触だ。小さくて、すじ張った子供の手。右に振り向けば、ミールがこちらを見つめていた。不安の中に少しばかりの期待を込めた、そんなその黄土おうど色の瞳がまっすぐとこちらを見つめていた。

 繋いだ手を握り返す。明確な、自信のある回答はまだ持ち合わせていない。正直不安のほうが勝っている。でも、もしかしたら……ミールとなら、この先の自由をつかめるかも知れない。心の中に湧いた、そんなあさはかでおさえがたい希望を伝える様に、私はミールを見つめ返した。


 私とミールが彼の方へ向きなおる。この先でなにが待ち受けているか、私たちに知るすべはない。それでも、分が悪いけでも、今の状況よりは得られるなにかがある。

 そう信じて、私たちは差し出されたコウレンの手を取った。

 お互いの、やせ細った手を力強く握り合いながら。

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