雨の日のタクシー ホラー
雨の中でタクシーを走らせている。バックミラーに映る自分の姿を見ればくたびれた爺さんがそこにいた。自分の髪も白くなってどれくらいたつだろうか。会社をリストラされてから個人タクシーなんてやり始めたのがもう……20年くらいか? 正確にはわからない。
雨音がする。暗い道を走る。
ラジオの音を聞きながら煙草を吸いたいと思ったが、吸えない。最近は煙草の匂いには敏感な客が多い。
『本日未明……閑静な住宅街で女性の荒戸 愛さんが遺体で発見された事件です』
聞こえてきたのはこの辺の住所だ。いやだね。なんで世の中悪いことをする奴が多いんだろうな。そう思って交差点を曲がったところで手を上げている女性がいるのに気が付いた。ラジオを消して近づく。
その女性が黒いスーツを着ている若い女のように見えた。街頭の下でこの大雨なのに傘もささずに手を上げている。俺はウインカーを出して止まり、ドアを開けてやる。
その女性はすっと中に入ってきた。 顔が見えない。
「お客さん。タオル貸しましょうか?」
「…………」
黙っている。何かあったのか? そう思って後ろを振り向いてみたが誰もいない。
「あれ?」
今ちゃんと乗ってたよな。
そう思うと途端に怖くなってきた。おいおい幽霊を乗せちまったのか。俺は慌ててアクセルを踏もうとして……事故が怖いからゆっくりと車を出した。
ワイパーがウインと動く音がする。雨音が響く。
それにしてもあれは幻覚だったのか。そう思って歓楽街に向けてハンドルを切ろうとした時、バックミラーに女性の顔が映った。さっきの女性が座っていた。
「うおっ」
慌ててハンドルを切りそうになる。そこは長年の経験でゆっくりと路肩に寄せて止まった。もう一度バックミラーを見たが誰もいない。後ろを振り向いても誰もいない。
「…………」
俺はとりあえずハザードランプをつける。住宅地の真ん中の道。暗い雨の中で俺の車だけがいる。雨の音が車の屋根をたたくタンタンタンタンって感じでな。そこで俺は煙草を咥えて火をつけた。
ふぅ。タバコの味を感じて少しだけ落ち着いた。
「乗っているのかい?」
俺は返事を期待せずにそういう。バックミラーには誰も映ってない。
「無賃乗車だからな……タバコくらいは許してくれよお嬢ちゃん」
はあーと息を吐く。紙たばこってのは最近肩身が狭いよなぁとぼんやり思った。俺の若いころはすぱすぱ吸ってたんだがな。高いだよな。最近。
もしかしたら全部俺の幻覚かもしれんが……なんとなくそこにいるのかと思って俺は語りかける。
「……俺はたぶん霊感ってやつがないから今見えてないんだが、どこに行きたいのかよくわからん」
俺はボタンを押して後部座席のドアを開ける。出て行けってことじゃない・
「どっちでもいいけどな。じじいとドライブしたいならそのまま座ってな。嫌なら出て行ってくれや」
10秒、20秒……よくわからんが少し待ってから「じゃ、閉めるぞ」と言ってドアを閉めた。そこにいるのかどうかはわからん、見えんからな。
俺は雨の中ゆっくりと車を走らせる。
「俺が若いころはな……このあたりは山でな。虫とか捕まえて遊んでたんだ。住宅地になる前は俺の庭だったんだがなぁ」
俺が言っているのは独り言かもしれない。タバコを吸いながら俺は道を走る。車のライトの照らす道をなんてことない話をしながら走り続けた。
「タクシーなんてしているといろんな客を乗せて……結構遠くに行くこともある。一度金持ちかなんか知らんが大阪まで言ったこともある。ありゃあ遠かった」
自分のどうでもいい話をする。聞いているのかどうかはわからん。
「お嬢ちゃんのいきたい場所が分かればいいんだがなぁ。この街をぐるりと一周していこうと思うからな。できるならここでって止めてくれや。タクシー代はまあ、あれだサービスしておくからよ」
今日は売り上げがすくねぇかもな。
俺はなんとなくだが、こっちじゃないかって道を走って行く。初めて入る住宅街の中を走る。そこは昔ながらの木造の住宅の並ぶ古い土地だ。俺はアクセルを緩めてゆっくりと走る。この視界の悪い日に人を轢いたらシャレにならん。
――ここ
俺の頭の奥に何かが聞こえた気がした。俺は「はいはい」と言ってブレーキをかけてハザードランプをつけて止まる。バックミラーを見たら女性の……いやお嬢ちゃんが横を向いている。そこには『荒戸』と書いた表札がかかった家だった。
俺の見たお嬢ちゃんは泣いてた。俺は何も言わずにドアを開ける。
もう一度バックミラーを見たら誰もいない。ドアはしばらく開けておいて俺はタバコを吸う。少しの間そうしていた。
「さて、行くか」
ドアを閉めて車を走らせる。
その時一度だけバックミラーを見た。家の前でこちらを見ている人影がいた気がするが……まあ、どっちでもいいか。
短編のごった煮 @hori2
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