小説の世界

 そこは暗い部屋だった。どれくらいの広さかはわからない。


 ぼうっとその中で輝くランプがあった。それはテーブルの上でゆるやかにあたりを照らしている。


「どうも、こんばんは」


 テーブルの横で足を組み座っている一人の女性がいた。赤い髪を後ろで束ね、黒いスーツに身を包んでいる。組んだ足の先は艶やかな色合いの革靴を履いてる。


「皆様、本日はお越しいただきましてありがとうございます。私は案内人のカリナと申します。以後お見知りおきを」


 カリナは立ちあがり、右手を胸に当てて頭を下げる。顔を上げた顔の徐はそのまま両手を広げた。


「ここは小説の世界。自由な場所にございます。本日は皆様と少しの間だけ旅をできましたら幸いです……。なに、旅といっても少しも動く必要はございません。まずはお食事でもいたしましょう」


 カリナは指をぱちんと鳴らした。


 ランプの光がぱぁっと強く部屋を包み込んだ。


 そこはレストランであった。


 多くのテーブルが白いクロスに包まれて整然と並んでいる。夜のネオンが窓の外を彩っていた。大勢の客は上品な装いに身を包み、静かに流れるジャズの中で食事をしている。


 カリナは赤い絨毯の上で歩く。


「このような場所ではどうでしょうか?」


 彼女はテーブルに座る。置かれたキャンドルの光りに彼女の表情が照らし出される。彼女が窓に目をやると遠くに花火があがる。夜の闇に素晴らしい光の花が咲いた。


「さて、皆様。私は少々おなかが減っております」


 カリナがそういうとウエイターが近づいている。彼は白い髪を整えた精悍な顔つきだが、顔に刻まれた皺がその人生を語っていた。


 彼の手にはプレートでじゅうじゅうと音を立てるステーキがのっている。ウエイターは食器など手早く食事の準備を整えてから頭を下げて戻っていく。


 カリナはナイフとフォークを手に取り、ステーキを細かく切り分けていく。よく焼けたそれを切ると中にはほんのり赤身がみえじゅうと肉汁が滴る。彼女はそのひと切れを口元に運んでゆっくりと咀嚼する。


 口いっぱいに広がるその味にわずかにほほを緩める。彼女は満足そうに言う。


「素晴らしい。皆様もそう思いませんか? ……実際に食べているわけではない? でも、味はしましたか?」


 カリナは指をぱちんと鳴らす。


 そこは何もない。白い空間だった。ただカリナの座っている椅子とテーブルだけがある場所だった。


「また、少し場所を移動しましたね。この場所は少し声が響くので好きではありませんが、例えば。あ! と大声を出すと響きますね。まあ、少し大きめなカラオケルームみたいなものです」


 彼女の声がハウリングする。


 彼女の手には清涼飲料水の缶が握られていた。そこにはコークと書かれた赤いものだった。彼女はぷしゅとそれを開けてごくごくと喉を鳴らす。


「ぷは。炭酸がきつい」


 空になったそれを投げ捨てると、からんからんと床を転がっていった。


 カリナはこちらを向いた。彼女は笑う。


「さてさて、皆様。次はどこに行きましょうか? そうですね。もうお気づきと思いますが私がぱちんと指を鳴らせば場面が変わります。距離も何も関係なく、どこにでも行けるし、なんでも出せます。それではいいですか?」


 カリナがぱちんと指を鳴らす。彼女はその場から立ち上がった。


「ここはどこですかね。学校ですね。黒板に昔懐かしい机が並んでいますね。外にはグランドがありますね」


 カリナがかつんかつんと歩く。


「学校はよく創作に使われますね。皆様見てみてください。ほら、あのプール。昔泳いだことがあるんじゃないですか? 天気がいいからきらきら光っていますね」


 彼女は振り返る。


「まあ、全部嘘なんですけどね」


 白い部屋でカリナは笑う。


「実は移動も何もしてないんですよね。学校になんて行ってないんですよ。だって『地の文』に何もかいてなかったでしょう? でもどうですか? 皆様の心の中にいる私はちゃんと学校にいたのではないですか?」


 くすくすと彼女は笑う。テーブルに腰かけて足を組む。


「それにさっきのレストランで食べたステーキはどんな味でしたか? ウエイターさんはどんな顔をしていましたか? 私が叫んだ時どうハウリングしましたか?」


 彼女は指をこちらに向ける。


「今、どんな映像を見ていますか? 私はどんな顔をしていますか? あなたには」


 カリナは最後に付け加える。


「もちろん。私は一人ですが、私は無限の姿をもっています。あなたと旅をするカリナはどんな女の子でしたか? 私の姿はどう見えましたか?」



 カリナはそして、ゆっくりと指をこすらせてぱちんと鳴らす。


 扉があった。それは重々しい石で作られたものだった。それがひとりでに開く。白い光がその向こうから洩れ、カリナを後ろから照らす。彼女の表情が見えなくなっていく。その赤い唇だけが動く。


「私はただの案内人です。小説の世界はあの扉の向こうに無数に広がっていますね。皆様がこれから良い旅ができますよう。よい創作ができますよう。よい読者であられますよう、ご多幸をお祈り申し上げます」



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