初デートが水族館で会話がもつかと言われたら、まぁ……
それから、少しして。
食事を終えた颯吾たちは、そのままビルの最上階にある水族館へと向かった。
当初の目的である、小説の取材のためだ。
暗い館内は、ブルーライトと水槽の明かりで、幻想的に照らされている。
僕と夏葉は、尾行がバレない様にマスクとサングラスで変装しながら、タイミングをずらしてこそこそと入場。
「ママー、お魚より面白い人たちがいるー」
「しっ、見ちゃいけません!」
などと後ろ指をさされながら、先行する二人の後を追う。
ターゲットは、入口近くの大水槽の前にいた。
淡い光に照らされた横顔が、ここからも確認できる。
半円形に張り出したガラスの向こうには、多種多様な魚。
それとダイビングスーツ姿の職員さんが中に潜って、来場客に向けて解説をしていた。
『色んな魚が水槽に集められてるのって、何か学校みたいっスよね』
イヤホン越しに、颯吾の声が聞こえてくる。
『そうね。……けどよく見ると、群れて泳いでるのは、同じ種類の魚ばかり。そういったところもまた、学校という空間に似ているかもしれないわ』
『ははっ。同じ景色を見てても、印象は結構変わるもんですね』
『あっ、ごめんなさい。無粋だったかしら』
『いえいえ、自分と違う視点を持った人と一緒に回るからこそ楽しいって話ですよ』
うんうん。レイラ先輩の頭もクールダウンしてきたのか、普通に会話が成り立ってるな。
しかし、どうも男女として距離が縮まってる感じはしない。
…………よし。
「レイラ先輩、そろそろ仕掛けましょう」
『仕掛けるって、何を?』
「色ですよ、色」
僕の言葉に先輩の背中が分かりやすくビクゥ! と跳ねる。
「安心してください、僕がどんな青少年でも落とせる秘伝の技を伝授しますから」
『ぐ、具体的には? その、あまり過激なのはちょっと……』
「簡単ですよ。『新しい眼鏡の度が合ってなくてクラクラするの。これじゃ立ってられないわ』とか言いながらおもむろに眼鏡を外して『ごめんなさい、これはこれで周りが見えなくて歩きづらいから、ちょっとだけ腕を貸してもらってもいいかしら』と恥ずかしげな上目遣いをしつつ、相手の腕に密着して、どさくさ紛れに胸を押し当てるだけですよ」
「そこそこの長文なのに淀みなく言い切ったね、トモ。これは絶対普段からレイラさんでそんな妄想してたよね? 何なら生で拝みたいだけだよね?」
うるさい、外野は黙ってろ。指示を出すのは、キャッチャーの役割だ。
「さぁ、レイラ先輩、思い切って行ってみましょう!」
『わ、分かったわ、やってみる……!』
有無を言わせぬ語気に押されてか、レイラ先輩が意を決した様に背筋を伸ばす。
「あ、秋津くっん!」
緊張で声を裏返しながら、先輩が指示通りの台詞を口にする。
「その、私、眼鏡が、あれで、く、くら、クララ……たっ、立たっ……立っ!」
うん、とりあえず落ち着けぇ?
台詞を噛み過ぎて、どこぞのアルプスガールの名シーンみたくなってるぞぅ?
「そのまま
『や、やっぱり無理ぃ!』
「外だ……」
羞恥のあまり、カカッとバックステッポで距離を取ってしまうレイラ先輩。
「何故女の武器を使わない⁉ 使えないのか⁉ 使いたくないのか⁉ 使う度胸もないのか⁉ ひたすらに水差し野郎と呼んでやりた――」
「はいはい。トモ、ステイ」
もどかしさのあまり、往年の迷実況式四段活用でヤジを飛ばす僕の首に、夏葉がやんわりと手を添えた。
頚動脈をきゅっ♡と締められ、ズシャアッ! とその場に膝を突く僕。
手並みがプロだよ、夏葉さん……。
一方、颯吾は挙動不審な先輩の様子に首を傾げていたが、やがて何かを察してポンと手を打った。
「なるほど。新しい眼鏡の度が合わなくてクラクラするから一旦外そうと思ったけど、裸眼だと周りが見えなくてそれはそれで危ないから、俺の手を貸して欲しいってことっスね!」
何でお前は『 クララ 立つ 【検索】 』だけで問題文を完璧に穴埋めできちゃうんだよ。怖えーよ。
「そういうことなら……はい、これでいいっスか?」
颯吾がレイラ先輩の眼鏡を優しく外して、手を握る。
うわー、やりやがったよこいつ。
誰に言われるでもなく、あくまで自然体で女子と手ぇ繋ぎやがりましたよ。
かーっ! これで特別脈があるわけでもないんだから、困りますわ! かーっ!
「~~~~~っっっ‼」
いや、今はそれより永久蒸気機関と化した先輩を落ち着かせるのが先だな。
このままだと、うれ死・はずか死で昇天しかねない。
てか、知的でクールな平時のキャラは完全に迷子ですね、これは。
☆☆☆
「見て、トモ! 壁に魚のプロジェクション・マッピングが映ってるよ!」
「あっ、トモ、アロワナ! アロワナだよ!」
「ほらほら、トモの大好きなカエルさんのコーナーだよ〜!」
「……なぁ、ナツ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、僕の
「お前、なに普通に水族館満喫しちゃってんの?」
「だってほら、最近は一緒にお出掛けすることもめっきり減ったじゃない? 入場料も払ってるんだし、楽しまなきゃ損だよ」
ガラスの向こうの亀を見つめながら、夏葉は言う。
現在、僕たち側のマイクはオフにしてあり、先輩たちの会話を追うだけになっている。
「ここ、小4の夏休みにトモとソー君と三人で来たよね。自由研究の資料集めが目的だったのに、トモが撮った写真を間違えて消して、大泣きしちゃって。係員のお姉さんが再入場させてくれるまでずーっと、わんわんわんわん」
「犬のおまわりさんか。いつまで擦る気だよ、その黒歴史」
「忘れないよ。大切な思い出だもん」
マスクをずらして、えへへと笑う夏葉。んもう~、きゃわいいんだから、もう。
「昔はさ、三人で色んなところ行ったよねえ」
水族館。動物園。遊園地。スポーツ観戦。日帰りのプチ旅行。
思い出の登場人物は、基本的に僕、夏葉、颯吾で固定されている。
たまに紗雪も混じってたけど、幼い頃のあいつはめっちゃ身体が弱かったから、よっぽど体調のいい時でなければ、一緒に遊べなかった。
「また、昔みたいにみんなで遊びたいなぁ」
夏葉がしみじみと呟く。
確かに、高校に上がってからは部活やらバイトやら始末屋活動やらが忙しくて、幼馴染組だけで遊ぶことはなくなった。
「ナツは人気者じゃん。遊ぶ友達には困らないだろ」
「女の子同士の付き合いって、空気を読むべき場面が多くて、ちょっとだけ疲れちゃうんだよねぇ……輝夜ちゃんはサバサバしてるから別だけど」
「ふーん、女子の世界は大変だ」
「だから、たまには気の置けない昔ながらのメンバーで遊びたい時もあるわけですよ」
僕たち三人の関係は、普通の幼馴染のそれよりずっと強固だ。
僕の家は、母子家庭。
夏葉の家は、両親が共働きで帰りが遅く。
颯吾の家は、10年前からお祖母さんと二人暮らし。
という風に、三家とも子どもの面倒を満足に見ることができない環境だった。
だから保護者たちは、子育てのために相互補助の同盟を結んだ。
食卓を共にするのはもちろん、それぞれの家に子ども全員分の布団が用意されているほどの、親密な関係。
それはいつしかお隣さんの枠を超えて、親戚付き合いに近いものになっていた。
そして、幼馴染組の中でも特に寂しがり屋の夏葉は、その関係を誰よりも大切にしている。
僕や颯吾に向けられる愛情は、肉親に対するそれと変わらない。
それで、だ。
その『愛情』を『愛』と履き違えた馬鹿が、過去にいた。
そいつは高校に上がりたての頃、自信満々に夏葉に告白して玉砕し、あまりの恥ずかしさから、彼女を一ヶ月に渡って避け続けた。
最終的には颯吾が間に入ったことで元の関係に戻れたものの、その出来事は彼女の中でちょっとしたトラウマになっている。
その馬鹿が誰なのかは、まぁ言うまでもないよね。
「心配すんなよ、ナツ。絶対、僕が颯吾を引き留めてみせるから」
「……うん」
今回の騒動も、ご近所同盟の関係を崩しかねない重大事件だ。
一年前の贖罪に、何としても僕の手で解決してみせるんだ。
「さて、そのためにも、先輩をしっかりアシストしていかなくちゃな!」
ターゲットの二人は今、屋内エリアの出口付近に何故か設置されている、似顔絵コーナーの辺りにいる。
初めこそこっち側(主に夏葉)から話題の提供をしてたけど、今では普通に会話が成立してるみたいだ。
「んー、これ以上私たちが何かする必要はないと思うけど。初デートなら、あんなものじゃない? このペースなら、数ヶ月もすれば上手くいくかもしれないよ」
「それだとタイムリミットを過ぎちゃうでしょ! お見合いに間に合わなきゃこの作戦の意味がないの! ナツの見通しにはそう、速さが足りない!」
「トモはちょっと焦り過ぎな気もするけど」
「ともかく、悠長に待ってる様な時間は無いんだ。ここらで僕が、先輩と颯吾の距離を一気に縮めてみせる!」
「一応聞くけど、どうやって?」
「野郎なんて、エロがあれば2秒で落とせる」
「……トモは、私が貸した名作ラブコメの数々から何を学んだのかな? お姉ちゃんは今、とっても悲しいです」
「うるさいな、やると言ったらやるぞ。具体的には、もっと過激な色仕掛けを――」
「あ、クマノミ! ほら、トモの好きなクマノミだよ!」
「うぉー! ニ◯だぁー‼」
マイフェイバリット熱帯魚の登場に、僕のテンションはぶち上がる。
……あれ。直前まで大事なタスクが頭にあった気がするけど、何だったかな。
「退屈しないなぁ、暴走したトモの手綱を握るの」
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