第50話 魂の還る場所
気付いたらそこにいた。
いつもの場所。夜の海の絵が多く飾られていて、ソファも深い紺色で落ち着いている。ピアノも当然置いてあって、
――いつものって……いつの?
「セイカ」
溶け込むように部屋にいた彼が私を見て微笑む。夜空のような深い青緑の髪と藍色のその瞳で。
「ヴィ……ンス……」
ずっと、もしかしてと思っていた。彼が言っていたから。あの世のような場所でアリスが日記を渡すことについて『もう死んでるし、まぁいっか』と言っていたと教えてもらったから。
あの世のような場所があって、そしてもう一度会える可能性があるんじゃないかっ……て……。
「ヴィンス!」
急いで彼の腕の中に飛び込んで服を勢いよく引っ掴む。
「会えるかもしれないって……もしかしたらまたって思っていたの……」
「ああ。私も会いたかった、セイカ」
今の彼になら。目の前の若い彼になら。
言ったって……構わない。
吐き出したって……構わない。
あの頃の彼を見て、感情の激流に呑み込まれる。
「ずっと言いたかった、責めたかった……っ」
「ああ」
「なんで先にいっちゃうのよ。ずっと怖かった、言えなかったけどずっとずっと怖かった! 幸せって言っていたけど、怖かったのよ……っ」
「分かっていた。私を失うことを怖がってくれていること。強がってくれていること。我慢していること。知っていた。それを指摘されたくないことも……」
「そうよ、だって責めちゃうもの。泣いちゃうもの。でも伝わっているとも、私だって……っ」
やっと彼の温もりに触れられた。
長かった。すごくすごく長かった。
「辛かったの、辛かったのよ。何年も過ごした。あなたのいない世界を。ねぇ、こっちの世界でも死ぬと燃やされるのね。骨と灰しか残らないのね。あなたは、ただの……ただの白い骨になっちゃったのよ。温かみのない、ただのモノになっちゃったの。どこにもいないのよ、あなたが。だって指輪が外れてしまった。相手がいなくなってしまったんだって、思い知らせてくるの。でも、私に悲しむ資格なんてないと思った。だって、孫が大きくなるまであなたと一緒にいられた。私の浄化が遅れて悲しんだ人はいっぱいいる。あったはずの未来が奪われた人がいる。私が泣き言なんて言えるはずが……っ、ないじゃない!」
「辛い年月を過ごさせた。悪かった」
「ヴィンスは悪くない。だって私を残していきそうなこと、ずっとずっと辛そうで……」
「ああ。まだ生きている時すら、お前を悲しませてしまった」
「いかないでよ、私を置いていかないで……っ! 言いたかったの。お願いだから、置いていかないでよ……!」
我慢していた。ずっとずっと我慢していた。溜まっていた思いを全て吐き出す。行くあてのなかった気持ちを全部。
「泣き言を言わせる甲斐性がなかった。悪かったな……」
「言いたくなかったのよ。それが私の意思よ。でもね、辛かったの。あなたが先にいっちゃうから、甘える相手が一人もいなくなったの。元聖女の私が寂しいなんて言えない。辛いなんて言えない。だって……間に合わなかった人がたくさんいるもの……」
「背負わなくていいんだ。背負わなくてよかったんだよ、セイカ。世界を救ったんだ、誇るだけでいい」
「そんなふうに割り切れない……」
「ああ、知っている。お前は誰より優しい。努力を惜しまず、強く、弱く、全てが愛おしい」
「……そう言ってくれるヴィンスにいてほしかった。私を置いていかないでよ……」
「そうだな、私が悪いんだ。全て私のせいだ。私のせいにしろ」
彼が私を抱きしめてなでてくれる。私が落ち着くように、ゆっくりと優しく。ずっと変わらなかった私への深い愛情のままに。
「ここは……ムカつく場所ね」
「そうか?」
「すごく満ち足りた気分になる。そんな場所なのね。こんなところじゃ、責めても傷ついてくれないわよね? そのことに苛立ちたいのに強制的に満ち足りてしまう。気に食わないわ」
「はは、お前に責められるのも悪くない。この場所でなくても傷つきはしないさ。お前に特別に想われている。そーゆーことだろう?」
「そうかもしれないけど、私はあなたを傷つけたくて仕方ないのよ」
「ああ。私もお前のために傷ついてやりたい」
言いたいことを言って、感情が落ち着いてきた。ここは……不思議な場所だ。魂の部分で繋がっている感じがする。この姿は仮で、魂のままで会話しているのかもしれない。
もう一度、顔をあげてあらためて彼を見る。大好きな人。でも――。
「ふふっ、会ったばかりのあなたみたいね。若いわ、とっても」
「ああ、お前もな。男を狂わせてばかりのあの頃のお前だ」
「まったく。狂ったのはあなただけよ」
「どうかな。きっとお前がいなくなって世界中で禁断症状が起こっているはずだ」
「もう、またそんなことを言って」
くすくすと笑い合う。
こんな会話をずっとしたかった。いつかいつかと待ち望んでいた。
「あの頃と同じなのに、あなたはずいぶんと愛想がよくなったわね」
「会いたかったからな」
「……待たせたの?」
「いいや、一瞬だ」
晩年の彼は……よく笑っていたかもしれない。すごく穏やかに。脳疾患のせいで表情が乏しくなってしまったけど。よく笑う彼のまま若くなると、こうなるのね。
「ずるいわね。私は何年も離れていたのよ?」
「寂しい思いをさせた。私があとならよかったんだが」
「ほんとよ」
女性の方が平均寿命が長い。仕方がなかったのかもしれない。
「あれからね、フィアローヌが自宅へ呼び寄せてくれたの。そこで暮らしていたわ」
「そうか」
「何も不自由はなかったわ。思うようにならない老いた自分の体以外わね。私……聞いたの。私、ちゃんとお母さんらしくできていたかしらって。ずっと不安だったのよって」
「ああ」
「自慢のお母様だっていつも言ってるでしょうって。大好きなママよって笑ってくれたわ」
「そうだろうな。私から見てもそうだったよ」
「歳をとるほど少女になっていくようねとも言われてしまったわ。やっぱり心細さは表にでてしまっていたみたい」
「ははっ。そんなお前も見たかったな」
アリスの家に前の世界で何度かお邪魔したことがある。すごくお互いの距離が近くて、羨ましくなってしまうから外で会うことが多かった。ふと思い出して比べると、やっぱり私は上手くできていないんじゃないかって思ってしまったけど……。
「ヴェルファードもよく訪れてくれたわ。あの子は甘えっ子だったけれど、立派になったわね」
「ああ、ありがとう。よく頑張ってくれた」
すぐに返ってくる反応が嬉しい。あの頃と同じ眼差し……私も歳をとって丸くなっていた。若かった当時の自分を、また思い出させてくれる。
「でもね、ヴィンス」
「ん?」
「もう全部どうだっていいわ。だって目の前にあなたがいるもの。私は世界とあなたなら、あなたを選ぶ女よ。もう今しか見えないわ」
「ふっ……」
昔のように悪ぶって笑ってみせる。見せかけだけだ。彼のお陰で捨てられない大事なものだらけになった。彼もまた、不敵な笑みを浮かべてくれる。
「私だってそうだ。世界なんて滅んだって構わない。お前に特別だと思われたまま死ねるなら本望だってな」
ここは不思議ね。当時の自分も老いた自分も等しく思い出せるわ。
「望みが叶ってよかったわね」
「ああ。それに、世界と私の両方が天秤の片方に乗っていた。両方救われた」
「……もう片方の天秤には何が乗っていたのかしら。そうね……破滅願望かしらね。それは簡単に捨ててしまったわ。私のアイデンティティだったのに」
「ははっ」
ヴィンスとする他愛もない話が嬉しい。もうきっとこれが最後だ。取るに足らない……でも何にも代えがたい時間を過ごす。
時間なんて概念は、ここにはないのかもしれないけど。
ふと、この部屋の違和感に気づく。扉が見覚えのない形をしている。あの扉は知らない。私がそちらを凝視するとヴィンスも気付いたようだ。
「ねぇ……ヴィンス」
「ああ」
「私たちの、あの世での再会にしてはこの場所は少し、なんというか……何か違うと思っていたのよ」
「そうだな」
「普通はね、この世から完全にさぁいなくなりましょうって扉だと思うのよ。記憶にないし」
「あ、ああ……言い方がお前らしいな」
「でもあれ、違う気がするのよね」
「私もそう思う」
もしかして……もしかして?
「行くか?」
「そうね」
あの扉は……気軽に開けてもいい気がする。ヴィンスと手を繋いで、そこへと向かう。
「もう……開けてもいいかしら」
「そうだな、それはお前の役目だ」
魔女がいない。
それなら、親友へと続く扉を開けるのは――。
私に決まっているわよね?
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