第36話 夢咲愛里朱・時を越えて

「それじゃ、ヴィンセントちゃん。セイカちゃんを連れていくわぁ〜。すぐに戻るわねぇ」

「……ああ。セイカ、後悔がないようにな」

「ええ、待っていて」

「ああ」


 ヴィンス感覚では一瞬でしょうけど……。


 私は今から七百年の時を戻る。アリスに会うためだ。場所は魔女の住む森のコテージからにしてもらった。アリスが召喚された場所……オルザベル辺境伯領の森の一角にあるコテージだ。魔女の力によってこのエリアは魔獣も来ないし人にも認識されない。


 魔女と共にコテージから外に出る。


 先ほどと違って森が青い。まるでオーロラのように目の前に薄い青が広がっている。淡い光が空へと立ち昇っていく。


「これは?」

「結界よぉ〜。他の人間に気付かれないようにねぇ」

「……そう」


 魔女はどこからでもワープさせることができる。だから自室からでもよかった。でも、私はなんとなくアリスが待っているのと同じ場所からにしたかったので連れてきてもらった。ここは……昔から変わらないらしいから。


 唾を飲み込む。


 これがアリスに会う最後……そう思うと今すぐに泣いてしまいそうだ。最後なのに心配させてしまう。だから……昔の私を思い出す。昔なんて言っても、一年も経っていないけど。


 毎日受けるつまらない授業。いきなり当ててくる英語の先生や、全く当てずに御経のように抑揚のない声で話すだけの理科の先生。どうでもいい他人を見る目しかしないクラスメイトの女子。緊張した顔を見せるだけの男子。居心地の悪い自分の家。全部全部捨ててしまいたい世界の中で、唯一話していて楽しかったアリス……。


 今日の私は、召喚された日に着ていた服だ。胸元だけが赤いハイウエストの姫風ドレス。もしかしたらアリスも見覚えがあるかと思ったから。そこに金の十字架がたくさんあしらわれた黒の薄い羽織りを着ている。今はヴィンスのピアノの影響で黒と青が基調の服が多いけれど……今日は召喚日の服に合わせて赤い薔薇の髪飾りもしている。エクステはつけていない。髪は紫のままだ。


 指の付け根や手首に黒のフリルがたくさんあしらわれた手袋をキュッと上に引っ張った。指輪を隠すためだ。日記や手紙に指輪の記述はなかった。アリスなら左手の薬指に指輪をはめていたら、真っ先に食い付きそうなのに。

 つまり、知られない方がいいということだ。日記を渡された時にはまだ指輪をしていない。「指輪をしてたな〜」なんて私の未来予知を書かれたら、その部分が読めなくなった過去に書き換わってしまう。


「……行くわ」

「分かったわぁ〜」


 アリスの前では、最大限に私らしくありたい。ドクンドクンと鳴る心臓の音を感じながら、その瞬間を待った。


  ★☆★☆★


「セイカ!!!」


 懐かしいその顔で、幼馴染が私の名前を呼んだ。コテージの一階テラスのベンチの側にいたらしい。そのまま泣きそうな顔で走ってくる。


 まずい!

 私も早速大泣きしてしまいそう!


 咄嗟に強い風を魔法で起こす。倒れない程度のだ。アリスが驚いて止まるのを見て、余裕ぶった顔で微笑んでみせる。


 もう会えない。

 これが最後だ。

 それなら、アリスが心配しないように今の私を見せてあげるわ。


 ――ふわりと高く浮く。


 ますます風を強め、猛り狂った嵐でもきたかのように木々が激しくざわめく。咄嗟にアリスが光をまとって自分への衝撃を弱めた。……さすがね、聖アリスちゃん?


 手を広げ、ますます激しくなった風はコテージを揺らす。……壊れても魔女がなんとかするでしょう。


 精霊と似た甲高い声を発する。彼らへの合図だ。呼応するように精霊がどこからか現れて、同じような音を出して消失する。


 アリスが笑ってくれた。昔と違って、アリスの服は婚約者の男の子の趣味で水色のロリータ服だけど……私のことを大好きって顔をしてくれる。自惚れかななんて思っていたけど、あの日記を読んだから分かる。私たちは本当の親友だったんだ。


 だから、私はかつてのように話す。あの時の声色であの時の私らしく――。


「来たわよ、アリス。七百年の時を飛び越えて、あなたに会いに来たのよ」


 ぞくぞくする。

 そうだった、私はこうだったんだ。


「魔王によって滅ぼされるはずの美しい夢を壊しにこの世界に喚ばれてあげたわ。愛の沼に墜ちたあなたを嘲笑いに来たのよ。んっふふふふふふ……っ。ねぇ、アリス。面白いわよね、悪意が目に見えるなんて最高の世界よね。欲深い人間の成れの果てが魔王だとしたら、それに滅ぼされてこそ救いが訪れるのではないかしら。束縛から解き放たれる手段があるのに、その夢をこの私に壊されてしまうなんて、可哀想な世界。闇を砕いて新しい闇を私がつくりだしてあげるのよ」


 変わらない。私がこんなことを言っても嬉しそうにしてくれる。何も変わっていない。


「踏みにじられる希望、突然の悲劇……生きている限りあり続けるのに、どうして人は生に囚われてしまうのかしら。混沌たる闇から生まれる狂気に満ちた魔王の欲に壊されたいと思ってしまうのは私だけかしら。己の無力を感じながら無惨に散らされるのも本望ではないかしら」


 無数の水の珠を周囲に生み出してジュワジュワと湯気を出して消失させる。火の魔法も使っている。せめて闇でも生み出せたらよかったのに。


「強欲な人間がますます強欲であるための手助けをしてあげることの意味は? アリス、あなたなら分かるのよね」


 アリス――、あなたならどうした? 聖女としてあなたが召喚されたなら、何を考えて人々を助けた?


「そんなの決まってる! 人間に欲がなかったら、つまらなさすぎて神様が壊しちゃうからだよ。最高に欲深く、ここで生きようね。会いたかった、セイカ!」


 あふれる涙もそのままに、笑いながらアリスが勢いよく宙に浮いて飛びついてきた。


「ふふっ。変わらないわね、アリス」


 なんて――、なんて変わらないのだろう。私の話を楽しそうに聞いてくれて、たまにこうやって茶化してくれて、でもすごく愛情が感じられて――。

 

「セイカは微妙に話し方変わってない? そこまでお嬢口調じゃなかったよね。多少お嬢だったけど」

「久しぶりに会ってすぐの話題がそれ?」


 まるで昨日も会っていたかのようだ。明日も明後日も当たり前に会えそうな気さえする。


「もっと落ち着いて話そうよ、セイカ!」

「ええ、そうするわ」


 私も、早く話したい。泣いてしまうかもしれないけれど……。でもその前に、レイモンド様にご挨拶をしなければならないわね。アリスは彼も連れてきたようだ。


 クリスマスの絵本と同じ赤茶色の髪と瞳になったアリスに微笑むと、スゥッと大地へと降りて、金色の髪に赤色の瞳のアリスの婚約者――レイモンド・オルザベルの元へ歩く。

 

 なるほど、確かにアリスが日記に書いていた特徴と合致する。アリスを溺愛している彼は、ヴィンスと違って他の男性を選ぶ可能性を潰していくタイプだ。童顔で可愛い系の顔なのに、雰囲気はふてぶてしくチャラくキレたら怖そうにも見える。それでいて実は純粋ですぐに泣いて悩んでしまうような面もあり……アリスは苦悶系男子と日記に書いていた。


「お初にお目にかかりますわ、レイモンド様。アリスの親友、セイカ・ツキシロですわ。お会いできて光栄です」

「初めまして、こちらこそ聖女様にお会いできて光栄ですよ。レイモンド・オルザベルと申します。その名前を用いているんですか?」


 こんな名字の人はいない。アリスは、アリス・バーネットという偽の名字を用いていたらしい。

 

「ええ。聖女とされていますし、ツキシロでも問題はないかと思いまして。それから……楽に話してもらって結構ですわ。お二人のご関係は知っています」


 意味深にアリスに笑ってみせる。これくらいならいいでしょう。わざわざ二人の親密具合なんて説明してもらっても仕方ないしね。


「そう? それならそうさせてもらうよ。積もる話もあるだろうし俺はいないものとして話してもらって構わない。席を外した方がよければそうするよ」

「いいえ、いてくださるかしら。いないものとは……してしまうかもしれませんけれど。驚きませんのね、さっきのを見ても」

「ああ。君のことは知っているからね」

「ふふ、そうでしたわね」


 彼は長い間、アリスを水晶球で覗き見し続けていた。アリスの寿命の前日まで何年もだ。罪悪感を持つと見られなくなるので、問題がない部分だけだったらしい。私とアリスが二人で会っていた時も、覗き見していたに違いない。


 私も彼のことをアリスの日記で知ってしまっているし、お互い様だと思っておこう。


「七百年ぶりねぇ〜、アリスちゃん」


 あれ。まだいたのね、魔女。

 

「私にとっては、さっきまで会っていた魔女さんと変わらないかな……」

「そうよねぇ〜」


 ……親しそうね。


「大好きな魔女さんのままだよ」

「ふふ、ありがとう」


 ……さすがアリスね。魔女とまで、仲のいい友達のよう。誰とでも仲よくなれるものね。そう……魔女ともそうなったの。

 

「じゃ、建物内に入ろう!」

「ええ」


 少し寂しくなったけれど、アリスが当たり前のように手を繋いでくれたので、ぎゅっと握り返した。

 

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