11 論争

 扉を叩く音は打ち破ろうとする勢いで、二人で目を示しあわせてしまう。

 夜盗の襲来を期に付け替えた鍵が壊れてしまいそう。出たくはない気持ちもあるけれど、そうにもいかないみたい。ため息を我慢して手をのばすと、大きな手に掴まれた。

 目で下がるように語った旦那さまが鍵を開ける。


皇帝パーミンジャーの御子に愚行をさせるとは! 覚悟なさい!」


 はじき飛ばす勢いで甲高い声が響き渡った。隙なく巻いた大巾スカーフヒジャブを憤怒で揺らし、旦那さまの姿を見ても、決して怯むことはない。


「何を考えているのですか! 上に立つ矜持を育てねばならないのに、下々のすべきことに教えを請うなんて。しかも、礼には黄銅にせものを配ったというではありませんか。あなたは妻の躾もできないのですか!」


 荒れ狂う激情にめまいを感じた。旦那さまの背中ごしに聞いているだけで、頭を殴りつけられるよう。夫人の言葉を聞き入れている彼の心労を考えると胸がするどく痛む。

 怒りに任せていた声色が一変して、悲嘆に暮れる。


「本当に、星にしか能のない人ですね。王族たる誇りも責任も持たず、ただ息をしているだけ」先帝もすぐに見限ったではありませんか」


 わたくしは最初からわかっておりましたよ、ともったいぶった口が続ける。


「あの女が間違いを犯した、ってね。皇族に名を連ねなくてよかった、と皆言っているのですよ」


 旦那さまは言い返さなかったけれど、わたしは気付いてしまった。

 きれいに広がっていた星図がわずかに歪んだことを。

 旦那さまの望まないことだとしても、我慢できないわたしは前に出た。旦那さまののばしてきた手に気付かなかったふりをして、顎を引き胸をはる。

 好きなだけ蔑んでいたはずの夫人は、消えかけていた火に油がかかったように表情を激変させた。眦をつり上げ、声高にまくし立てる。


「恥ずかしげもなく前に出られるなんて、なんとまぁ、愚かな小娘だこと! 皇子に料理をしようと持ちかけたのはお前ですね。隠れて何をつまんでいるのかと思えば、自分で作ったパンだと言うではありませんか。皇族が下々の仕事を奪ってはなりません。しかも、黄銅にせものを渡して――」

「わたしへの言葉はいくらでも聞き入れましょう」


 流れを断ち切り静かに告げれば、勢いを削がれた夫人は眉をしかめる。

 その顔は、見覚えがあった。罵倒してきた族長の息子と同じく、彼女は自分が正しいと思い込んでいる。

 きっと、何を言っても響かない。わかりきっているのに、あの時と同じようにわたしは口を開く。


「あなたの正論を、皆の正論のように言われるのはやめていただけませんか」


 わななく口が言葉を形にする前に、鋭く切り込む。


「夫人が言われたように、料理をすることは下々の仕事を奪うことになるかもしれません。しかし、旅先で嵐にあい、一人になった場合、火も起こせないようでは生き残れません」

「そうならないように勤めるのがわたくし達の役目ではありませんか。起こらない事態に備えても意味がありません」


 鼻で笑うように弾かれたけど、わたしは握る手に力を込める。


「生かすために守ることも大切なことですが、生き残るために育てることも必要ではありませんか」

「どうして、そんなにも死を恐れるのですか。神は、死は終わりではないとおっしゃっているのに」

「では、仮に皇帝と皇子が見罷われたら、どうなるのでしょうか」


 理解ができないと嘲笑われた。


「神は俗世を見ているのです、今代の皇帝パーミンジャーが見放されるわけがありません」


 では、と息を整える。首を跳ねられるのではと冷静な自分が目を細めるが、知ったことではなかった。

 優しい家族をさげずまれ、黙っている口なんて持ち合わせていない。


「王は、この世に生まれ落ちた時から『王』でしょうか」


 聞かなくてもわかった。夫人の顔は、何を馬鹿なことをとあからさまだ。幼い頃から何度も見てきた。盲信に捕らわれ、考えることを止めた人。

 幼い記憶に引きづられないよう、揃えた両手を固く結ぶ。


「確かに、黄銅は金ではありません。金を本物と言うならば、偽物と言われるものでしょう」


 しかし、と息をついだ。堰を切った想いは止まらない。


「銅は金ではありませんが、他の力を借りて、同じように輝くことができます」


 言い切った。言い切ってしまった。

 一人だけ味わう達成感なんて、夫人と変わらないはずなのに、気分は晴れ晴れとしていた。

 呆気にとられていた夫人が深く眉間にしわを刻む。


「金は金、王は王。神である王をものと同じように扱うところから間違いなのです」

「サネム!」


 さらに言い募ろうとした夫人の口を止めたのは、ターバンを手に持つ皇子だった。朝日を照り返す銀髪は絹糸のよう。

 殿下のみっともない姿に、夫人は声なき悲鳴を上げた。有無を言わせず、皇子を抱えるようにして皇宮へとかけていく。

 二つの背中を見送ることしかできない。あまりにも呆気ない終わり方に呆然としてしまう。


「元気のいいこと……」


 夫人に眉をひそめそうなことを呟いても、誰にもとがめられなかった。

 横に並んできた旦那さまを見上げる。


「すみません、でしゃばってしまって」


 シルフィは私の星だ、と言ったのが先か、旦那さまの姿が星鹿ユルドゥスゲイキになるのが先か。

 旦那さまの服が蹄にまとわりつくように落ちて、星の布が背から足を覆った。

 ちょうどいいですね、という言葉は喉の奥にしまう。

 だって、彼の瞳がもの悲しそうに伏せられたから。下がった耳を撫で、少しだけ腰をかがめる。


「お話はまた、聞かせてくださいね」


 ラピスラズリの瞳が眩しそうに細められた気がした。



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