06 夕餉
日が傾き、殿下が
夕餉を作り終え、星屑の間と呼ぶことにした三階の部屋の扉を叩く。
「旦那さま、夕餉の準備が整いました」
しばらく待っても返事がないので、鍵を取り出した。数日前、旦那さまが現れなくて待ちぼうけをした時に渡されたものだ。寝ていたら起こしてくれ、という言葉も添えられて。
「旦那さま、入りますね」
扉を開ければ、うす暗い闇の中で人の姿で寝息をたてている旦那さまが転がっていた。散らばった星図よりも肩身を狭くして、壁際で寝ている所が彼らしい。天球儀と
旦那さまと同じ、香ばしく、どことなく苦くてほのかに甘い香りが漂っている。香水ではない様子から、何かの移り香だということしかわかっていない。何だろうと探すのが楽しいから、まだ聞くつもりはないのだけど。
毎晩、星を読む旦那さまはこの世界で、よく溺れないなと感心してしまう。むき出しの肩が寒そうなので布をかけ直してやり、驚かせないようやさしく声をかける。
「旦那さま、夕餉が出来上がりました。いただきましょう?」
起きない。
腰をおろし、耳元に口を寄せて声を少しだけ大きくする。
「今日はピーマンの
起きないので、耳を軽くひっぱる。
全く起きそうにないので、腕の長さを測ることにした。親指から人差し指の長さを使って、三つと半分ちょい。ついでに肩幅もと手を伸ばし指で触れてしまった。
身じろぎをして、しばらく静かだった――けど、眉間にしわが寄り、ラピスラズリの瞳が顔を出す。
残念、と心の中だけで呟いて、寝起きの旦那さまへ笑いかける。
「おはようございます。よく眠られましたか」
「……おはよう」
返ってきたのは寝ぼけた声だ。
流れ落ちた髪で人の姿であると気付いた旦那さまは居住いを確認されて、息をつく。夜よりも深く黒い髪をかきあげながら、体を起こすので布が肩からずれ落ちた。筋ばった鎖骨から肩に流れる髪は夕陽に照らされて、一瞬のきらめきを捕らえる。
こんなにも美しい色に、何色を合わせようか。旦那さまが考え込んでいることをいいことに、密かに想像をふくらませた。
額を押さえていた旦那さまの瞳がこちらを向く。
「帰ったのか」
「はい。明日も来られるそうです」
そうか、と吐息をこぼした旦那さまは布を引き上げながら立ち上がった。
旦那さまの後ろをついて行きながら今日のことを報告する。
「最初に一緒に料理をいたしました。火も刃物も扱ったことはないようですが、特に抵抗はないようです。ある程度の勉学は詰まれていますし、記憶力もひらめく力もお持ちで、もう箱を開けられました」
「箱?」
旦那さまが扉のノブに手をかけられて、不思議そうな顔で振り向かれた。目線だけで話を促した旦那さまは二階へと降りていく。
「勉強は一人でもされる様子がうかがえましたので、知恵をお教えしようと思います」
恐らく、殿下に教師は必要ない。勉学に対する姿勢はお持ちなので、経験と確固たる自信を持たれたら、さぞ立派な方になられるだろう。旦那さまに届いた手紙が誰からのものかはわからないが、導き手を求められているように感じた。
興味深そうに目を細めた旦那さまが絨毯の上に腰をおろした。彼が落ち着くからと言うので、床で食べるようにしている。
食事を取りながら、箱のいきさつを伝えた。
端に置いた
「
「もう開け方がわかりましたか」
「星の生まれた順番だろう。誰でも知っているが、案外、間違えて覚えている者が多い」
触りもせずにからくり箱の模様だけで読み取ったところは、さすが神官の役職を担っているだけはある。
口伝で受け継がれてきた
ゆ 食事を終えた旦那さまは手を綺麗にされた後、
「駆けめぐる
押して、ずらして、上に持ち上げて――箱は開いた。中身はない。
旦那さまは嬉しそうな素振りも見せずに箱を置いた。たてた膝に手の平を置き、はさむように顎がのしかかる。
まだ、宵の明星は輝いていた。
流れ落ちた髪の隙間から、目だけがうかがってくる。
「開けるだけが、知恵ではないだろう」
ラピスラズリの瞳に悪い顔をするわたしが映っていた。
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