兄妹

フレイルはマルテが用意してくれた客室のソファに座り緊張の糸がぷつりと切れた。ぐったりとソファに寄りかかり旅の疲れとレッドグレイブ家への緊張からくる疲れを癒やしている。

 幸いな事に客室は飾りっ気のこそないが至って普通であり、窓から小さい事以外不満は無い。

「ふーとりあえず一日目の視察は終わったわね」

「この後食堂で夕食を取り今日の業務は終わりとなります。明日は兵士の訓練を視察してその後昼食を取り、王宮に帰ります。到着は夜中になりますがいいですね」

「それでいいわ」

 フレイルとソニアは予定を確認している中オーズとアーティはやる事も無いのでただフレイルの側で立っている。

「それでソニアから見て何か不審な所は無かった?」

 フレイルは急に真面目なトーンになった。

「私も久しぶりに来ましたが特に怪しい所は無かったです。それに少し歩いただけではなんとも。教徒はレッドグレイブ領を通り過ぎただけかもしれませんし」

「うーん、馬車の移動中も襲われてなかったし」

「そもそも、街の中へは簡単に入れませんので」

「じゃあ無駄足だったかな」

「食事の席で姉上と兄上に聞いてみましょう。手紙で調べる様に伝えてありますので何か情報があるかもしれません」

「そうね、王族である私の誘拐と言う大事件だったもの。レッドグレイブ家も血眼になって捜査してるはずね」

 部屋でしばらくくつろいでいると屋敷の執事が扉を叩いた。

「どうぞ」

 フレイルが返事をすると扉が開かれた。

「夕食の準備が整いました。どうぞ食堂までお越しください」

「分かりました。今から向かいます」

 フレイルは立ち上がり部屋から出た。執事の案内で食堂に向かう。

 食堂に着くとマルテともう一人大柄な男が既にいた。

「お初にお目に掛かります、フレイル・スウィンバーン姫殿下。私がレッドグレイブ領の領主、ギースリー・レッドグレイブです」

 三十歳程の男性で赤い長髪に褐色の肌をしており、その目は鋭く強者の風格がある。そんなギースリーは左手が無かった。

「今日は急な視察を受け入れて下さり誠にありがとうございます。大変実りのある視察となりました」

「恐縮でございます。さあ、どうぞお座り下さい。直ぐに夕食が運ばれてきます」

 フレイルは席に座り夕食が運ばれてくる間ギースリーと談笑した。

「ところで手紙に書いてた件については何か分かりましたか?」

「それが街に不審な人物が入ったと言う報告も無く、姫様の望む様な情報は得られませんでした。期待に添えず申し訳ありません」

「いえ、ありがとうございました。ギースリーも忙しいでしょうに突然の調査にお手を煩わせて」

 報告は残念だが仕方ない。フレイルは切り替えて夕食を楽しむことにした。その後料理が運ばれて夕食となった。

「お見苦しいですがお許し下さい」

 ギースリーは右手でフォークを持った。ギースリーの下に運ばれた料理は全て細かく切られており、ナイフで切り分けなくても食べれる様になっている。

「いいえ、民の為に身を犠牲にして戦った証です。何も恥じ事はありません」

 フレイルはギースリーに微笑んだ。

 今日は夕食はフレイルの希望でソニアも参加していた。テーブルにはフレイル、ソニア、ギースリー、マルテが座っており、オーズとアーティはフレイルの後ろに立っている。

 フレイルがいるがソニアにとって久しぶりの家族の団欒である。

「ソニアはどうでしょう、護衛騎士として相応しいですか?何やらこの前の誘拐事件では側に居たにもかかわらず姫様を危険な目に合わせたとか」

「そうね、姫様が無事だからよかったものの何かあったらその首を切り落とさないといけないわ」

ギースリーの質問にマルテは物騒なことを言ってる。ソニアも己の甘さを痛感してるらしく何も言えない。

「いいえ、ソニアは私の為にいつも傷付きながら戦っています。私にとって最高の騎士です」

 フレイルは本心からそう言った。決してソニアに気を使うだとか、庇う等の意図は無い。

「姫様がそう言うなら。ただもしソニアの腕に疑問を持たれたならいつでも報告して下さい。領に連れて帰り再教育します」

「そうね、王都とも近いし定期的に私も会いに行こうかしら」

 ギースリーとマルテは笑いながら言ってるがその目の奥は酷く冷たい。ソニアは昔の訓練を思い出したかの苦笑いをして何も言えないでいる。

 オーズは日頃ソニアから手ほどきを受けているが本当に辛い。そんなソニアが怯えていると言う事はどれほど恐ろしい訓練が待ち受けているのかオーズは想像するだけで恐ろしかった。

「そちらの騎士殿もどうぞ一緒になって鍛えましょう」

 ギースリーは威圧感ある笑顔でオーズを見た。

 ――あれ?もしかして俺も参加させられ流れになってないか?

「は、はい。是非……」

 内心とは裏腹にオーズは承諾してしまった。断れる空気では無かった。

 そんな緊張感溢れる微笑ましくも穏やかで殺伐とした夕食は滞りなく終わり客室に戻った。

 客室では怯えたオーズがソニアに縋り付いている。

「訓練って死なないのですか?ソニアさん!」

「大丈夫だ、少なくとも私はかろうじて生きている」

「かろうじてって何ですか?ギリギリ死ねるって事ですか?」

「まあ、私と一緒に乗り越えよう」

 ソニアも少し怯えた表情でオーズに話している。ソニアでさえもマルテとの訓練は恐ろしいのだ。

「ソニアのお兄さんに初めて会ったけどすごい迫力ね」

「そうですね、座っていても私より大きかったです」

 フレイルはアーティと二人を無視してお喋りしている。

「マルテさんも怖かったけどお兄さんも大丈夫なんですか?殺されたりしませんよね?」

「安心しろ、兄上は武人には厳しいが市民には優しい立派なお人だ」

「って事は俺は武人じゃないから大丈夫って事ですか?」

「いやオーズも護衛騎士だから武人扱いだろう」

「何も安心出来ないじゃないですか!」

 何一つ解決しない二人のやり取りをフレイルとアーティは「可哀想だなぁ」と思いながら眺めていた。

 

 翌日、フレイルは兵士の訓練所の視察に出た。今日は屋敷から歩いて城壁沿いにある訓練所に向かう。

 昨日は代理として案内役はマルテが務めたが、今日も引き続きマルテが務める。二日続けて同じ話を聴かせない為の配慮らしい。

 昨日より少なめの兵士で警護しながらの移動により市民達の距離は少しだけ近くなっていた。

「姫様ー!」

 一人の市民が興奮して近付き兵士に止められている。そんな市民にもフレイルは手を振った。

 すると更に多くの市民が近付こうと押し寄せて兵士達が慌てて抑えにかかる。

 フレイルが街中に出ると度々この様な騒ぎは起こる。特にフレイルが出向かない街では一目見ようと人で溢れかえるのだ。

 兵士達が市民に気を取られてその時にフレイルの後ろから男が走ってきた。手にはナイフを持っている。

 その姿を見たソニアとオーズは直ぐに反応した。オーズはその場で土下座をしソニアは剣を抜き男を切り捨てた。ソニアとマルテはフレイルの側で次の刺客が来ないか警戒した。

 一瞬の出来事に何が起きた分からない市民達は血の流し倒れる男を見て叫び声を上げた。そして我先に逃げ出して行った。

 兵士達は直ぐにフレイルを囲み万全の体勢を整えた。よく訓練された兵士である。

「そのまま待機!」

 マルテが叫び周りを見渡す。しかし次の刺客はいつまで経っても来ない。

 ソニアは自分が切り捨てた男を見た。男の手には何か握られており、それを口に運ぼうとしている。

「その男を拘束しろ!」

 ソニアが叫んだ。男の体からドス黒い瘴気が溢れ出した。メキメキとその姿は変わっていき、男は翼が生えてた異形の怪物に変身した。

 のだが兵士達は変身途中から槍で滅多刺しにしている。

「待て!待て!まだ終わってない!今は変身してるから!もう少し待て!痛いから!」

 怪物は何かごちゃごちゃ言っているが兵士達は止めない。

 ようやく瘴気が止まり変身が終わった時は怪物は既に満身創痍であった。その状態になると槍は通らない為兵士達は距離を取った。

「はぁはぁ、よくもやってくれたな。ここから地獄を見せてやろう。俺は邪竜教のドナルドル・ルドルドルフだ!ここでフレイルを殺して邪竜様への手土産にしてやる」

 そう言いながらフラフラの怪物から瘴気が漏れ出した。その瘴気を見て怪物は慌て出した。

「まだ変身したばかりだろ!くっ!変身途中に攻撃を喰らいすぎたか!ちくしょう退散だ!」

 怪物は勝手に一人で盛り上がって、勝手に帰ろとしている。

 翼を大きく広げて飛び上がった。こうなってしまったら兵士の槍は届かない。

「弓を」

 マルテが命令すると兵士の一人が弓矢をマルテに渡した。渡された瞬間マルテは弓を構え怪物に矢を放った。まるで迷いの無いその所作は美しく、放たれた矢は怪物の翼に直撃した。

「ぐあ!俺は!ドナルドル・ルドルドルフだぞーー!!」

 そう叫びながら怪物は墜落していった。

「拘束しなさい」

 兵士達は怪物が落ちた地点に走って向かった。

 マルテはフレイルの方を向き頭を深々と下げた。

「申し訳ありません。我が領でこの様な失態を」

「いいのです。私は無事ですし。兵士達は皆勇敢に戦っていたではありませんか」

「ありがとうございます。ただ……」

「ただ?」

「オーズさんと言ったかしら、そちらの護衛騎士は?」

 マルテは土下座をしているオーズを睨んだ。

「護衛騎士とあろう者が何故戦いもせず命乞いをしているのですか?」

 マルテはこれまで感じたことの無い威圧感を発している。

「これには深い訳があるのです!」

 オーズは土下座をしながら弁明をしようとしている。しかしマルテの表情は変わらない。

 そこにソニアが二人の間に割って入った。

「姉上!本当なのです!どうか怒りを収めて下さい」

「なら屋敷で訳を聞きましょう。ただ事によっては姫様の護衛騎士であろうと容赦はしません」

 これから屋敷に戻るのだがオーズは行きたくなかった。恐る恐るオーズは立ち上がるとマルテの他にレッドグレイブの兵士達からも鋭い視線を浴びせられた。

 ――いや、本当なんだって

 悲しいかな、オーズの心の声は誰にも届かない。

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