第12話 ミラの力とその心 2
まだ日が高いというのに薄暗い廊下をミラとギルバートは歩く。孤児院長の老人の後をついてきたが、先程までの子ども達の歓声が聞こえた場所とは違う雰囲気にミラもギルバートも口を閉ざす。病に苦しむ子どもがこの先にいるのだ。
「ここの領主であられるハワード侯爵は我々のような存在にも目を留めてくださる。それゆえ、なんとかこの孤児院も維持ができるのです。しかし、流石に魔術師や治癒師の恩恵はとても受けることはできません」
これから行く先に長く臥せっている少年がいる。その少年を付与の力で救えるのだろうかとミラの表情が緊張で強張っていく。
孤児院長である老人の話を聞いて、頭に浮かんだのがジルのことだ。
溌剌とした子ども達の姿を見たからこそ、長年臥せっている少年を思うと胸が痛む。ミラの中で付与の力を行使することに迷いはなかった。
「リード様にも御心を砕いて頂き、得られる現状の幸福に感謝すべきところなのですが日々、衰弱していくあの子を見ていると自分の無力さが不甲斐なく……」
「――まだ、どうなるか決まったわけではない。その子どもの状況にもよるだろう。あまり期待するな」
「……申し訳ありません」
期待するなと言ったギルバートに委縮したように孤児院長は下を向く。
だが、ギルバートの言葉にミラはハッとする。
今の彼の言葉はミラと孤児院長、二人のためにかけられたギルバートの優しさだ。もし、ミラの力で救えないとなれば、孤児院長もミラも落ち込むだろう。
そうならないように、事前に過度な期待をしないようにと孤児院長を収めたのだ。
少年を救いたい――そんな思いで孤児院長の言葉に応じてしまったものの、上手くいかない場合もあり得るのだ。
今までミラがかけてきた付与は小さなものばかり。ささやかな幸せがジルの商品を買ってくれた人々に訪れるようにとかけてきたものだ。
病を癒すような付与はジルを救ったあの時以来となるのだ。
ぎゅっと拳を強く握りながら、廊下を歩くミラの表情は強張るのだった。
「……こちらです」
薄暗い廊下の突き当たりにその少年の部屋はあった。
小さな窓が一つあり、そこから換気はしているのだろう。木のベッドに横たわる少年の顔色は青ざめ、呼吸はか細い。ほっそりとした横顔からも少年が痩せていることが伝わってくる。
その姿はかつてのジルの姿と重なり、ミラは胸が締め付けられるような思いだ。
「状態を見るためにも、あたしとリード様だけにしてくれませんか? どうか廊下でお待ちください」
少年を残してこの部屋を出ていいのだろうかと一瞬、迷った孤児院長であったが、ギルバートの鋭い視線に気付き、深く一礼をして部屋を後にする。
自分とギルバート、そしてベッドに横たわる少年だけとなった部屋で、ミラはふぅと大きく息をはく。
「どんな付与をかけるつもりなんだ?」
止める間もなく、ミラが引き受けた依頼だが、付与の力だけで病状を回復することが可能なのかギルバートは半信半疑である。
高名な付与師であれば出来るというが、目の当たりにしたことはない。また、その費用も莫大なものだという。
それを今からミラは、初めて会った少年に使おうというのだ。
ブレスレットにかけられた付与でミラの能力を実感したギルバートだが、これから彼女が行使するのはそれらの付与とはまた違う次元のものである。
「あたしが昔、ジルにしたことと同じことを試してみようと思うんです」
「そのときはどんな付与を?」
こじんまりとした部屋を見渡したミラは、納得したかのようにこくりと頷く。
「布団、枕、それから水ですね」
「……水にもか」
「はい。体を起こすことが難しいでしょうから、布団や枕。あとは飲み水にも付与をかけていました。それが今回も上手くいくかはあたしにもわからないんですが……」
ミラの言葉にギルバートは息を飲む。
付与をかけると言われて思い浮かべるものは身に着けるものだ。だが、ミラは液体である水を選んだ。
水は誰もが口にする者であり、体が必要とするものである。
かつて、付与師の中にもそれを行った者がいたと言う。しかし、自然界に存在するものに付与をすることはより難易度が高いのだ。今ではそれを行う付与師はいない。
水に付与できるミラの能力の高さ、そして自らその発想に行きついたミラにギルバートは感服する。
「まずは枕、そして布団、最後に水に付与をかけていきますね」
付与をかける行為は目に見えるものではない。
魔力を感知する能力が高いものでなければ、付与を実感するのは不可能である。
だが、長い歳月を魔力を求め、学んできたギルバートには魔力が目覚めることはなかった。しかし、魔力を見る力には長けているため、ミラの付与が確認できる。
リブルの街を訪れたのは不幸中の幸いであった。
でなければ、この希少なミラの能力に気付く者はいなかったはずだ。
ミラは言葉通り、布団、そして枕へと付与をかけていく。いつもより強い付与であることがギルバートにも確認できる。
弱々しいものであった少年の呼吸の変化が、ミラの能力を物語っていた。
「次は水ですね」
水差しに入った水に、ミラは付与をかけていく。
ギルバートはベッドの反対側へと向かい、少年の頭をゆっくりと起こした。水を口に含ませるためである。
口にそっと水差しを当てると、少年の喉がこくりと動く。
「……あ、少し飲んでくれましたね!」
閉じられていた少年の目がかすかに開き、長い睫毛が数度動き、瞬く。
ミラとギルバートは自然と顔を見合わせ、微笑む。ギルバートは少年を再びベッドへと横たわらせた。
少年が眠る姿はまるで健康な子どものものと遜色ないように感じられる。青ざめていた頬も、桃色に染まっていた。
安堵したミラもまた笑顔を湛える。薄茶の髪がさらりと流れ、焦げ茶の瞳は優しく少年を見つめている。
小さな窓から差し込む光がミラを照らす。その清らかな心と笑みに、ギルバートは神々しいものを見るような思いだ。
「あたし、もう少しここに通ってみます」
「――本気か? 付与の効果はすぐに消えないだろう?」
「でも、水への付与は必要だと思うので……」
水への付与はギルバートしても知識がない。
全ての生き物は水を必要とする――水への付与は多くの生き物を救える力なのだ。だが、まだその能力は未知数であり、どれほどの魔力量を必要とするかはわからない。まだまだミラの能力、そしてミラ自身を知る必要があるだろう。
「わかった。だが、その際は俺にも同行させてくれ」
「はい! じゃあ、院長先生を呼んできますね!」
そう言って笑顔を見せて、ドアへと向かうミラ。彼女のことを老人が聖女だと歓喜の涙を流すのをギルバートが宥めるのはあと数分後である。
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