『とびっきりのやつ』
そのまさかだった。
「
弱々しい声が雑木林に飲み込まれていく。地面に倒れ込んで泣き言を言いたい気分だが、ステラのことを思うとそんな暇はない。それに、こうしている間にも、先を行く雪花や天涅が、
話し合いで解決できるなら、それが一番いい。暴力は苦手だ。しかし、ことはそう簡単に運ばないだろう。そうなったら、後は逃げるか戦うか。逃げたら大会は絶望的。戦うにしても、相手はあの仙足坊をも従える神だ。分が悪い。勝機は鷺若丸の囲碁だけだ。
鷺若丸は今朝からずっと、この漆羽鬼神という神のことが気になっていた。
以前、
そもそも漆羽鬼神は何故、破壊活動を行ったのだろう。怪異としての本能がそうさせただけなのか。それとも別に理由があったのか。今になって勢力圏を広げようとしていることと、関係があるのか。そして、なにより引っかかるのは今朝、仙足坊が口走った一言。
――「執心されてしまいますよ。文字通り、千年に渡って、ね」
「よもや……」
その時、鷺若丸の視界を白い紙が横切っていった。ハッとなって顔を上げる。
「そなたは、天涅殿の?」
間を置かず、式神の後ろに巨大な狐が飛び込んでくる。
「手間をかけさせおって、この小童めが!」
「うおお、狐殿か? そのさまは初めて見るな」
「くっ、こんなくだらぬお守りのために、この姿を見せることになるとは忌々しい。ええい、早くせい。おのれは対漆羽の決戦兵器なのじゃぞ。自覚を持たんか! 不本意じゃが、背中に乗せてやる。急ぐぞ!」
「あはれ! 見事な毛並みだ!」
「ぐぬうぅ……、あまり撫でまわされると、噛み殺したくなる! 頼むから、妾の我慢の限界を超えぬよう、大人しくしておってくれ! よいな!」
彼女は軽く勢いをつけると、一気に走り始めた。全身をしならせ、優雅に、力強くアスファルトを蹴る。その速度に
鷺若丸は激しく動く背中の上で、振り落とされないよう必死にしがみつく。そして痛みを訴える眼を細めながら、わずか前方にある三角耳へ叫んだ。
「少し質問があるのだが! よろしいか!」
「舌を噛みたくなければ、後にせい!」
「いいや、今だ! 大事なことかもしれぬ!」
「……。なんじゃ!」
忌弧が少しだけ速度を落とす。
「狐殿は何歳だ?」
途端に忌弧は急ブレーキをかけた。踏ん張り切れなかった鷺若丸が、勢い余って飛んでいく。
「あなやー!」
顔面から着地した。またしても血まみれだ。そんな彼の頭に前足を乗せ、忌弧が目を光らせる。
「レディに歳をたずねるのは、万死に値する行為じゃ。以前にも言ったのう」
「も、申し訳なかった」
「……で、その問いの意図は?」
「漆羽鬼神の誕生について、知りたい。なんでもよいのだ。狐殿はなにか知らないか?」
「……」
鷺若丸が真剣だと分かったからか、忌弧はすぐに足を下ろした。
「その時代、妾は
そう前置きして、彼女は説明する。
「奴はとにかく大暴れして、この周囲一帯を無差別に破壊してまわった。相当な被害を出したようじゃが、自らの存在を誇示したいだとか、破壊を楽しみたいだとか、そういう感じではなかったそうじゃ。どちらかというと――」
「――悔しがっていた?」
忌弧の言葉が一瞬だけ止まる。
「うむ。現場を見た者は、まるで泣き叫ぶ駄々っ子のようだった、などと言っておったわ」
鷺若丸は滴る血を掌に握りしめる。予想が当たった。
「小童、おぬしまさか、あやつの正体に心当たりがあるのか?」
忌弧の問いに、鷺若丸は無言で頷く。おそらく、知っている。それは鷺若丸にとって、最も嫌いで、最も重要で、最も因縁深い敵だ。
騒ぎ出す鼓動を深呼吸で抑え込み、忌弧に頼んだ。
「狐殿、我を運んでくれ。……漆羽鬼神の正体は、
○
天涅は、結界破りの儀に取り掛かっていた。用意した御札を確かめ、清めた水を撒く。星座をなぞる足運びで、雪花から伸びる不可視の縁を探る。全身に不審な御札を張られた雪花は、腕を組みながら唸った。
「あのさ、これどんくらいかかるの?」
「小一時間」
雪花が慌ててスマホの時計を確かめる。
「八時十分! これじゃ受付に間に合わないじゃない。もっと巻きでやんなさいよ!」
天涅とて、時間がないことくらい分かっている。しかし、作業はそう簡単には進まない。
「結界の分厚さに対して、おまえたちの縁の強さが物足りない。どうしても時間がかかる」
「ちょっとなによそれ、あたしと漆羽様の絆がしょぼいみたいに言わないでってば!」
実際問題、雪花と漆羽鬼神の縁は、決して弱い繋がりではない。単純に、結界の強さが桁違いなのだ。攻略に小一時間かかるという予想も、当初の見積もりに比べれば相当良好なタイムだった。計画通りに、雪花と天涅の縁を使っていたら、いったいどれだけの時間がかかっていたことか……。鷺若丸という戦力を確保したにもかかわらず、漆羽鬼神攻略を即時決行できなかったのも、この強力すぎる結界のせいだ。
「とにかくなんとかしなさいよ!」
「なんとかしようとしているけど、どうにもならないことだってある」
しかし雪花の言う通り、このままでは大会出場は不可能だ。かといって、他の選択肢も時間もない。このまま時が過ぎていくのを、黙って見ていることしかできないのか。……その時だった。
「待たせたのう!」
巨大な狐がしなやかに飛び込んできた。忌弧が鷺若丸を連れて帰ってきたのだ。
「そなたらの大会を、どうにかできるかもしれん小童を連れてきてやったぞ」
忌弧の背中から鷺若丸がずり落ちた。彼は、フラフラ頭を揺らしながらも、人差し指を立てる。そして強い確信に満ちた目で、言った。
「狐殿から聞いた。縁を使い結界を通り抜けるとか。それなら、とびきりのやつがある」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます