陸:桜

『伊那高囲碁部女子チーム、結成!』

 後日、いつもの教材室前でステラはやきもきしていた。鷺若丸さぎわかまる雪花せっかから心配の目を向けられるほどの挙動不審だ。自覚はあっても、どうしても落ち着かない。碁盤や碁石の手入れに、普段以上の熱が入り、思わず口数も多くなる。


「ご存じですか? 碁盤職人さまは、この線を引く時に日本刀を使うことがあるのです。『太刀盛り』と呼ばれる技で、とても集中力が要るそうですわ。だって縦横十九本ずつも線を引くんですのよ! わたくしなんか一本だってうまくできる気がしませんわ!」

「ご存じですか? 最高級の白石には、材料としてハマグリが使われているのですわ。すごいのになると、ビー玉かと思うほどにコロコロしていて、打つのに不自由なくらいですの! まあ、この部の碁石は全部ガラスかプラスチックなのですが!」

「ごじょん――げほっ、げほっ、ご存じですか?」


 さすがに騒がしいと思われたようで、雪花が目を吊り上げた。


「あんたね、ちょっとは落ち着きなさいよ!」

「は、はい。落ちちゅいておりますわ」

「どこがよ!」


 幸い、それ以上の醜態をさらす前に、待ち人が姿を現した。小さな体に大きなボストンバッグを抱えた少女――天涅あまねだ。鷺若丸から大怪我をしたと聞いていたが、五体満足に回復していた。彼女はステラの方に向かってくると、不愛想に書類を手渡す。


「はい、入部届」

「……!」


 これにより、ついに伊那いな校囲碁部に三人のメンバーが出そろった。


 部長、桜谷敷さくらやしきステラ。


 半人半妖の雪女、銀木しろき雪花。


 そしてゾンビで陰陽師、土御門つちみかど天涅。


 これで三人――高校囲碁団体戦への出場条件が満たされた!


 書類から顔を挙げたステラは、滂沱の涙を流す。


「まさか本当に部員がそろうなんて……。わたくし今、とっても感動していますわ!」


 雪花は飲みかけの野菜ジュースのパックを弄びながら、気まずそうにそっぽを向く。天涅も無言だ。二人の間の空気は冷え切っていて、盛り上がりなどというものは皆無だった。


 それでもステラにとって、正式な部員が三人揃って活動場所にいるこの状況は、夢にまで見た待望の光景に違いなかった。彼女はふらつく足で鷺若丸の方に歩み寄る。


「夢ではありませんよね? 目を離したら全部なくなったりしませんわよね?」

「ステラ殿。書状が濡れてしまう」


 ステラはハンカチで涙をぬぐうと、全員の前に立った。


「みなさま、心より感謝します。これからは仲間として、一致団結して頑張りましょう!」

「……一致団結、ね」


 雪花は野菜ジュースのストローを噛み潰す。彼女は天涅の方へだらしなく身を乗り出し、虫歯を患う虎のような声で唸った。


「ま、そういうわけだから、仲良くやろうじゃない。土御門のクソ陰陽師」


 ボーっとしていた天涅の瞳が、一瞬で臨戦態勢になる。


「最初に言っておくけど、わたしは副将で、おまえは三将。わたしが上で、おまえが下だから」

「あんた、やっぱりケンカ売ってんでしょ?」

「仲良くやりましょう」

「遅いわッ!」


 睨み合う二人の前で、ステラは泡を食った。騒ぎを起こして、結成当日にチーム解散なんて、目も当てられない。スライディングで床に頭をこすりつける。


「お、おおお、お二方とも、落ち着いて。お願いですから、トラブルだけはご容赦くださいまし! どうか、どうかこれで矛を収めて!」


 差し出したのは万札だ。「金の力はあらゆる問題を解決してくれる」。母の言葉だ。


「仕方ない。半人の相手はまた今度にするとして、今夜は焼肉パーティを……」

「なに受け取ろうとしてんのよ!」


 金を拾おうとする天涅の腕を叩き落とし、雪花が怒鳴る。お叱りはステラにも向かった。


「あんたもこんな金、軽率に出すんじゃない!」

「ひゅいっ!」

「いい? あたしたちは囲碁のためにここに来てるの。あんたが囲碁部の部長だって言うなら、金じゃなくて囲碁でどうにかしなさいよね」

「……! は、はい……!」


 ふと後方を振り返ると、にやついている鷺若丸が目に入った。雪花もそちらに気付いたのか、冷たい視線で睨みつける。


「なによ、その顔。まさか、いいチームになりそうだ、とか考えてたんじゃないでしょうね」

「……」

「考えてたんだ」


 鷺若丸は咳払いして話題を変えた。


「……さるほどに、ステラ殿。始めの大会は、いつだったかな?」

「一か月後ですわ」


 ステラの答えに、雪花は追及の手を止め、黙り込んだ。囲碁を覚えたての彼女にとって、一か月という時間は、あまり猶予があるとは言えない。天涅も質問に加わってくる。


「敵の情報は? 参加校は何チーム?」


 ステラは表情を引き締めた。


「わたくしたちの県は穴場な方で、団体戦に参戦してくる高校はそれほど多くありません。女子団体戦はどこもチームを組むだけで精一杯ですから。わたくしの読みが正しければ、今年度の出場校は我々を含めても四校ですわ」


 スマートフォンを取り出し、メモ帳を立ち上げる。


「実は出場してくると思われる学校の様子は、既に調査済みですわ。一校目、県立水無川高校から説明しますわ!」


 ホワイトボードに向かって、ペンをとる。


「こちらの学校で注目すべきは新入生のエース、岸美崎きしみさきミサキさまの存在ですわ。昨年の中学生全国大会、個人の部で男子に交じって三位につけた実力者ですの。おそらくは彼女が大将として出場するはず。……ですがあとの二人、同じく一年の原岡はらおか露磨凛ろまりんさまと田場たば鏡子きょうこさまは、どちらも囲碁を始めたばかりの級位者です。勝機は十分ですわ」


 今回の大会における手合い割は、すべて互先、つまりハンデなしで行われる。純粋な棋力勝負になると仮定すれば、大将戦から三将戦まで、伊那高側が五分以下になることはない。


「どちらかと言えば厄介なのは次の――花ノ木国際高校ですわね。毎年のように団体戦に出場している古参校ですわ。メンバーは三年、松又まつまた牧絵まきえさま。二年、竹塔たけとうゆみさま。一年、梅辻うめつじジュリアさま。今年度は、飛びぬけた実力者が不在だそうですが、有段者が二人もいるそうです。三将も中級者だと聞きました」


 水無川高校と比較すると、平均的な実力が高く、穴がない。ステラが大将戦を落とすことはないだろうが、副将戦がおおよそ五分、三将戦では厳しい戦いが予想される。


「ですが、その花ノ木国際よりも、さらに恐ろしい学校がありますの……」


 雪花が唾をのむ。


「それは?」

「灰谷・聖導女子高校。メンバーは、三年、灯口ひぐちシノブさま。不知火しらぬいおぼろさま。二年、星薪ほしまきいのりさま。ここは三人、全員が……高段者の猛者ですわ」


 廊下を流れる風の音が、やけに強く聞こえた。

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