第24話 Q好みのタイプは?

 定期的に発生する休憩時間。

 アキは持ち込んだノートに流れてきた物の事を書いたり、別の紙に落書きをしたり、髪をいじったり……そして時折環に話しかけて暇を潰していた。然しこれが数十分単位となるとどうにも堪えられないらしく遂には席を立ちあがりベルトコンベヤと席を往復し始めた。環はそれを気にかける様子もなく、彼は彼でまた漠然と何処かを見つめているばかりであった。

 

「えっ……あ!あの人って!」


 そんな折にようやくベルトコンベヤが稼働する。同時に駆け出すアキ、半ば呆れ気味にその背中に視線を向ける環。普段であればアキに続いて渋々と席を立つ環だが、今回は思わぬ大声にびくりと身体を震わせた。

 人……人間?──死体が流れてくることは度々あるが、アキも死体程度では一々大袈裟な反応をしなくなっている。となれば彼女の知人か……という想像は視線の先で杞憂に終わる。ベルトコンベヤに乗っているのは人間どころか一冊の女性向けファッション雑誌であり、アキは表紙に写る人物にひどく興奮している状態であった。


「知り合い、なのか」

「知り合いってほどじゃないですよ。会ったのは今朝ですし。ロビーって言うんですか?暇だから施設の広い所をフラフラ歩いてたらいかつい黒服の人に挟まれたこの人と擦れ違ったんですよ」

「本当に……本当に此奴で間違いないか?」

「此奴って……。うーん……だってこんなインナーカラー芸能人でも中々見ないですし。長くて綺麗な黒髪にすらーっと背が高くて、写真で見るより肌が綺麗で、睫毛もバサバサでしたね。あと良い匂いがしました。先輩この有名人と知り合いなんですか?」


 環は質問の答えに困り果てていた。

 遠目からでも環は雑誌の表紙に写る人物の事が分かった。普段の数倍は渋々、鉛のように重くなった足を引きずるようにしてアキの隣まで歩いていくと腹の底から漏れ出すような大きな溜息を吐いた。こんな所でまで見たい顔ではない。

 眉のあたりで切り揃えられた髪、長く艶やかな黒髪と原色の青のペンキをぶち撒けたようなインナーカラー。同様に青い瞳、ネイル。睫毛が作る影。中性的な顔立ち──不敵な微笑み。

 自分の入社後に新人研修用のビデオでも作られていればこの女が数分でも写っていた可能性は有るのだが、アキの反応を見る限りでは何も知らないのだろう。


「それほど美人とは思わないが」

「そこは個人の好みあるでしょう。この人とどういう関係なんです?」

「関係も何もここの施設長、企業の代表。区の統治者みたいなものだろう」


 アキは興味津々と言った様子で手に取った雑誌の表紙と環の顔とを交互に見ては話しの続きを促してくる。隠しているつもりはないが、職場環境の事を考えるとどうにも環はこの人間の話をすることが気が引けていた──盗聴(彼等は公正な音声記録と言うだろうが)されていることは大前提として、さぞ多忙であろう代表様が仕事場の一つ一つのデータに耳を傾けているとは到底思えないが。環にはそうとも言い切れない心当たりがあった。仮にそうでなくともこの人間について話すことは気乗りしない。

 環は覚悟を決めたように一度瞼を伏せた後、アキと向かい合う。そうしてようやく表紙の人物がこの施設、延いてはこの企業の代表であること。更には地域の統治者であることを告げた。

 

「大物じゃないですか!いや一応、私の地元にも勿論いましたよ?祈院の院長。白くて長いひげを仙人みたいに垂らしてる皺くちゃのお爺さんですけど。こんなに若くて綺麗な人が重役だとは思ってなかったんです」

「お前が思うほど若くない。俺より年上だ」

「それでもきっと若いでしょう。凄いですね、裕福で、美人で、地位があって。実は先輩の元カノだったりしません?」

「断じて違う」


 まあ、一介のアルバイトと釣り合うような人じゃないですよね。

 ……アキは何かを勘違いしている。環は雑誌をパラパラと捲り、表紙の女──フレデリークのインタビュー記事を食い入るようにして眺めている。ちらりと横目で確認してみると私生活だのマイブームだのと自分が知っている「あの女」からはとても想像出来ないような単語が踊っている。

 一先ず内容に胃を痛める心配は無さそうである──と思った矢先にアキから痛い質問が矢継ぎ早に飛んでくる。恋人と誤解される事はただただ不快であった。アキの事だから自分が聞かれて困るような内容は聞いてこないとは考えつつもそれでも気が休まらない。さっさと流してしまいたいというのが本音である。


「知人ではある。此奴とは俺の友人経由で知り合う羽目になってな。前に話した名前をくれた友人と言えば分かるか」

「はあ」

「あまり良い関係とは言えないし、恋愛絡みではない」

「意外と複雑なんですね。ああ、フレデリークさん紅茶が好きみたいですよ」


 そんなもの知るかと言いたい気持ちは山々だが、環は嫌と言うほどそれを知っていた。砂糖は一匙、ミルクは入れない。現在であれば夏摘みのダージリンであろうか。今テーブルを挟んでお茶をしたら奴が何を淹れてくるかというところまで容易に想像がつく。お陰様で紅茶が嫌いになった。今は安物しか喉を通らない。

 とはいえそんなことをアキに話したところで懲りずに恋愛絡みだろうと突かれるのがオチだ。そんなものではない。

 この女の所為で──自分の隣人は、友は。今なおこの施設の何処かで自分達を見ているのだから。人のように床に足を付けることも出来ず、かと言って瞼を閉じて眠ることも出来ず。ただ延々と生きている。抽象的な概念だ。仮にこれについてアキに話すとしても現物を見せなければ納得させることは難しいだろう。既に彼女も恩恵に預かったことはあるのだが。


「まあ、苦手な人が上司っていうのは厳しいでしょうね。私は一目見ただけだから代表と先輩達の間に何が有ったのかまでは分かりませんけど」

「ああ」

「私も昔バイトですけど、店長が嫌な人だった時は仕事に行くの嫌だったから気持ち分かりますよ。職場で直接顔を合わせなくても同じ空間にいると思うだけでテンションが下がるんですよね。汚い部屋のゴキブリみたいな存在っていうか」

「理解出来る」

「先輩って人の悪口とかあまり言わなさそうだと思ってたからちょっと意外です」


 珍しく意見が合う。もっとも彼女が言っているのは別の人間の話なのだが、心境としては全く同じことだ。部屋の中に虫がいる、というよりかは自分達が大きな掌の上にいるような心地ではあるが。その気になれば軽く握り潰されてしまうのだから、気分のいいものではない。環は黙ってこくこくと首を縦に振った。

 今この瞬間だって奴の気に障れば天井が開いて何か降って来たっておかしくないのだ──もっとも長い目で見れば似たような末路を辿るのかもしれないが。残留するだけの理由が有る自分は仕方ないにせよ「本来であれば」アキのような若者にはさっさと資金と目標を掴ませて何処か遠くに行かせた方がずっといい。それが健全だ。



「一通りサラッとは確認したな」

「サラッとは。インタビュー記事はしっかり読みましたよ」

「他に読みたいところでもあるか?」

「いえ、特には」

「悪いな。長いこと傍に置いておきたくないんだ」


 アキは頭の上にいくつか疑問符を浮かべたような間の抜けた表情で力無くふらふらと自分の席へと戻っていく環を見送る。彼が記録をするのだろう。

 雑誌の中まで目を通した自分が適任だと思っていたばかりに、自分の答えを待たずに作業に移った環を見守ることしか出来なかった。

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