第20話 結婚式

「大学のお友達の結婚式ですか。スピーチされるんですね!それは緊張しちゃいますね~」


 愛想笑いをしながら、美容師の問いかけに適当に相槌を打つ。おしゃべりしながらも、手先は器用にするすると髪をセットしていく。定番のシニヨンで、所々パールのヘアピンを散らしてもらった。見た目が華やかになると、気分もなんだか浮ついてくるようだ。


 鏡に映った自分は、まるでいつもとは別人のよう。黒いレースのドレスが、顔のパーツを際立たせる。少し濃いめに引いたアイラインと、キラキラしたアイシャドウが効いている。口紅は暗めの赤。少し目立つだろうか?華やかな脇役として、充分な仕上がりだ。


 少し口角を上げると、美容師さんが可愛いですよ~と褒めてくれた。まあ、今日は気分が良い。自撮りをして、SNSに写真をアップすると、まあまあ反応も返ってきた。


 昼過ぎの日差しは、ちょうど良い暖かさで、暑くもなく寒くもなくとても過ごしやすい。今年の夏は暑かったが、残暑はそこまで続かなかった。九月らしい、結婚式日和のお天気に恵まれた。


 表参道のゆるい坂道を下っていく。ヒールのコツコツとした音が、石畳に響く。


 ふと、ショーウィンドウに映った自分が目に入る。サトルにワンピースを買ってもらった、あの日の自分を思い出す。あの桜色のワンピースは、ほぼ着ることもなく、クローゼットの片隅に吊るされたままだ。

 たかがワンピース一着で浮かれた自分は愚かだった。



 式場は駅からすぐだ。会場に近づくと、ドレスアップした人たちがぞろぞろと増えていく。みな同じような地味な色のワンピースで、同じような髪形をして、同じ形の小さなバッグをさげて。この浮かれた空気感だけで胸やけしてきそうだ。


 少し細い道を一本入ると、大きなチャペルが見えてきた。白くて立派なチャペル、大きな階段、豪華な花々で装飾された入口。急にヨーロッパにいるかのような雰囲気だ。


 会場に入ると、急にスピーチをするんだという実感が湧いてきて、少し口が乾く。

 大丈夫、書かれた原稿を読めばいいだけだ。心はどこか他人事で、お祝いムードに染まり切れていない。


 待合室では、すでにゲストが集まっていて、あちこちで歓談と笑い声があがっている。

 大学のサークルの友達は、他は呼んでいないと聞いている。ぼっち参加なので、誰か知り合いを探すでもなく、静かにスマホをいじって時間を潰した。




 時間になり、チャペルに誘導された。チャペルの中は、天井まで届く大きなステンドグラスが柔らかい日差しを通し、色とりどりに輝いていた。

 パイプオルガンから伴奏が流れると、扉が開いて咲桜とお母さんが入場してきた。


 真っ白なウェディングドレス姿に、笑顔を浮かべる咲桜。


 何か思ったわけでもなく、ただこの光景に自然と涙が浮かぶ。


 それはモデルや他の誰かが着るウェディングドレスと違って、さくらの心に重く響くリアルだった。


 あぁ、綺麗だな。おめでたいな。幸せなんだな……。


 ポジティブな言葉しか吐き出すことの許されないこの空間で、さくらは今にも窒息しそうになる。苦しくて、重くて、でも幸せで、嬉しく、辛く……。


 それは、港区のキラキラした仲間たちからは与えられることのない、圧倒的な幸せの重量感だった。


 いつから、どこから、わたしと咲桜は違ったんだろうか。


 ううん、いつからじゃない。最初から、私たちは違った。欲しい物を欲しいと言えて、それが届くところに置いてある人もいれば、一生届かない人もいる。声をあげることすらできない人もいる。


 でも、それだけじゃない。


 咲桜は、生まれた星まわりがとびきりよかった、というわけではない。努力家で、エネルギッシュで、ちゃんと自分で自分の道を開いてきた人だ。


 それは私が一番よく知ってるじゃないか。


 咲桜はすぐ隣にいたようで、いつも私の一歩先を歩いていた。そこが好きだったし、私の何かを満たしてくれていた。


 分かってる。分かってるよ。でも、今日は……。


 耐え切れず涙が目から溢れる。この涙に色があるなら、透明でも黒でもなく、濁り混ざったグレーだ。自分でも自分の感情が分からない。


 カメラマンがここぞとばかりに、さくらの涙にカメラを向ける。


 歓びの聖歌が響き、チャペルを多幸感で満たす。さくらはますます息苦しくなっていった。




「続いて、新婦のご友人代表の青山さくらさんから、ご祝辞をいただきます。」


 披露宴が始まり、さくらのスピーチまであっという間だった。

 軽く会釈をして、マイクに近づく。


 咲桜がこちらを少し心配そうな顔で伺っている。泣いた後、化粧はいちおう直したがひどい顔なのかもしれない。さっと視線を外し、原稿で顔を隠した。


 咲桜に喜んでもらえるよう、準備した手紙。小さな白い花が散りばめられたこの便箋も、文具屋で延々と悩んだうえに購入した。ここ十年くらいの写真アルバムを漁って、動画を見て、メッセージのやりとりを見返して。たくさんの思い出の中から、花向けの言葉を選んだ。


 何度も書いては消して、並び替えてはまた戻して。今までの人生で一番丁寧に書いた手紙だった。


 今までの感謝と、祝福の気持ちを込めて。


 ……でも、その一文一文が、自分で書いた字が、まるで宙に浮かんでいるように見える。


 広い会場に並べられた円卓に、百人くらいはゲストがいるだろうか。皆がこちらを注目しているわけではなく、食事の手を止めない人もいれば、歓談中の人もいる。ただ、みな表情は和やかで、華やかなお祝いムードに包まれている。


 みんな、なんか幸せそうだな。


 この場に馴染めないのは、黒いドレスでも、化粧でもなく、自分の異様な空気感のせいだと気付いた。


「青山さん……?どうぞ、はじめてください」


 式場のスタッフがさっと隣に来て、小さく耳打ちをした。さっきまで歓談をしていた人たちもこちらを心配し、注目しはじめた。会場が一瞬ざわめいて、シンと静かになる。


 こんなにたくさんの人から注目されるのは、初めてかもしれない。


 なんだかゾクゾクしてきた。


 大きな音を立てていた鼓動が、大きく、早くなっていく。乾杯酒の酔いが回ってきたのだろうか。めまいのように視界が揺れる。


 さくらはスッと細く息を吸い、最初の言葉を吐き出した。


「成田弘樹さん、山口咲桜さん、本日は、ご結婚誠におめでとうございます。」


 さくらは、するすると用意された原稿を読み進めていく。

 隠しきれない不穏な笑みを、目の端に映して。

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