第8話 たったの2週間で
◇ ◇ ◇
ルイシャム全域が月青年ポスターで埋め尽くされ、しばらくたった後。
探偵事務所の郵便受けに、ムンセレ社からの手紙が1通入っていた。表には『月の土地販売 自主講習会』とあり、裏面にはデニスとアンジェラと思しき字体で「販売は順調かい?」「絶対に来てね!」とひとことメモが添えられていた。
フィアーはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべると、手紙をポケットにしまいながら言った。
「この俺様に向かって「順調かい?」だと? おまえらの100倍はうまくいっているぞ! とはいえ、ベル・ラトリッジに月の土地代を支払う必要があるな。詐欺師相手に大金を支払いに行くとは、苦痛で仕方がない。だが、これも一儲けのためだ」
ということで、フィアーは月青年フランク青年に扮し、シティへと向かった。一度オフィスに立ち寄り、ベル社長と少し話をしてから、フィアーは会場である1階のフロアに入った。
フロアは講習会場に様変わりしていた。室内には椅子と長机が等間隔に並び、ステージには黒板が置かれ、20人ほどのメンバーが楽しく談笑している。
すると、輪の中にいたデニスがフィアーの来訪に気づき、嬉しそうに彼を出迎えた。
「お、来たねえ。来たねえ! 期待の新人! 調子はどうだい?」
「ぼちぼち、といったところです」
「またまた、謙遜しちゃってさ! 僕は知っているんだよぉ? ルイシャムでうまくやっているそうじゃないか! このポスター、君が作ったんだろ?」
デニスは、ヒマワリの種をこじ開けるリスのような素早さで、手元の『月青年ポスター』を大きく広げた。どこからか剥がしてきたらしく、四隅が破れている。
「いいじゃん、いいじゃん、こういうの! すぐ行動に移せるなんて、優秀な主体人間の証拠だよ! インパクトもあるし、印象にもバッチリだ。社長のポスターをオマージュしたんだろうね」
「はい、そうです。せっかく『理想像』があるのに使わないとは、もったいないと思いました。社長より一歩下ですが」
「ハハハ。理想像より一歩下とは、大きく出たねえ。社長が聞いたら喜ぶはずさ! まあ、席に座りなよ」
デニスは近くの椅子を引いてフィアーを座らせると、自分も隣の椅子に座った。彼はベル社長を真似て浅く腰掛けると、胸を張って股を大きく開く。そんな小男を見下ろしながらフィアーは言った。
「久しぶりにデニス先輩に会えて光栄です。今日は、月の土地の売り方を真面目に学びに来たのです。幸福の提供の仕方は、まだまだ手探りでして」
「またまたぁ、謙遜しなくてもいいんだよ? 正直に教えてよ、期待の新人! 今は何エーカー残っているんだい?」
フィアーは少し考えると、素直に返事をした。
「実のところ、そこまで多くは売れておりません。今は、800エーカーほど手元にあります」
「……十分、十分! 新人でそれだけ売れる人はそういないよ。ポスター代もあるから、実は手元にお金が残ってなかったりするんじゃないか?」
「本当のことを言いますと、出費の問題が頭から抜け落ちていました」
フィアーは恥ずかしそうに首を振った。その様子を見て、デニスはどこか安堵したかのように彼の額をポンとたたいた。
「何事も、最初はうまくいかないものだ。だから、ポスターをたくさん貼っただけでも、新人としては十分だよ。そういうことだ。うん。そういうこと!」
と、外の鐘が7時を知らせた。
たん、と足音が響き、黒板の脇にアンジェラが立つ。色付きの細いメガネとスカートスーツを身に着けて、講師役としての気合が入っている。
アンジェラが右手を上げると、近くのコミュニオンたちがマニュアル冊子とノートを新人に配り始めた。資料が行き渡り、彼女は
「では、第26回ムンセレ講習会を始めます。よろしく」
寸分狂いなく、デニスが高い拍手を送った。釣られて他のコミュニオンたちが拍手を送り、祝福の輪唱がフロアを包む。
「今日のプログラムは、30分の座学と、1時間の販売模擬練習です。まずはムンセレマニュアルの4ページを開いてください」
こうして講習会が始まった。
アンジェラは自身の販売経験を説明にまぜつつ、無駄なくムンセレマニュアルを噛み砕いていった。わかりやすい解説は新人たちを自然とうなずかせ、室内は程よい緊張感で満たされていく。
座学はきっかり30分で終了した。アンジェラは2脚の椅子を壇上で向かい合わせに置くと、その片側に腰掛けて言った。
「ここからは、販売の模擬練習です。私と一緒に、幸福の提供方法を練習していきましょう。では……そこの一番右の新人くん? マニュアルを持って壇上に上がってちょうだい」
アンジェラは、最前列の新人を指し示した。新人は緊張のあまり、体を震わせあちこちを見やる。
だが、デニスが高い拍手を送り、新人に
新人が対面の椅子に腰掛けるやいなや、アンジェラはにこやかにほほ笑んで言った。
「では、販売の模擬練習をやってみましょう。大丈夫、すぐに自信が付くわよ! まずは、名前と販売済みのエーカー数を言ってね。そして、マニュアルを読みながら、私を客だと思って、幸福の提供をしてみて」
気弱な新人は「トムです。販売数は4です」とつぶやくと、頼りなく月の土地を販売した。売り方も気弱だったが、彼がどもる前にデニスがすかさず称賛を送り、新人に恥じる隙を与えない。幸福に包まれ、結果、彼は自信をもって練習をやり遂げた。
残る新人たちも次々と壇上に呼ばれ、次々と『模擬的成功』を収めるや、晴れやかに帰っていく。
やがてフィアーの番が来た。彼はふらふらと壇上に登ると、声を絞り出して叫んだ。
「フランクです! 販売エーカー数は1200です!」
その言葉を聞いたとき、フロア全体に不穏なざわめきが響き渡った。「1200?」「んな馬鹿な!」「おいおい、肝の座った新人が来たもんだ」といった困惑とヤジが飛ぶ。
デニスはあわててステージの下まで走り込み、身を屈めてフィアーに言った。
「さっき『800エーカー残ってる』と言ってたじゃないか。嘘をつくことは、『月と6シリング』の規約で禁止されている。入会届の内容を忘れてしまったのかい?」
フィアーはキョトンとした顔を作ると、口を少し尖らせながら返事をした。
「僕は、嘘つき男ではありません。僕は1000エーカーをすでに売り切り、講習会が始まる前に、ベル社長から追加の土地を買ってきたのです。社長がお持ちのムンセレリストが、その証拠です」
「たったの2週間で1200? 本当に? いやいや、にわかには信じられな……」
そのとき、裏口のドアが大きく開かれた。全員は驚いた様子でそちらを向くと、その人物が誰かを認識する前に、高い高い拍手を送って称賛した。
ベル社長が肉厚な笑みを浮かべると、裏口から対面まで響くほどの大声を上げた。
「同志諸君。フランクの言葉はすべて正しい!!」
社長は靴音を響かせて壇上に立つと、両手をゆっくりと大きく広げた。全ての人間は彼の行動に注目し、高い高い拍手を送る。フロアはぴりりとした緊張感に包まれた。
「前代未聞! 驚天動地! たったの2週間で、1200エーカー! 今まで、この速度を見せた者がいたか? ムンセレ社の歴史に、英雄の名が刻まれた。さぁ、諸君。ここにいるのは、新人ではなく強大なライバルだ。同志フランクに幸福を提供せよ!」
フロア中を、今日一番の高い高い拍手が湧き上がった。窓ガラスがびりびりと震え、照明が揺れる。しかし、称賛の洪水はとどまることを知らず、フィアーに激しく襲いかかった。
ベル社長が右手を上げた瞬間、拍手がピタリと止んだ。彼は壇上のアンジェラに向けて指をさすと、先程とはうって変わって静かな声で言った。
「アンジェラ。フランクを借りていくよ。彼には講習会は必要ないからね。では、自主勉強を続けたまえ」
「はい、社長」
「では、フランク。上に来てお茶でも飲もう」
2人は裏口から上階のオフィスへと向かった。事務員ネルはすでに帰宅しており、室内は静かなれど、穏やかな雰囲気であった。柱時計がコチコチと規則的な音を奏でている。
ベル社長はフィアーに応接間で待つよう指示をすると、自分でお茶を沸かして持ってきた。フィアーの目の前でカットレモンを2人分絞り入れると、両者は簡単に乾杯した。
「まずは君に、おめでとうと伝えよう。1200エーカーをよく売り切った!素晴らしい!デニスやアンジェラでさえ、1ヶ月で300エーカーがやっとなんだ。いったいどういう手を使ったんだ?」
フィアーは心の中でベル社長に中指を立てると、少し照れくさそうに顔を落として言った。
「偶然に偶然が重なっただけです。それに、月を売る前に顔を売るという方法は、ベル社長のペアチケットから学んだのです。僕のやり方は、社長の二番煎じであり、そこから学習したに過ぎません。どういう意味か、おわかりでしょう?」
ベル社長はパンと自分の膝をたたくと、自分の目元に指先を強く押し当てながら言った。
「なるほど! オレを完璧に真似た上で、さらなる改良をほどこしたというわけか! ずいぶんと器用な男だな。どうやら販売の才能は、期待の新人の方が持っているらしい。ネルのやつがフランクの勇姿を知ったら、どう思うかな?」
「『さっさと出てけよ、クソッタレ』とでも言うでしょう。ベル社長と違い、ネルさんは僕に本気の嫉妬心を感じるかも知れません。ここから追い出されないよう、ベル社長の方から
その言葉を聞いたベル社長は、「ハハハ、あいつは言うに違いない!」と大笑いした。フィアーはしばらく談笑して場を和ませた後、それとなく本題に切り込んだ。
「ところでベル社長、1つ提案があるのです」
ベル社長はカップをつまみ上げる手をピタッと止めると、訝しげな視線を鋭く向けた。肉厚な笑みは張り付いたままであるが、水一滴の注意さえ逃さないといった調子で、物静かに尋ねた。
「提案とはなんだ? 言ってみろ?」
フィアーは口を少しだけ開けると、どこか心配そうな表情で応接間の向こうを見た。ベル社長は股を大きく開いて座ったまま、首をぬっと外へ伸ばす。柱時計がコチコチと鳴る以外、動くものは何もなかった。
ベル社長は、なおも不安そうに入口の方を見つめるフィアーに対し、彼の心情を先取りするかのように言った。
「ああ、ネルはすでに帰宅した。今日はもう、クソッタレと追い出しにかかるやつはいない。ここにいるのは、オレと君だけだ。さぁ、同志フランク。提案というのを言ってみろ」
フィアーは神妙な顔を作ると、ゴクリと喉を鳴らして静かに言った。
「事情を知っている叔父から、とあるビジネスの助言を受けたのです。自分の中で検討を重ね、新しいビジネスをベル社長に打診をしよう決めました」
「ほう、新しいビジネス!」
ベル社長は嬉しそうに手をたたいたが、慎重なまなざしでの観察を緩めなかった。フィアーの視線をじっくりと絡め取りながら尋ねる。
「君の叔父は、なんと助言をしていたのだ?」
「はい。叔父はこう言っておりました」
フィアーは、彼の『叔父』がそうするように、厚ぼったい唇を引き伸ばしながらほほ笑むと、明日の方向を指さして言った。
「望遠鏡って、知ってる?」
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