第12話 フィアー・フライの種明かし
トロンプ・ルイユそのものが傾いている――。
その言葉を聞いた時、ニコラス氏はフィアーの両肩を上から強く叩きつけた。が、フィアーの身体はびくともしない。まるで、重力がそこに存在しているかのように。
フィアーはラズリーに向け、あごをしゃくって言った。
「証拠を見せてやる。おい、ラズリー。山登り中に渡した空ビンを出せ」
「おっけー!!」
彼女はカバンから空ビンを取り出すと、フィアーに向けてぽんと投げた。フィアーは空ビンを床の上に置き、そっと手を離す。
空ビンは、別の力に引っ張られたかのように、コロコロと勝手に転がり始める。ソファの隙間を抜け、床面のだまし絵を通り抜け、店の出入り口にぶつかり、やっと静かになった。
フィアーはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべると、地面を指さして言った。
「あの速度だと、床の傾きは10度前後ってところだろうな」
ニコラス氏は厳粛な様子でうなずくと、フィアーの台詞を質問と捉えて静かに返答した。
「左様。当店は、床を12度傾けてある」
続いてフィアーは、座り心地の良いソファを指差した。
「あのソファの背もたれは、床よりずっと後ろに傾いている。だからこそ、座り心地が異常に良いのだろう?」
ニコラス氏は、くちびるを真横に引き伸ばしながらうなずいた。
「左様。ソファに背中を預けると、肉体が21度傾くように設定してある。当店のソファに腰掛けることは、ビーチチェアで寝転がるのと同じである」
フィアーは自分のみぞおちを指差すと、すばやく体を後ろに引き、圧で飛ばされるかのようなジェスチャーをした。
「そう。俺たちは大食いをする際、このソファに座るしかない。なぜなら、他に椅子がないからだ。だが、ソファに深く腰掛けた瞬間、内臓が21度後ろにずれる。すると、内臓は正常に働かなくなり、胃袋の容量が一時的に減る。
だまし絵がよく見えるだの、昼営業後だのと理由を付けてはいるが、要はこの席に座らせることが目的だ。すると、挑戦者の内臓は勝手に弱くなり、疑問に思っている間に3品のでんぷん質が膨らんでいく。そして、敗北のベルがチリンとなるわけだ」
フィアーはソファにドンと腰掛け、胸をはる。
すると彼の体は、V字に折り曲がった。が、途端に腹がキツくなったのか、フィアーは
ラズリーは、苦しげなフィアーを真横で見つめながら野次を飛ばした。
「だから皆さん、最後は魚の干物みたいなポーズを取るわけね。私は、フィアーのマヌケ姿が見れて、満足してるけど」
「前回のおまえも、似たような顔をしてたけどな」
フィアーは右指をパチンと鳴らして腰を上げた。足を床につけたまま体を前にずらし、またもや傾いたまま直立する。
「ピアース先生がここを『難攻不落の城』と言ってたのは、ある意味で正解だった。なにせ、入店した瞬間に敗北する恐ろしい建物だからな。これがトロンプ・ルイユの謎の全てだ。そうだろう? シェフ兼支配人 ニコラス・マッカーシーさんよぉ!?」
その言葉を聞いた瞬間、トロンプ・ルイユの支配人は両手を広げて叫び声を上げた。
「そうだとも、名探偵! 全ての大食い挑戦者は、わが城に足を踏み入れた瞬間、わがガストロノミーの支配を受けるのだ!!」
シェフは興奮のあまり卓上のベルを高らかに持ち上げると、包丁を突き立てるかのごとく、その手にぐっと力を込める。そして悦に入った弁士のように高らかな声を上げた。
「直立せよ、名探偵。いまや君の内臓は正しい位置を取り戻した。立ち食いを許可するぞ、名探偵。いまや我々の立場は水平なのだ。スプーンを持て、口を開けよ! わがチキンティッカマサラを心から
「もちろんだ。世界一の名探偵が、おまえの
フィアーはラズリーに向けて、指先で合図を送った。彼女は素早く敬礼してから言った。
「隊長、曲名は何でありますか?」
「ドヴォルザーク 新世界より 第4楽章!」
「了解であります!」
「3品目、制限時間は11分半!」
ベルがチリンと鳴り、サウンドボックスは堂々たるオーケストラを流し始めた。
フィアーは指揮者のようにスプーンを高らかに持ち上げ、カレーの入ったボウルを左手で抱え込み、汚らしくかっ食らい始めた。彼の右手は内燃機関のように激しく回転し、辛みを感じる前に次から次へと口の中へ投げ入れる。
辛さに耐えられなくなるたび、フィアーはレモネードを素早く飲んで辛みをごまかした。しかしながら、カプサイシンは中和されず、全身からは滝のような汗が流れ出す。
もはや推理も何もなかった。ただ根性だけがあった。
そして、フィアーはやり遂げた。
レコードが最後の一音を奏で終えたとき、彼は空になったボウルを勢いよく叩き置いた。そのまま両手を伸ばしてぐっとガッツポーズする。しかし、床の傾きをすっかり忘れていたのか、ボウルはころりとソファへと転がる。
ラズリーは、勝利の余韻に浸るフィアーを無視して、大慌てでボウルを拾い上げた。そっとテーブルに置き直し、呆れた口調で言う。
「なんで最後までカッコつかないのかなあ……? これじゃあ、世界一の名探偵なんて、夢のまた夢だよ」
彼女のツッコミに対し、フィアーは盛大なゲップで返答した。そのまま何気なくソファに座ろうとし、急いで直立しなおす。
「危ない危ない。カレーを噴水のように吐き散らすところだった。しかしながら、このソファは恐ろしいトラップだ。どうしてこんな建物を作ったんだ? 大食い家をいじめなくても良いんじゃないか?」
ニコラス氏はボウルを流し台に置くと、手を拭きながら戻ってきた。
「昨今、
その言葉を聞き、フィアーは地獄の生カブ生活を思い出した。「たった16個ですよ!? とっても簡単でしょう?」というピアース先生の台詞が脳内で反響し、フィアーは慌てていたぶり好きな弁護士を頭から投げ捨てた。
「さて、名探偵君に尋ねよう」
ニコラス氏は堂々と胸を張って続けた。
「当店の秘密に、どうやって気がついたのだ?
フィアーはレモネードの残りをストローでちゅるちゅる飲みながら、背面の玄関へと後ろ指を向ける。
「最初に気がついたのは、1回目の大食いチャレンジの直後。玄関先ですっ転んだときだ。頭を土に擦り付けながら、俺はピンときた。床が傾いているからコケたのだろうと」
続けてフィアーは、対面のキッチン窓を指さした。窓には蝶が描かれており、すりガラスを通してモスク風倉庫がちらちらと見えている。
「床が傾いていないなら、モスクの屋根が見えているのはおかしくないか? どちらも水平線上にあるのなら、窓からはモスクの入口が見えているべきじゃないのか? そのことも、床の傾きを示すヒントになっていた」
フィアーは右指をパチンとならすと、店内に響かんばかりの大声で叫んだ。
「俺たちはこの山を最初から勘違いしていた。山の頂上にあるのは、モスク風倉庫だけだ。そして広場は、まだ山の中腹にあったんだ。倉庫の高さはトロンプ・ルイユ本体が邪魔してよく見えない。山道からそう見えるよう、設計したんだろうな」
フィアーは山登りをするかのような緩慢な動作で、ゆっくりとキッチンへと向かった。蝶の窓ガラスを背に立ち、指揮者のように両手を広げる。
「それを確かめるべく、俺はわざわざ窓まで曲がり込んで再戦を申し込んだ。1つは、倉庫が本当に頂上にあるか。1つはレストランの床が本当に傾いているか。
窓へ行くと、ちょうどニコラスが紙タバコを吸っていたんで、俺は指で弾いて確かめた。予想は正解だった。紙タバコは床をコロコロ転がっていたんだからよお。普通、吸いかけのタバコを飛ばしても転がりはしないぜ」
それを聞いたニコラス氏は、どこか肩の力を抜きながら紙タバコを1本取り出した。指先でピンと弾き、床の傾きを自身で証明する。タバコはコロコロと転がり続け、出入り口付近の壁で止まった。
「なるほど、実際はわが城の秘密を探るためにやっていたのか。やれやれ、私は本当に君が店を火事にするつもりだと思っていた」
「するわけねえだろ。店が火事になったら、賞金の2ポンドが一生手に入らなくなるからな」
フィアーは山を降りるような軽やかさで2人の元に戻ると、今度は空っぽになったレモネードを指さした。
「シェフは、食器にも傾きを隠すテクニックを仕込んだ。例えば、俺が持っているタジンポット。底が広がっているために安定しやすい上に、口がすぼまっているために水面が見えない」
続けて、カレーの空皿を指差す。
「もちろん、料理にも傾きを隠す仕掛けが用意されている。大食いメニュー3品のうち、フィッシュアンドチップスとシェパーズパイは固体状の料理だ。皿から滑り落ちる心配はまずない。
唯一危険なのは、カレールゥという液体を含むチキンティッカマサラだろう。しかしこちらは、提供する皿を底の深いボウルに変更し、あらかじめカレーをライスにからめておくことで、うまく傾きをごまかしている」
「うむ。すべて正解である」
ニコラス氏は後ろ手に組むと、店内をゆっくりと歩き回りながら言葉を続けた。
「私は、料理を通じて食事が人間に及ぼす作用を常日頃考えている。私が大食いに反対しているのは、先程言った通り。内臓に負荷をかけるばかりで、食事を味わっているとは到底言えないからだ。
私は大食い家の心を折るべく、床を傾けたレストランを建設して大食いチャレンジを開催した。確かに、返り討ちは成功した。だが皮肉にも、これでわが店の評判が上がってしまい、次から次へと大食い家が来るようになってしまったのだよ」
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