家庭の味
「ただいま……って、あれ?」
フレムがラグナーの部屋へ戻ると、ベッドは空でラグナーの姿が見当たらない。慌ててベッドに駆け寄ると、ベッドの反対側からうめき声が聞こえた。
声が聞こえた方へ回り込むとラグナーが床に倒れている。どうやらベルを鳴らそうとして手探りでベッドの上を這いまわり、そのまま床に落下したようだ。
「おい、大丈夫か?」
「……フレムか」
フレムに支えられてベッドに腰を下ろすとラグナーは小さくため息を吐いた。
「目は? 喉はまだ痛むか?」
「喉は大分マシになったが、目は相変わらずだ」
「……そうか。今水を貰ってくるから、ここから一歩も動くなよ!」
目が見えない状態で動き回られると危険なので「動くな」ときつく言い含めてハンナにラグナーが目を覚ましたことを伝えに行く。ネルソンに伝えてもらうよう頼んだ後、水差しにひと肌に温めた水を入れて部屋に戻った。
「今ハンナさんがご飯作ってくれてるから」
「……ああ」
ラグナーは注がれた水を一気に飲み干すとベッドに倒れ込んだ。
「店はどうなっている?」
「それ、今聞く事か?」
「当たり前だ。どうなっている」
「ノーランが残って対応してるよ。まだこっちに来ないって事はバタバタしてるのかもな」
「そうか。ネルソンは今どこに居る?」
「お前が着てた――ほら、飲み物が裾にかかったズボン。あれを持って医者の家に行ってるらしい」
「……なるほど。ネルソンが戻ったらノーランと交代させる。それで時間稼ぎは出来るだろう。問題は私の目がいつ治るかだが」
「……」
正直、目が治るのかすら分からない。解毒出来るのか、薬を飲めば良くなるのか、それとも時間が経てば治るのか。もしかしたら一生このままの可能性もある。
(もし、もしもラグナーの目がずっと見えないままだったら……)
「竜眼の御子」という付加価値を失っても今まで通り商品を購入して貰えるだろうか。ラグナーが抱えている顧客も今まで通り取引してくれるかは分からない。皆「竜眼の御子」が鑑別した宝石に魅力を感じているからだ。
もしもラグナーが「竜眼の御子」ではなくなったら、彼らは蜘蛛の子を散らすように離れて行ってしまうのではなかろうか。ラグナーの父が亡くなった時のように……。
(恐らく、それはラグナー自身が一番感じているはずだ。だからこそ焦っているに違いない)
今はまだノーランやネルソンのお陰で店が回っていたとしても、それは時間稼ぎに過ぎない。在庫には限りがあるし、ラグナーが長期不在ともなれば悪い噂だって流れるだろう。つまり、ラグナーが店に戻らなければならないタイムリミットがあるのだ。
「焦ってもどうしようもないだろ。今は医者とネルソンさんを待つしかない。ずっと働き詰めだったんだし、今は美味しいもの食べてゆっくりしてな」
「呑気な奴だ」
「悪かったな、呑気で」
二人が痴話げんかをしていると部屋の扉がコンコンと叩かれる。どうやら夕飯が出来たようだ。
「坊ちゃん、夕飯をお持ちしましたよ」
「……ハンナか。久しぶりだな」
「お久しぶりです。お目覚めになられて良かった。食べやすいように野菜と肉を柔らかく煮込んだスープにしましたよ。料理人が居ないので私の手製で申し訳ないのですが……」
「そうか。そういえば、母が亡くなってから使用人をほとんど解雇したんだったな」
「ええ。今は屋敷を管理する私と主人、後は週に何度か清掃のメイドを雇っているだけですから」
ハンナはベッドの近くに小さな机を移動させてそこに食事を並べた。
「フレムさんもお腹空いてるでしょう? 一緒にご用意したので宜しければどうぞ」
「……そういえば、朝から何も食べてないんだった。ありがとう」
「ふふ、お口に合うと良いのですが」
食べやすいように肉と野菜が細かく切られたスープだ。見えない状態でもたべやすいよう、ラグナーの分は手で持って飲めるようなスープカップに入れられている。
「慌てずゆっくり召し上がって下さいね」
ハンナは慎重にゆっくりとラグナーの口にカップを運んだ。
「……ノーランのスープと同じ味がする」
スープを口にしたラグナーがぽつりと呟く。いつも自宅で出てくるベルンシュタイン家の「家庭の味」だ。ホッとする。
「つまり美味しいってことだろ?」
「……」
ラグナーはフレムの問いかけに答える事なく黙ったままスープを啜った。気恥ずかしいのか、頬が僅かに上気している。
一方、二人の会話を聞いていたハンナは目を丸くしていた。
「このスープはノーランが体調を崩した時に良く作っていたスープなんですよ。もしかして、坊ちゃんが風邪を引いた時に良く出てきたのではないですか?」
「そういえば……」
思い返してみれば、仕事が立て込んでいて忙しい時や夜会で酒を飲み過ぎた時など、ラグナーが体調を崩しそうな時に良くこの味のスープが出て来た気がする。
「私の母から教えて貰った料理で、ルサという植物の根っこをすりおろして入れるのがポイントなんです。あの子はそれを見ていたんですね」
「ノーランは人の事を良く見てるからなぁ」
「昔から聡い子でしたから。……なんていうと親馬鹿かもしれませんが」
「いや、本当に子供とは思えない程賢くてしっかりしてるよ。今だってラグナーの為に店に残って頑張ってるし。ラグナー、ノーランが戻ってきたらちゃんと感謝するんだぞ」
「……分かっている」
(そういう素直じゃない所が損してるよなぁ)
照れ隠しというべきか口下手というべきか、もっと素直に感謝の気持ちを伝えればノーランだって喜ぶだろうに。だが、ノーランもそんな主人の事を良く分かっているからこそ、ああして献身的に仕えているのだろう。
年齢の差こそあれど、ラグナーとノーランの間には良き信頼関係が築かれている。そこに口を出すのは野暮だ。
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