元ヤン教師のお悩み相談室③
どえらいことになっております。
大量の冷や汗で背中を濡らしながら、私はルリと虎子さんの様子を眺めていた。
たぶん、いや、確実にそうだ。
ルリは、自分が虎子さんから好意を向けられていることに気づいていない。
その上で、能天気にも虎子さんの恋愛相談……という名の、告白に向けた下準備に応えようとしているのだ。
虎子さんも虎子さんだ。自分の好きな子を前にして、恋愛相談を続けるという選択。肝が据わりすぎている。
さすが、超絶不良高校で半年も過ごしているだけはある。顔の赤さにその想いはまる見えだが、そのメンタルは鋼の如く硬い。
とはいえ──完全に事故が起きていた。
きっと私がどうにか収集をつけてやるべきなのだろうけれど、どう考えてもそのための案が思いつかなかった。
とにもかくにも、この二人を一度離すのが先決だろう。ルリが返答に悩んでいる内に、なにか適当な文句をつけて外に出すしかあるまい。
「……お待たせいたしました」
やけに神妙な面持ちで、ルリは語りだしてしまった。こうなってしまっては、二人を引き離す作戦は使えない。
「魅力的な人は……かわいい人だと思う」
ルリの口からは、意外な返答が出てきた。
こう言うのもなんだが、ルリは私に好意を抱いてくれている。それはすなわち、ある程度歳を重ねた大人がタイプなのだと思っていた。
「それでいて強くて、勇気があって……でも、ちょっと小悪魔系みたいな雰囲気があったりして」
返答の雲行きが怪しくなってきたような気がするが、私は黙って聞き続ける。
「あとは、ね。紅茶が好きだったり、するかもね」
にやりと笑うルリの目が、私の方へ向けられている。
いや、この子自分のこと話してないか?
小悪魔系ビジュアルで勇気あふれる格闘少女で、ついでに紅茶趣味という意外性。目の前の子以外で、日本中探してもそんなに居ないだろう。
虎子さんの質問意図は『天宮ルリの好みのタイプ』だ。
対して、ルリの回答は自分自身について語っている。このパラドックスはいかにして発生したのか。
ルリは自分への好意に気づいていない。そして、ルリは好みのタイプという議題に自分自身と答えている。
この場においてルリに想いを寄せているのは、虎子さんと、それから。
つまり、導き出される結論は──ルリの中では、虎子さんの想い人は私ということになっている。
「でも、見た目とか趣味だけが好みじゃないと思う。もっと、こう……心とか、気持ちとか、そういうのも大事だから。虎ちゃん、大丈夫だよ」
盛大な勘違いに気づかぬまま、ルリはしたり顔でなにやら口走っている。
今すぐにでもツッコミを入れたかった。
だが、状況は複雑化していた。少しでもミスれば、想いの交錯するこの均衡状態を破壊してしまうおそれがある。それはきっと、虎子さんの今後に関わって来る。
ああ、我が恩師。どうすればいいのですか。
でも恋愛相談なんてしたことがないし、私もそういったものに興味を抱かずここまで来たものだから、的確な答えを持っていない。むしろ、学生たちのほうが得意分野だろう。
自信満々で胸を張るルリ。言葉を探す私。
対して、虎子さんが突如、その場で立ち上がった。
背が高い彼女の顔を追い、私とルリの顔が自然と上を向く。
「……ありがとう、教えてくれて」
この状況でまずお礼が出てくるとは。この子もまた、不良高校には似合わない素敵な子だ。
しかし、その声は震えていた。
大人びた虎子さんは、まず間違いなくモテる。それも、男女問わず惹きつけるタイプだろう。水乱でなければ──それこそ女子校であれば、女の子を侍らせていてもおかしくないビジュアルをしている。
そんな子が、今や好きな女の子を前に声を震わせている。そのギャップの可愛げたるや、凄まじいものだろう。
ビジュアルと好意のギャップ。その真実が明かされたとき、好意を抱かれた相手はどう思うだろうか。その魅力に、イエスの返事をしてしまうのは容易に想像できる。
ルリが、この子と付き合う。
ありえないと考えてしまうようなビジョンが、目の前にある。
そう考えた瞬間、胸に感じたかすかな痛み。
その正体は、恋愛に疎い私でもわかる。
痛みを覚えたことはさして重要ではない。とっくのとうに気づいていたはずのことを自覚しなおしただけに過ぎない。
あの日のキスに、私はまともな返事をしていない。
なのに、私は既に、ルリを独り占めした気になっていた。
虎子さんの瞳が、しかとルリを見据えた。そこに映る覚悟の色に、私は拳をきゅっと握ってしまう。
「あんたの好みとはズレるかもしれないけど、変わる。いや……好きにさせてみせる」
そして、虎子さんは、決定的な言葉の弾丸を撃ち出した。
「天宮、好きだ」
銃声が轟いたような衝撃。私は、そのまばゆさに思わず目を閉じてしまう。
だが、隣で鳴ったゴトッという重たい音に、目を開かざるを得なかった。
「……ど、どえええええええええええええ!?」
仰天したルリが、椅子を蹴倒しながら立ち上がっていた。
この動揺っぷりである。この子、やっぱり状況を読み違えていたらしい。
それにしても、この状況で告白へと持ち込む虎子さんのメンタルである。鋼を通り越して、もはやダイヤモンド級だ。
その勇気を称え、私は人生の先輩として今すぐにでも彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られていた。
だが、そうすべきでないことは、一人の人間としての西園ソフィアが許さない。
今はただ、この場の鍵を握る天宮ルリの返事を待つのみであった。
「えっと……ありがとう。びっくりしちゃった」
そう言うルリの顔はほんのりと赤く、目は泳いでいる。きっと、こういう状況に慣れていないのだろう。
「虎ちゃんがそんな風に思ってくれてたなんて、嬉しい。でも……ごめん!」
ルリが頭を下げる。握りしめた拳が、ぷるぷると震えている。
「わたしにはもう、大事な人がいるから」
告白の断り方としては、ある種テンプレートに近いものだった。こういう場合好きな人と言う方がポピュラーではあるが、ルリの認識は違うのだろう。
虎子はその場でへたりこみ、椅子に腰を下ろした。ルリも、蹴倒した椅子を戻して私の隣に収まる。そして、当たり前のように私の方へ椅子を寄せ、引っ付いてきた。
「……天宮、ごめんな。困らせるようなこと言って」
「ううん、嬉しかった。ありがとね」
虎子さんの瞳が潤んでいる。ルリも居心地が悪いのか、すがるようにわたしの腕に組み付いていた。
二人はクラスメイト。これからも関係は続いていく。この出来事を経験した以上、今まで通りとは行かないだろう。なにか助け舟を出すべきだろうか。
しかし、考えている内に虎子さんは立ち上がり、保健室の扉の方へ。
「ゾノセン、あたしもお茶会、来てもいいか?」
「……ええ、あなたさえよければ」
こちらを見やる虎子は、穏やかな笑みを浮かべていた。今まさに告白を断られたというのに、どこか晴れやかな様子でさえある。私がわざわざ口を出す必要もないだろう。
だが、不意に虎子がその場で固まった。
その視線は、私とルリの方を凝視したままでいる。
依然として、ルリはわたしの腕に組み付いている。
「……天宮さん、離れようか」
「なんで?」
ルリの口から出た疑問の声は、普段の喋りよりも甘い色をはらむ。まるで、そこに虎子さんが居るのを忘れているかのように。実際、この子はもう虎子さんが立ち去ったと思っているんだろう。
虎子さんの潤んだ瞳は、私とルリの方を凝視したままでいる。
「虎子さん、なにか勘違いをしている気がするんだけど」
実際のところは勘違いでもなんでもないのだが、今はそう言うほかない。そうでなくては、養護教諭としての私の立場が。
虎子さんは、わななかせた唇から、絞り出すように告げた。
「……あ、悪魔」
そう言い残すと、彼女は飛ぶように廊下に出ていき、保健室の扉を派手に閉めて去っていった。
後には、呆然とする私と、なにも知らないルリだけが残された。
「っ…………ルリ! どうすんのよこれ!」
「どうって?」
「どうもこうも……私とあなたが付き合ってるみたいな噂が立っちゃうじゃない!」
「付き合ってないの?」
「そ、それは、それは……まだ。いや、まだとかじゃなくて!」
私の言葉を遮るように、ルリは私に飛びかかるように抱きついてきた。
「びっくりした~。虎ちゃん、先生狙いで来てたのかと思っちゃったよ」
「やっぱり勘違いしてたのね。どうなることかと……いや、もうとんでもないことになってんだけど」
恋を起点にした関係がこじれやすいのはこの世の常だ。今後が思いやられる……主に私の評判とか、果てにはキャリアとか。
「ふひひ……大丈夫、虎ちゃんとはちゃんと話しておく。わたしの大事な友達だもん」
ルリのコミュニケーション能力には、ある程度の信用を置いてもいいだろう。だが、それでいいのか?
「ねー先生」
ルリは私の耳元まで顔を寄せると、絶妙な角度に顔を傾ける。
「わたしはずーっと、先生のものだよ」
私は思わず、顔を逸らしてしまう。
クソッ。かわいいっ…………。
ああ、虎子さん。ダシにしたみたいになってしまい、本当にすまない。あなたの未来に幸あらんことを。
去っていった少女の未来を想いながら……ルリの頭を、そっと撫でた。
〈おわり〉〈別のお話につづく〉
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