応援コメント

『さようなら』(青空文庫)田中英光【★】」への応援コメント

  • この話を、随分前に読んだので、読み返してみてかなり忘れていることに気付きました。この話を、紹介した理由は、太宰繋がりというだけです。
    風雅さまの、感想を読んでいて、それだけ反発心を抱くほど感情に火が付いたということは、それだけ一生懸命読んでくれたという証であり、僕は恐縮しております。
    僕が思うに、読書は話に共感することではないと思っています。
    だから、風雅さまのように批判を全面に出すのも一つの答えだと僕は思います。
    この話は、私小説になるのですが、感想は人それぞれだと思います。

    僕が、田中英光を知ったきっかけは、文藝春秋2011年3月号の中で芥川賞受賞者インタビューというのがあって、西村賢太が、田中英光の話をしていたことからです。
    それで、「さようなら」と「野狐」を知りました。西村賢太という作家は、かなり私小説にのめりこんでいる作家でした。

    僕の「さようなら」についてのイメージは、冒頭の
    右はすべて外国語の「さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の「さようなら」のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。「さようなら」とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ。
    ……「さようなら」の空しく白々しい語感には、惜別の二字が意味するだけのヒュウマニテも感じられぬ。

    この冒頭の文章が、後のドロドロの話、全てに当てはまると僕は思いました。

    薦めた僕に、責任があると思いました。最後まで読んでくれてありがとうございます。感謝しています。

    最後の部分、
    (ではその日まで、さようなら。ぼくはどこかに必ず生きています。どんなに生きるということが、辛く遣切れぬ至難な事業であろうともー)
    ここのところですが、僕は思うに、さようならという言葉を発しているので死を意味しているものと解釈しました。ぼくはどこかに必ず生きていますは、あの世に行って、空から皆を見守っていると解釈しました。

    あと、一番最後に(一九四九年一一月)と書かれていますが、田中英光の亡くなった日は1949年11月3日なので、この話を書いて直ぐに亡くなっているものと思われます。

    人それぞれ、読書に求めるものは様々だと僕は思います。だから、色々なジャンルの本が存在するのだろうし、好き嫌いも人それぞれ違うものと思われます。
    今回のことで、ご気分悪くなされたのなら、ハッキリと仰って下さい。謝りたいと思います。ごめんなさい。

    作者からの返信

    TO:沈黙は金? さま
    コメントありがとうございます!
    いえいえ、全く気分を害してなんかおりませんので、ご安心してください^^
    むしろ私の書き方がキツいと感じさせてしまっていたら大変申し訳ありません💦
    本当に心の底から知りたいと思い、聞いただけですので、誤解させてしまったらすみません!

    なるほどなるほど。
    沈黙は金?さまは、小説に対して感情移入せずに読まれるのですね。
    それは、とても興味深いです(怒ってないですよ~w)。
    私は、基本的に登場人物の誰かに自分を重ねたり、心の琴線に触れるような描写があると〝この作品は私に合っている〟と思います。
    女性は特にその傾向が強いのかもしれませんね。

    小説を書く上で、よく言われる……読者が共感できる登場人物を書きましょう、というやつ。
    私は、それを、〝人に読まれる作品というのは、その作品の世界に没入できるかどうか、作品の中に自分の心のかけらを見つけられるかどうか、なんだ〟と思っています^^

    例えば、先に「人間失格」に対して、沈黙は金?さまが「僕の心をみすかされたような気がした」と書かれていらっしゃいましたよね。
    それこそが、まさに〝共感〟なんですよ^^
    沈黙は金?さまは、「人間失格」の主人公に自分の心のかけらを見つけられたのです。
    だからこそ、「人間失格」に感銘を受けたのだと思います。

    人によって、とある作品が名作となったり、自分に合わないと思われたりするわけは、このためですね。人によって合う合わないがあって、当たり前ですから^^
    もちろん、私も人それぞれの読書の姿勢があることは理解しておりますので、押し付けようとして、これを書いているわけではないことご理解頂けると幸いです^^
    あくまで私は、この作品からこういうことを感じ取りましたよ、という、ただの個人の感想文でしかなく、他の方の感想が違っていたからといって、それを否定するような視野の狭い人間ではありませんよww

    あとは、やはり自分が今まで読んだことのない世界が描かれているかどうか、も重要な気がします。
    前にどこかで見たような作品だな、と少しでも感じてしまうと、その作品は心に残りません💦
    確かに田中栄光さんは、太宰治に傾倒されていたのでしょう。
    それがわかる作品でしたから^^

    私は、読むのも好きな人間です。
    ですから、この作品を読むのが苦痛だったとか、そんなことは一切ありませんので安心してくださいね^^
    むしろ、つまらない、と言われる作品も、何故つまらないのかが知りたくて読みたいと思います。
    いろんなジャンルの作品を読んでこそ、自分の視野、世界観が広がると私は信じています^^

    私の感想で、もし沈黙は金?さまを傷つけてしまっていたら、大変申し訳ありません💦
    そんなつもりは毛頭ございませんので、ご理解頂けると嬉しいなぁ。
    読書って、一人でするものですから、孤独な趣味じゃないですか。
    だから、こうして感想を言い合えるのがとってもとっても嬉しいのです^^
    伝わってくれると嬉しいなぁ。
    もし、これにこりずに、またお相手してくださるようでしたら、是非是非、読書感想言い合いっこして頂けると嬉しいです!!^^

  • 1/3くらい読みました。ほぼエッセイですね。調べましたところ、作者がこれを書かれた時はすでに精神的に参っていたようです。師事していた太宰治が自殺したのが相当ショックだったようで22才で太宰に賞賛されたのが不幸の始まりだったのかもしれません。戦争や災害に翻弄されたという側面もありそうです。

    22才の時に起稿した作品が太宰治の目に止まる。以後、田中の師事が始まる。
    35才の時、太宰が自殺したのに大きな衝撃を受け睡眠薬中毒となる。
    36才、同棲相手を薬物による妄想のため刺し、数ヶ月後太宰の墓前で自殺

    私は、本作品は(こういう人がいたんだ)というスタンスでしか読めません。
    強いて言えば『太宰推し』もほどほどにという教訓くらいですね。
    ただ、精神が崩壊しつつある中でこれだけの作品を書ける筆力は凄いのかもしれません。

    作者からの返信

    🌳三杉令 さま
    コメントありがとうございます。
    私小説というやつですね。
    なるほど、確かに精神が崩壊しつつある中で書いた、と言われると筆力はすごいかもしれませんね。
    わざわざ調べてくださって、ありがとうございます!!
    「こういう人がいたんだ~」というスタンスで良いのですね。
    それなら私にもできます!^^
    とっても参考になりました~♪