第24話 Star Gazing/秋坂ゆえ先生
おかわりありがとうございます!
説明文で前回とは雰囲気を変えられたとのことです。楽しみですね。
Star Gazing
https://kakuyomu.jp/works/16818093072897491134
「きみ」という届かない「星」に向かって叫ぶ「俺」がいて、「俺」は「きみ」への憧憬を抱きつつも嫉妬のような悔しさのような「まだやれる」感を滲ませています。大抵の方向性ですと、自分との比較で「それでも追いかけたい」か「諦める」になると思うのですが、この詩はどちらでもない「面倒くさい自我」が残っていて、「きみ」を讃えつつも、「こんなはずではなかった」という気持ちが滲み出ているように思いました。
まるで夜空の星に憧れる、地べたを這いずり回る虫けらのようで
この卑下に対して「きみ」というのは本当に美しかったのでしょうか。そこには憧れや神格化された存在ではなく、
あの頃あんなに近くに一番近くにいた
と表現されています。ここに妬ましさすら感じました。意図的に「こんちくしょう感」を出しているのであればすごいと思います。
きみが映る非現実的な鏡に雨粒がはじける。
戻りますが、この表現いいですね。渋谷のワンシーンとしてイメージができます。
俺がこんなことになってしまったように。
落ちてしまった自分にとって距離のありすぎるものを「星」としています。Starですね。なるほど、これは歌詞のような表現だなと思いました。
——あなたは僕にとって全てだったのに
意識だけになったと二、三度表現されていますが、「僕」はどういう状態なのか、これは読む側に任されているようです。仮に物理的に身体が動かないことを想定してみたのですが、それですと渋谷には行けませんし、精神的な喪失をさしているのでしょうか。
この「全て」というワードが文字面は重いのですが、一連の流れから読むと「全て」が全部を指していないようにも見えます。どこか幻想的で仮想的な「全て」であって、「きみ」への怨念じみた執着心よりも「俺」自身の憐憫に留まっているような気がするのです。見上げた星の眩さよりも泥の中にいる自分の惨めさの方が前に出ているところが、どこか男性的なロマンチックさを感じます。
心臓がその運動を止めるまで、きみという星を見上げながら、口笛を吹いて生きる。
やはり最後の「口笛を吹いて生きる」が気持ちをプラスに昇華させたからの行為ではなく、「俺にはこれくらいしかできないけど」みたいはいじけた態度を感じます。ある意味、「きみ」への神格さや幻想的な憧れを持ち込むのではなく、「いつでも隣に居た存在=対等な存在」として定義しているからなんだろうと思いました。「きみ」とはライバルであり友人関係であったと主張しているように思えました。
この詩を拝読して、詩というのは幻想性・自己陶酔感だけではなく、ひとつの情念を籠めることができるのだと知ったことは、わたしにとって貴重な体験でした。
素敵な作品、ありがとうございました。
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