真面目な御曹司をBL小説で教育したら激甘ダーリンに変貌してしまった(改稿版)
美月九音
第1話 どこから見ても、地味系オタク女子っぽいよな
オレにはふたつの顔がある。
ひとつは通常のオレで、ごく普通の大学生、
そしてもうひとつは──
「なんでオレ、こんなことになっちゃったんだ? 東京に来たてのころは、あんなに夢見ていたのにさ」
恋がしたい。
恋人だって欲しい。
この思いを胸に、オレが大学進学を機に上京したのは二年と少し前。
別に上京しなくても、恋くらいできるだろうって? それはオレの性癖と、育った環境を知らないから言えることだと思う。
オレが育った故郷は、はっきりいって「ど」田舎だ。どこを見ても山、山、山……
今はどうだか知らないけど、オレが小学生のころは、ランドセルに熊よけの鈴をつけて登校していたほどで。下校時、鈴の音を耳にした近所のおばあちゃんが、畑仕事の手を休め、「おかえり」とよく声をかけてくれたものだ。
近所といっても、隣の家が十数メートル先……なんてざらな地域だったけど。
田舎ならではの結びつきは強い。だけど、恋愛対象が男というオレにとっては、息苦しかった。バレでもしたら、何を囁かれるか。考えただけで、背筋が凍る。
あの人たち、家族レベルで内情に詳しかったりするんだ。
例えば……〇〇さん家の次男坊は、どこそこに進学して、就職先はどこぞの証券会社。そこで出会った彼女の誕生日に、三十万円の指輪を渡してプロポーズしたとか。
他にはこんなのもあるよ。〇〇さん家の娘は、十歳までおねしょしていた。これなんて、そっとしておいてあげなよって思う。はたまた、〇〇さん家の夫婦喧嘩の原因、不倫だって──などなど。
オレでも知ってるんだよ? 誰から聞いたかは忘れたけど、怖くない?
挙げだしたら切りがないほど、プライベートな情報を住民が共有していた。
なんで? って思うけど。
地区の集会で話に花が咲くのか、子ども伝いに広まるのか、原因は定かではない。
そんな井戸端会議の中で、「観崎さん家の鈴央君、男の子に恋してるらしいのよ」なんて登場するようなことがあったら──
それでなくとも、オレが通っていたのは、全校生徒三十人にもみたない学校だった。
噂が立てば、どうなると思う? 想像つくと思うけど。
平然と登校できるほど、オレの心臓は強くなかった。
バレたらどうしよう、怖い──皆がオレを避けるんじゃ……
自分の性癖を自覚してからは、そんな恐怖を常に胸に抱えていた。必然的に、オレは目立たないように生活するようになった。控えめで大人しい子。それが周囲から見たオレの印象だったと思う。
言っておくけど、オレは本来、陰キャじゃない……と自分では思っている。だからといって、クラスカースト上位の陽キャでもないけど。まあ、間ってところかな。
とにかくオレは、びくびく生活している自分を変えたかった。それに、生まれ育った田舎では、恋することもままならないから。だって、オレの生活圏内に、同性愛者がいるとは思えなかったし。
その点、都会は人が溢れている。きっと同じ性癖の人と、出会えるに違いないと希望を抱いた。周囲の目も気にすることなく、恋ができると。都会の人たちは、あまり他人に関心がないと聞いたから。
自分の性癖をひた隠し、本来の自分を殺して生きていた日々からの脱出。これが上京を決めた、大きな理由だった。
大袈裟だと思う? でも、オレにとっては切実だった。
それにもうひとつ、大きな理由があったりする。それはオレの実家の家業が、りんご農家だということ。長男であるオレは、当然のように跡継ぎだと言われて育った。
別に家業を毛嫌いしていたわけではない。ただ……プレッシャーでしかなかった。男が好きなオレは、次の跡継ぎを残せない。故に、家業を途絶えさせてしまう。
だから……ごめん、
幸太にも、やりたいことや夢があっただろうに、オレは弟に背負わせてしまった。要は、逃げ出したのだ。田舎の狭いコミュニティの中では、オレだけが普通じゃない。オレだけ、異質。そう思うと、苦しくて苦しくて……
だから都会に出て、その人混みに紛れ安心したかったのかもしれない。
こうした経緯を経て、オレは罪悪感に蓋をして、新しい人生を歩むつもりで大学生活をスタートさせたわけなんだけど──
「うん、今日のスタイルも完璧。どこから見ても、地味系オタク女子っぽいよな!」
オレは姿見に映る自分を、自画自賛する。
やや長めの前髪で、お下げの黒髪。野暮ったい黒縁の伊達眼鏡。そして唇は、薬用リップを塗っただけのノーメイク。服装は、グレーのダボついたパーカーに、裾を折ったジーンズだ。
そう、オレのもうひとつの顔は、地味系オタク女子!
「あとは小物で演出すれば、さらに完璧!」
オレは、アニメキャラクターの缶バッジがたくさんついたリュックを背負う。
単にオレの思い込みかもしれないけど、自分的にはこれがベストな外見だと思っている。
「よし、行くか」
身支度を終えたオレは、意気揚々とアパートの部屋を出た……んだけど──
え~、なんでこんな時間に帰ってくるかなー。
まだ昼間だというのに、タイミングの悪いことだ。まさか隣に住むサラリーマンが帰ってくるとは思わなかった。
さすがに、女装趣味があると思われるのは避けたい。
「お兄ちゃん、またね!」
すかさず部屋に向き直ったオレは、声音を変え、部屋に誰かいる体で手を振る。
オレって、男の割に声が高いんだよね!
そして何食わぬ顔で隣人の横を、軽く会釈をしてすり抜けた。隣人も、軽く会釈を返して部屋に入っていく。
うまく誤魔化せた? やっぱり都会って、他人に干渉してこないからいいよな。
とはいっても、オレの住むアパートは、都心から離れた山梨県寄りだ。田舎感から完全に離れるのは、寂しさのようなものを感じたから。なんだかんだ言っても、あの自然あふれるほのぼのとした雰囲気は好きだった。だから進学先も、都心からはやや離れた大学を選んでいた。
「あれ……建物が見えてる」
歩き慣れた道沿いに、それはあった。
前から工事はしていたが、周りはシートで覆われていて、何が建つのかわからなくて。今はそれが取り払われ、外観が露わになっている。
え、書店だったんだ! ちょー嬉しいんだけど‼
でも、今時は閉店するところが多いって、何かで読んだ気がする。
「まあ、
髙峰グループといえば、日本で有名な大企業だ。ホテル経営に不動産など、手広く事業を展開しているとか。
一週間後か~、楽しみだな。歩いて行ける場所に書店ができるなんて、足繁く通ってしまいそうだよ。
オープンの日時が記された看板を横目に、オレはウキウキしながら目的地へと歩を進める。あと二百メートルほど進めば到着だ。
さてはて男のオレが、わざわざ女装までして行く目的地。
それは、書店!
とはいっても、今日は古本屋だ。
というのも、五年、十年と前の作品となると、通常の書店では手に入りにくい。
初版本マニア、とかではないよ。例えば、最近知った作家さんの、処女作を読んでみたいとか、時代を感じる作風を楽しみたいときなんかに、オレは古本屋に足を運んでいる。
そのことと、女装が関係あるのかって? それも地味系オタク女子姿で。
もちろんある!
なぜなら、オレの求める愛読書が、男と男の恋物語──いわゆる、BL小説だからだ。決して女装趣味があるわけではない。
ならどうしてって思うよね。
理由はただひとつ。男の自分が、BLコーナーで本を物色するのは恥ずかしい。これに尽きる。
じゃあ、女装は恥ずかしくないのか──これに関しては、気づかれなければいいだけのこと。あえて地味な格好をするのもそのためだ。派手な格好や、おしゃれな格好をすれば、注目されてしまうから。
素敵な人を目で追ってしまうのが、人の心理だと思わない? 別にオレが美人って言ってるわけじゃなくて、あくまでも一般論としてね。
その点、この地味な姿はいい! オレの持論かもだけど、コスプレイヤーは別として、オタクは見て見ぬ振りをしてもらえると思っている。
何もそこまでして本を買いに行かなくても……と、オレだって思わなくもない。今どきは、電子書籍やネット通販もある。書店に行かなくても購入することは可能だ。スマホ片手に手軽に読める、ネット小説なんてものもあったりする。
当然それらを、オレも利用する。だけど、やっぱりオレは、紙に印刷された文字を読むほうが好きだった。何より、棚に並ぶたくさんの本の中から、自分好みの物語を選ぶときの高揚感が堪らない。この感覚、わかってもらえないかもしれないけど。
というのも、オレの住んでいた田舎には、書店なんてなくてさ。
町に出るにしても、車で一時間はかかる。でも、家業が忙しい両親に、連れて行ってほしいとは、そうそう言えなかった。それだけに、連れていってもらえたときは嬉しくて。付録付きの本を選ぶのに、随分と悩んだことをよく覚えている。子ども心に、おもちゃ屋とはまた違った高揚感があって。
だからオレにとって書店は、特別な場所。そして今は、素敵な物語と出会える場所でもあった。
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