9.西の三賢
果たして、ルガル側が持ちかけた条件を、涼城は丸飲みする形となった。
そのための誠意としてか、練確自身が立会人兼護衛となって、まず擒とされた希が返された。
「この愚か者めがっ」
生還した娘と対面するや、孟種が、らしくもない罵声を浴びせた。
「それでも名門涼城が息か! 多くの将兵が戦場の露と消えたのに、おめおめと生き残りおって! この恥知らずめが!」
声を上擦らせて、顔を赤らめて怒鳴りつける。
おそらく真にそれをぶつけたかったのは、幕内文房の霊魂に対してであろう。
今日までに押さえ込まれていた文房の恨みが、底を抜けて下にいた希にぶつけられたに過ぎない。
そんな父の心理を知りつつ、敗将の身。責任を取れるのは己のみ。多少の理不尽には耐えねばならなかった希は、肩を窄めて眉を下げるしかなかった。
和議が成り、ひと段落ついても身と心が定まらぬかの如く、孟種は右往左往をくり返している。
上目でそれを観察していた希は、
「あのー」
と、恐る恐る手を挙げた。
「ところで、肝心の和議と私の返還の条件はなんだったのでしょうか」
「あぁ?」
孟種は足を止めて、不機嫌そうにあらためて娘の顔を見た。
「……なんだったかの、西殿。何処ぞの僻地であったか」
「
孟種がうろついていた間も、静かに傍に控えた武庫練確が、すかさず答えた。
それを聞いた彼女は「え」と小さく漏らした。
「おぉそうであった。まぁ葦まみれで水捌けも悪い無粋な場所よ。それのみで済んだのは幸いであった。やはり物の価値の分からぬ獣よな」
「でしょうか」
希は首を捻った。
「我々にとっては無用の長物であっても、その三所は南水沿い、桃源京に通ずる道で……えーと、かの『南都』との折衝は本来叔父のパオル殿の受け持ちで。だからあー、その権限を侵犯すること、それすなわちルフ殿は御仁との内訌を視野に入れているということを意味しているから……つまりは元々こちらとの戦を継続する気などなく、あえてこちらが抗戦の構えを、あるいは文房殿が通じていたであろうパオル殿と結ぶと見せかけでもすれば、もっと有利な条件で」
「もう良い! 過ぎた話を未練がましくごちゃごちゃと! そもそも貴様らが負けさえしなければよかったのではないかッ」
「はいっ、ごもっとも!」
どもりながら繰り言をボソボソと言った希は、父の叱責を受けて、反射的に背を逸らした。
ただ練確のみは、ほう、と嘆声を漏らした後、踵を返した。
「ま、とにかくこれで何より。手前はさっそくルガル陣に戻ってルフ殿にご報告申し上げるゆえ……先の三城が一件、獣だから、宮内卿への遠慮などと考えてゆめご違背あるな。それが名門たる者の矜持ですぞ」
そう釘を刺すことは、欠くことなく。
〜〜〜
「ということで、上首尾に終わりました」
「仲立ち、かたじけなく存じます。太守様」
「太守様はお止めください。あくまで一門の端に名を連ねている者にて」
鎖賀口城に、西武庫錬確は引き返してきた。
先と同様総大将負傷につき、応対したのは、テレサなる異国異教の女坊主である。
(この女か)
二度も面会すれば、その相手こそが今回の画を描き、かつパオルが退いた後のルガルの謀主であろうという察しもつく。第三者を仲介に立てて交渉事をするなど、先代にはまず考えられなかったことだ。
「では約定通り、クルマバシは武庫殿に差し上げます」
さほど違和感ない弥雲語にて、彼女は言った。
「忝く。さればさっそく我々からネイをまず城代として入れておきましょう。もし涼城が一か所でも明け渡しを拒むようであれば、これを奪い、あらためてそこもと達にお譲りする」
ネイとは近頃蜥蜴衆の間で頭角を現している、若き勇士である。テレサのそれよりかは遥かに拙いながら、弥雲語も話せるゆえ、通事として重宝していた。
「感謝いたします。お噂通り、話の分かる御仁ですね」
「そちらこそ、余勢を駆って涼城の命脈を一気に絶つことも出来たでしょうに、小城三つで済ますとは。気前が良いですな」
「それは我が主、ルフの度量というものにて。そのような探るような目つきをされても何も出ませんわ。武庫殿がそうであるように」
「……さて」
「桃源京への路など、弥雲に属する貴方がたにとっても無用の長物ですのに、宮内卿に睨まれる危険を冒してでもあえてそこを見返りとして要求する武庫殿……いえ、西殿の奥ゆかしさこそ見習いたいもの」
「ははは」
「ふふふ」
お互い目を細めて、含んだ笑みを鳴らし合う。
「いや、実際のところ。手前の考えなどたかが知れたものにて」
草摺を払いながら、錬確は立ち上がった。
「偏に西の静謐。それに尽きる。そのために、貴殿らとの付き合いを視野に入れて行動いたまでのことです……故地奪還や獣人根絶などという、中央官僚や坊主どもの寝言には付き合い切れぬ」
静かに、かつ痛烈な物言いと共に踵を返した彼だったが、
「あぁ、その友好の手付として、一つ忠告申し上げておく」
と、足を止めて、微笑みを傾けた。
「貴殿らが捕らえていた涼城希だが――悪くない。雑魚と見なして手放したは、存外鯨の仔やもしれませぬぞ」
と言い置いて。
――もっともこの時、武庫錬確はその後の展望をどこまで持っていたことか。
果たしてその後――涼城希は本人の生来の気質と反して――零落した御家を継ぎ、戦乱の状況に放り出される。そして泡を食って七転八倒しつつも、巧みな縦横術でルガルの東進を防ぐ最大の障壁と化すことになる。
そして他ならぬこの西の貴公子自身が、この後ある理不尽な没落の果てに、数奇な復活の運命を辿り、後々にまで語られる武勇伝と復活劇、そして異類婚姻譚を打ち立てることになる。
かくして種々様々な出自、立場、主義の三者を総括し、後の人々は『西の三賢』と呼んだ。
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