五、作戦

 夕餉の後、宵珉シャオミン苓舜レイシュンの自室の前に立っていた。


(なんか、緊張するな……)


 【宵珉シャオミン苓舜レイシュンに呼び出される】というシチュエーションを書いた覚えはあるが、実際にどんな話をしたのかは描写していない。

 つまり、この先、苓舜レイシュンから何を言われるか分からないのである。未知も未知だ。


レイ師兄、弟弟子の宵珉シャオミンです……」


 意を決して、宵珉シャオミン苓舜レイシュンの部屋に入る。

 すると、机の前に座して字を書いている苓舜レイシュンがこちらに視線を向けた。涼し気な瞳と目が合い、ドキリとしてしまう。


(こう見ると、随分若い)


 たしか、苓舜レイシュンの容姿年齢は十八歳ほどにしてあった。前世の宵珉シャオミンよりも歳下だ。

 しかし、修仙者は修行を重ねていくうちに容姿を最盛期に固定することができる。若返ることだって可能だ。


 苓舜レイシュンリン派に弟子入りしたのは今から百年以上前。

 実年齢は優に百歳を超えており、宵珉シャオミンよりよっぽど歳上なのだ。


宵珉シャオミン、こちらに来なさい」

「は、はい」


 苓舜レイシュン宵珉シャオミンを手招きする。

 てっきりその場で説教されると思っていたので、宵珉シャオミンは落ち着かない気持ちで苓舜レイシュンの元まで近寄る。


(あれっ、怒ってない……?)


宵珉シャオミン、私が君に教え始めてから何日経った?」

「えーと……」


 しまった、具体的な日付は把握していない。周囲の様子から、苓舜レイシュンの座学が始まって数十日は経過していることは分かるが、今日は何日目なんだ。

 というか、苓舜レイシュンそんなことを聞いてるんじゃなくて……。


(やっぱり怒ってる……!)


 苓舜レイシュン宵珉シャオミンよりもずっと位が高い。怒らせれば、どんな仕置が待っているか……。


(ううっ、転生早々説教は嫌だ……)


 ここで宵珉シャオミンの取るべき行動はただ一つ。苓舜レイシュンの機嫌がこれ以上悪くなる前に素直に謝ろう。


レイ師兄っ! 俺が悪かったです! 明日から真面目にやりますから、今日は許してくれませんか……?」


 宵珉シャオミンは正座して、苓舜レイシュンを上目遣いに見る。目頭にグッと力を込めて瞳も潤わせて、眉を下げる。


(どうだ! いくら憎い弟弟子おとうとでしだろうが、こんなに真剣な顔をしていれば仕置などできまい!)


 我ながら卑怯な手である。

 先程確認したところ、宵珉シャオミンの容貌はかなり良い。主人公格の美少年である晏崔ユェンツェイ華琉ホァリウにも劣らないはず。


 宵珉シャオミンが【かわいい弟弟子】コマンドを発動すると、苓舜レイシュンは僅かに目を見開く。

 それから、静かに筆を置いた。


「……明日からではなく、今日からだ。考えてみれば……私は試験に携わらなかったから、君の資質を詳しく把握していない。宵珉シャオミン、そこに座りなさい」

「えっ」

「どうした」

「いえ……はい」


 宵珉シャオミンは逆らえず、苓舜レイシュンの隣に正座する。その内心は焦りまくりであった。


(やばいやばいやばい……! やばいッ!)


 苓舜レイシュンは腕を伸ばして、-宵珉シャオミンの肩に手を乗せる。宵珉シャオミンの霊根と霊力を調べる気だろう。

 苓舜レイシュンが手に力を込めた瞬間、ピクリと眉が動く。同時に宵珉シャオミンはズキリとした鈍い痛みを感じ、血の気が引く思いがした。


(まさか、もうバレた……!?!?)


 苓舜レイシュンほどの修仙者であれば、宵珉シャオミンに埋め込まれた魔力を察知できるかもしれない。

 流石に妖魔王のものとまでは分からないだろうが、魔道を修めたと勘違いされるやも……。

 魔道すなわち禁忌、禁忌すなわち……死!


(こうなったら、逃げよう……! 好感度上げは保留、一時撤退だ!)


 宵珉シャオミン苓舜レイシュンの腕からそっと身を離して立ち上がる。


「す、すみません! 反省して一晩修行に励みます! 師兄、おやすみなさいっ!」


 宵珉シャオミンはバッと頭を下げた後、一息に別れの挨拶をして、書斎を走って出る。艶やかな黒髪が風に揺れる。


レイ師兄、ごめんなさい〜!!!)


 宵珉シャオミン苓舜レイシュンの腕を振り払ったことに胸を痛めつつも、自分の命のために自室に逃げていった。



 一方、苓舜レイシュンはぽかんと小さな口を開いたまま、宵珉シャオミンを見送った。

 そして、-宵珉シャオミンが慌てて走り去った後、苓舜レイシュン宵珉シャオミンに触れた右手をじっと見つめる。


「なんだ、さっきのは……」


 苓舜レイシュンは蒼い瞳を揺らして呟く。

 宵珉シャオミンの資質を測ろうとして肩に触れた瞬間、ビリッとした痺れが苓舜レイシュンの指先を伝い、胸の奥まで響いてきた。

 今までも他の修仙者の資質を確かめようと気を混入させたことは何度もあるが、こんな感覚は初めてである。


「っ!?」


 宵珉シャオミンに触れた時の感覚を思い出そうとすると、また胸がズキリと疼く。痛いというよりも、苦しい。そして、その火傷のような痛みは苓舜レイシュンの霊根まで届いた。


「まさか、そんなはず……」


 苓舜レイシュンはその疼きに心当たりがあった。苓舜レイシュンが心当たりの正体に気がついた瞬間、その玉肌が次第に紅く染っていく。

 苓舜レイシュンは動揺する思考を正すように、ぐっと下唇を噛む。そして、胸の辺りをぎゅっと掴んで、宵珉シャオミンが去っていった入口を見つめた。


◇◇◇


 宵珉は全力疾走で自室まで戻ってくる。そして、ぽすんと寝台に腰掛けた。


「はぁっ……はぁ……」


 道中、同輩に「宵珉シャオミン、うるさいぞ!」と怒鳴られてしまったが、宵珉シャオミンはそれどころではなかった。


(ううっ……苓舜レイシュンは怠惰な俺を許してくれたってのに、俺といったら……)


 しかし、体内の魔力に気づかれるわけにはいかなかったのだ。宵珉シャオミンは動揺して逃げてしまった。今度こそ、苓舜レイシュンを怒らせてしまったかもしれない。


「ん……? 待てよ?」


 はて、資質は修仙者選抜時に特殊な帳をくぐることで測られているはず。

 リン派の帳は宵珉シャオミンの体内にある魔力に気が付かなかったのだろうか。あの帳はかなり精巧なはずだが。


 宵珉シャオミンはもう一度、自分の胸に手を当てて意識を集中させる。やはり、霊根の隣に魔力が埋まっている。


「あ、」


 そこで宵珉シャオミンは魔力が薄い膜で覆われていることに気がつく。先程よりも気を高めたからか、膜の存在を視ることができた。


「なるほど! これのおかげで阿珉アーミンは帳に引っ掛からなかったんだな」


 この薄い膜は『秘魔ひまの紗』と呼び、作中では妖魔界が仙界にスパイを送り込む際に登場させた妖術だ。

 宵珉は自分の身体であるから、秘魔の紗を通り越して魔力を感知できた。しかし本来は、相当な霊力を持つ修仙者しか見抜けない。


「一先ず安心だな。少し触れられるぐらいなら全然大丈夫だ」


 例え苓舜レイシュンが秘魔の紗を見抜ける力を持っていたとしても、先程の接触程度では魔力は見えなかったはず。まだわ妖魔王の器であることはバレていない。


「他の皆からはどうにか隠せそうだが、問題は晏崔ユェンツェイだな……」


 なんといっても、晏崔ユェンツェイは『桔梗仙郷伝』の主人公だ。そして本作は主人公最強設定にしてある。

 晏崔ユェンツェイが覚醒したら、秘魔の紗をひと目で見破られる可能性だってあるのだ。


「どうすっかなぁ」


 宵珉シャオミンの立場上、晏崔ユェンツェイとの接触は避けられない。


 宵珉シャオミンは腕を組んで、頭を捻る。

 晏崔ユェンツェイは、両親が殺された理由は「妖魔王が妖魔を自由にのさばらせ、統制してなかったから」であると考えている。

 それが動機となり、最新話以降の話では、晏崔ユェンツェイは親の仇の妖魔──名を冥覺メイカクという──を殺したあと、妖魔王も倒して妖魔界を制圧し、妖魔が人間界を襲わないような平和な世界を作っていく。

 ……というプロットを考えていた。


「うーん……」


 ここで少し、見方を変えてみると。

 晏崔ユェンツェイの両親を殺したのは冥覺メイカクであり妖魔王ではない。

 原作の妖魔王は極悪非道であったために、晏崔ユェンツェイの制裁の対象となるルートを進んでいったのだが……。


 では、その妖魔王が極悪非道ではなかったら? むしろ、晏崔ユェンツェイに協力的だったらどうだ。


「そうだ、俺が晏崔ユェンツェイと仲良くなれば……」


 宵珉シャオミンの顔に活気が戻ってくる。

 善良に生きてさえいれば、妖魔王の器だとバレても殺されないんじゃなかろうか。

 しかも、宵珉シャオミン華琉ホァリウの同輩である。晏崔ユェンツェイとよろしく仲良くしていれば、仲間思いの晏崔ユェンツェイは-宵珉シャオミンを殺せないはず……。


「ふっふっふっ、活路が見えてきたぞ……!」


 少々姑息な考えだが仕方がない。

 これで、この世界の生存ルートが見えてきた。


1.苓舜レイシュン餐喰散サンハンザンを倒す術を伝授してもらう。

2.主人公の晏崔ユェンツェイと仲良くしておいて、いざ妖魔王の器だとバレた時に生き延びられるようにする。

3.妖魔王の魔力を完全復活させない。


 この三つが生存ルートの軸となる。

 ①は気を取り直して明日から努めるとして、②はイェン派との交流会まで進めることはできない。③に至っては、どうにかして頑張るしかない。


「まあ、気長にやろう……」


 天井を見上げて呟く。

 そうして、宵珉シャオミンは布団に入って眠りにつき、転生一日目の幕を閉じるのであった。

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