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その日は客入りが悪く、いつもより早めに休憩時間をもらうことになった。このスーパーの惣菜で一番気に入っている「ピリ辛鯖竜田揚げ弁当」を入手できたので、私はひどく浮かれていた。この弁当はメインはもちろん、副菜のさっぱりキャベツ、しば漬け、カボチャサラダに至るまで、計算し尽くされていて、最後に一口の白米の余分量も出さない。これを開発した惣菜担当の吉岡さんには足を向けて寝れないとはよくいったものだ。吉岡さんは、幼稚園に通う息子さんがいる肝っ玉母さんという感じの元気な女性だ。効率的に仕事をすることをモットーにしているようで、どんなに繁忙期でも、規定の時間内に自分の仕事をきっちり終わらせて帰る。弁当は、作った人を映す鏡だ。
満面の笑みで休憩室に入ると、そこには須能さんが背中を丸めて座っていた。なんだかその背中を見るだけで、それまでの須能さんの苦労が見えた気がした。須能さんの目の前には焼きそばパンがひとつだけ、ぽつねんと鎮座していた。
私は気に止めることなく弁当の蓋を開け、箸の用意をする。まずはさっぱりキャベツで精神を浄化させる。箸でキャベツをつまみ、口元まで運ぶ寸でのところで弁当に戻した。
「いつも、焼きそばパンだけなんですか?」
須能さんは最初、自分が話しかけられていると気づかなかったようで、辺りを見回して、自分しかいないことを確認してから、私に向き直って言った。
「うん、まあ。そんなに仕事で動かないし、少しメタボ気味だから」
確かに須能さんは痩せてはいないが、かといってそんな食事だと健康によくはないだろうと思った。口には出さないけど。だから話を変えてみる。
「店長、言い方ちょっときつくないですか?ここ、ルールが細かいし。もし別のスーパーがあったら私、転職してました。この仕事が好きだから、ここで続けるしかないけど」
なんとなく沈黙が嫌で、私はベラベラと余計なことを喋ってしまう。ああ、こんなつもりじゃなかったのに。今日の私には「ピリ辛鯖竜田揚げ弁当」がついているのに。
「仕事、好きなんだ。羨ましいな。僕は仕事が楽しいと思ったことはないや」
小さな焼きそばパンをさらに小さく指で潰しながら須能さんはこう続けた。
「ユキちゃんさ、なんでメタバース化しないの?ここより良い条件の仕事、きっと向こうでなら見つかるのに」
「何ででしょうかね。私もあんまし、よくわかんないです。けど、なんかたぶん、めんどくさいのが、案外好きなのかもしれないです」
自分でもよくわからない曖昧な返答をしていると思ったが、そうとしか答えられなかった。私の答えを聞いて、須能さんは少し笑って、でも、うんうんと頷いてくれた。
「須能さんは、どうしてメタバース化しないんですか?あんなにお客さんには勧めるのに」
私の問いに須能さんは少しだけ沈黙し、それからふっと吐き出すように話し始めた。
「息子がいるのね。今年で、25才。ユキちゃんと同い年かな?けど、もう10年近く会ってない。ダメな親父だった僕が全部悪いんだけどね。旅先で目を離してしまって、それからずっと探しているけど見つからなくて」
須能さんは今も、息子さんと暮らした家で待ち続けているらしい。
メタバース化したら、この世界で関わった人達とは二度と会えないという噂があるが、真実かどうかは私たちにはわからない。言っちゃいけないような気がしたけど、思わず言ってしまった。
「息子さんが、メタバース化してる可能性はないんですか?」
「わからない。でも、なんだかんだ言って、まだこっちにいるような気がするんだよ。あいつは僕の息子だから」
何かを懐かしむような顔で、須能さんは小さくなった焼きそばパンにかぶりついた。須能さんが「メタおじ」になった理由。息子さんを奪ったこの世界が憎いのか、それとも。きっとこれからも、こっちの世界で息子さんを探すのだろう。他人にメタバース化を勧めながら。
私はなにも言わず、さっぱりキャベツを豪快に口に放り込んだ。いつもよりなんだかひどく酸っぱかったが、やはり吉岡さんには何らかの賞を贈呈すべきだと改めて思う。
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