だから彼女がいなくなる

井戸端じぇった

だからピアノが夜に鳴る

だからピアノが夜に鳴る①

 10月も終わりに近づいたころ。


 駅から塾までの短い通学路を、榛菜は一人で歩いていた。


 雲ひとつない秋空が駅ビルの窓に反射して輝いている。


 天気予報のお姉さんは「やっと日中も涼しくなりましたね」なんて言っていたけれど、昨日、肩にかかっていた髪を少し短くしたので、涼しいを通り越して首元がちょっと寒い。そういえば、「朝晩は冷え込むので気をつけてくださいね」とも言っていた。もう塾の帰り道ではコートがないと風邪をひいてしまいそうだ。


 やっと夏が終わったんだな、と青天を睨みながら榛菜は思う。このまま冬まで駆け足で突入するのだろう。


「9月……10月……って何かやったかなぁ……」


 街は秋模様に装飾されているものの、ショーウィンドウに映る自分の姿は変わり映えしない。


 夏休みも含めて、ただただ暑い、ただただ勉強、そんな毎日だった。勉強自体は嫌いではないし、テストもある種の競技のようで成果が出ればそれなりに楽しい。しかし他に何かあったか、と考えると特に何もなかった気がする。


 晶と凛太郎の探偵コンビに出会ってからは刺激的な出来事が多かっただけに、なんとなく消化不良な気がしてしまう。


「まぁ、普通はそういうものだよね」


 四季折々に街が変化したところで、自分たちの生活が変わるわけでもない。


 ただ、ちょっとばかり、なんというか、普通の中学1年生とは違う何かがあってくれないかなーと期待していたのだ。


「んー、我ながら他力本願な青春」


 そんなことを考えながら教室に入ると、まばらに埋まった席の中、晶が一人で座っていた。


 灰野晶。


 天神中学の一年生で、線が細い、大人しそうに見える男子。前髪に隠れた神経質そうな目が少し気になるくらいで、あまり記憶に残るタイプではない。一見没個性的に見える晶は、しかし榛菜が思いもよらない推理で事件を解決する名探偵なのだ。


「今日は一人なんだ? 珍しいね。黒川くんは来てないの?」


 声をかけながら席に座った。榛菜の机は晶の一つ前にある。


「ああ」晶は読んでいた本を閉じる。

「あいつは休みだ。白崎さんも今日は一人?」


「うん。さくらちゃんは吹部だから合唱コンのリハに参加しないといけないんだってさ」


 新型感染症のせいでしばらく中止されていた合唱コンクールが、今年からやっと各学校で再開される。


 榛菜が通う三王丸中学校ではこれを記念して、会の前後で吹奏楽部が演奏する予定だった。感染症のせいで演奏の機会が少なかった3年生へのはなむけでもある。友人のさくらは先輩たちに妹のようにかわいがってもらっていたこともあって、「いい合唱コンクールにしないと!」と張り切っていた。


「そっちも合唱コンクールか。こういうのは再開しなくてもいいと思うんだが」


 晶はため息混じりに言う。


「正直、体育祭も修学旅行もなかった今の3年生が羨ましい。家で本を読んでた方が性に合ってる」


「晶くんは極端だねぇ……そういうのが楽しみな人だっているでしょ。黒川くんとかコミュ強でリア充そうだし、そういうの好きなんじゃない?」


「凛太郎も似たような感じだよ」


 そう言って晶が見せてきたスマホには、


『汗かいたし寒いし疲れたので寝る。もう金輪際合唱コンには関わらない』


 と凛太郎からのメッセージが表示されていた。


「どういうこと?」


「あいつは姉の関係で生徒会と縁があるんだ。おかげで合唱コンの準備に駆り出されて、体育館で折りたたみ椅子をひたすら並べてたらしい。人が良いから、他にもいろいろ押し付けられたんだろう。災難なことだ」


「へえ……へ? 黒川くんが人が良い?」


 仕事を押し付けられているのは確かに気の毒だが、それより晶の言い方が気になった。


 晶も大概たいがい遠慮なく榛菜をこき使うが、凛太郎は晶以上に人使いが荒くて我儘だ。人が良い黒川凛太郎なぞ彼女の知り合いにはいない。


「あ、もしかして黒川くんって二人いるの?」


 わずかな可能性に賭けて聞いてみた。


「すまないが何を言っているのかわからない」


「こっちこそだよ!」


 これまであの凛太郎の強引な行動でどれだけ肝を冷やしてきたことか。ああいうのは人が悪い、と言うのだ。


 あらためて探偵コンビの悪行を並べ立てようとしているところへ、榛菜を呼ぶ声がした。


「やぁやぁ、榛菜ちゃん」


 振り返ると、同じ教室の藤原ふじわら叶美かなみだった。


 ポニーテールを元気に揺らしながら歩く姿が目立つ女の子で、意志の強そうな目元やころころ変わる表情は榛菜から見ても印象が良かった。きっと学校でも友達が多いのだろう。挨拶する程度の仲の榛菜を名前呼びするあたり、リア充の雰囲気を感じる。


「小耳に挟んだんだけど、灰野くんって探偵なんでしょ?」


「そうだよ」


 本人を待たずに榛菜が即答する。


「……自称ではないが」


 晶が付け加えた。


「何か悩みごと? それとも事件?」


 晶を無視して榛菜が質問する。


 叶美は城北中学校の生徒だ。二人とは学校も違うし、挨拶こそするものの授業以外では接点がない。そんな子が探偵の話題を出してくるということは、つまりそういうことなのだ。


「うん。学校でね、不思議なことがあって、探偵の灰野くんなら何かわかるんじゃないかなって思って。ちょっと聞いてもらえる?」


 と、人懐っこい笑顔を見せた。


「聞くのは構わないんだが、その前に、誰が僕を探偵だって言ってるか教えてもらえるかな?」


 好奇心が強く事件や謎には関心を示す一方で、探偵扱いされるのは晶の本意ではないらしい。彼としては、自分を学者や研究者の末席に加わるものとして考えたいようだ。


「あれ、まずかった? えーっ……と」榛菜をちらりと見る。

「さくらちゃんと榛菜ちゃん……かな」


 非難まじりの晶の視線に、榛菜はにっこり笑顔を返す。


「だって探偵でしょ?」


「君らがそういう扱いをしているのは仕方ないにしても、勝手に話を広められるのは困るな」


「ごめん、二人が話してるのをあたしが横から聞き耳してたの」叶美が顔の前で手を合わせた。

「幽霊の正体を見破ったり、火事の犯人を見つけたりしたんでしょ? あたしもおねがいできないかなって」


「聞き耳されてたのかぁ。じゃあ仕方ないね。ごめんね晶くん!」


 榛菜は晶の不満顔なんて気にならない。以前の事件でも散々晶たちにこき使われたので、ちょっとした意趣返しのつもりである。それに、なんだか面白くなりそうだ。


 気持ちを隠す気もない榛菜に、晶はため息で返事をした。


「まぁ……もういいけど……」


 晶も心当たりがあるだけに強く言えない。


「今日は相方の黒川くんとさくらちゃんがいないみたいだけど、大丈夫?」


 遠慮がちに叶美が聞く。


 灰野晶、黒川凛太郎、白崎榛菜、山岸さくら。


 4人はある事件を解決したことをきっかけに一緒に居ることが多くなった。時には、名前もない、ゆるい間柄の『探偵団』として行動することもある。


「そうだな。凛太郎がいるときに聞いたほうがいいかも……」


 が、晶が言い終わる前に榛菜が割り込んだ。


「黒川くんは聞き込みとか尾行とか刑事っぽい役だけど、推理する探偵役だったら晶くんがやってくれるよ」


 のがさないぞ、と晶に笑顔を見せる。彼とて逃げるつもりはないのだろうが、退路は断っておくに越したことはない。


「へー、そうなんだ。榛菜ちゃんとさくらちゃんは何役?」


「ん? うん。なんだろう。応援役? いや、巻き込まれ役かな?」


 ちらちらと晶に視線を送りながら答える。


「おお……いろんな役割があるんだねぇ」


「我らの探偵団にはねぇ、いろんな役割があるんだよ。自分の学校に勝手に侵入される役、脅されて聞き込みを手伝わされる役、他校のスパイにさせられる役、まぁいろいろあるねぇ」


「それは……巻き込まれてるねぇ……」


「そうなんだよ、巻き込まれ担当は兼任が多くて大変なんだよぉ」


 大袈裟に肩をすくめる。


「……それで、何があったんだい」


 覚悟を決めたのか、晶が口を挟んだ。榛菜はにんまり会心の笑顔。


 叶美はそんな二人の様子にちょっと戸惑いながら口を開く。


「あ、うん。あたし、学校では科学研究部なんだけどさ」


 そこで彼女はいったん息を吸った。眉をそれらしく寄せて、話し始める。


「音楽室に幽霊が出たんだ……」

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