第76話 成長

 ずっと後悔していた。


「エルラド、どこにいるのよ!今日も魔法を教えなさい!」

 お付きのメイドと一緒に、私は屋敷の中を歩き回る。

「あの、お嬢さま…その…」

 その時にお父様が目の前から歩いてくる。

「あ、お父様!」

 私はお父様のところまで走っていく。

「お父様、エルラドが居ないの!どこに行ったか知らないかしら?」

 お父様は私に苦笑いを浮かべる。

「シルビア…彼ならもうここには居ないよ。」

 言葉の意味がわからなかった。

「え?」

 つい昨日まで一緒に遊んでいた。

「彼はこの書き置きを残して国へ帰ったそうだ。」

 私はお父様からその置き手紙を受け取る。

『すみません。俺では力不足でした。シルの教育、さすがにもう無理です。誰か別の方に後を託します。』

 手紙には短くそう書かれていた。私にはその内容が信じられなかった。

「なんで…昨日も一緒に笑ってくれたじゃない…いっぱいお話したじゃない…!なんで…!なんで!」

 昨日だって本当に普通だった。私が何か言ってもなんだかんだ言いつつ、最後にはそれを聞いてくれる。

 私は彼も楽しいんだと思っていた。

 私と一緒に笑う彼の顔の裏に、こんな思いが詰まっていたなんて。

「シルビア、すぐに新しい先生を用意する。だから元気を出しておくれ。」

「嫌だ!エルラドがいい!ねえお父様、もう一度エルラドを呼び戻して!」

 私は彼以外の教師なんて要らない。ひたすら机に向かって、同じような話を繰り返す授業なんて、もう受けたくない。

「それは無理なんだ…ついさっきマキエルの方から、彼の派遣の話はなかったことにしてもらうと通達があった。」

「嫌!お願い!もう我儘言わないから!ちゃんと授業受けるから!だから、エルラドを呼び戻して…!!」

 私はその場で泣き崩れた。


 もう、彼に会えない。

 もう、彼の魔法を見れない。

 もう、彼と笑い合うこともない。


 私は知っていたはずだ。

 彼の心の底に果てしない闇があったことを。最初にそれを確かに見た。見たのに、それを無かったことにして、彼との時間を楽しんでいた。

 なんで、後になってから気づくのだろう。


「嫌だ!!嫌だぁ!!」


 このとき私が彼に付けた傷は、取り返しのつかない後悔となって降り掛かってくるのだった。



 俺は手を引かれて、シルと一緒に大学の応接室に来ていた。さっきまでと比べて、彼女はとてもご機嫌だ。

 向かい合って席に着くと、彼女のお付きのメイドがすぐにお茶を用意してくれる。

「ありがとうございます。」

 俺がお礼を言うと、メイドは一礼をして、シルの後ろに戻っていく。

「それじゃあ、聞かせてもらってもいいかしら?その姿の理由。あと、なんでこんなところにいるのかをね。」

 俺は手短に今までのことを話す。

「簡単な話だ。さっき見せた転生魔法あっただろ。あれで転生した。ここには青春?するために遊びに来てる。」

 ぶっちゃけ、もう青春もクソもない気がするがな。思い返してみれば、ここに来てからやっているのは、ほとんどシルにしていたことの繰り返しだ。

「あなたの訃報を聞いた時信じられなかったわ。アスティア・インフェルが話しに来るまで、全く知らなかったんだもの。」

 俺はその人物の名前にすぐさま反応する。

「アスティアと会ったのか!?」

「え、ええ。あなたとの思い出を聞かれたあとに、何かの紙を見せてきたわ。」

 紙…!

 俺は机に乗り出した状態で、シルの言葉を待つ。

「確か、質はいい紙だったけど、黄ばんでいたわね。裏にあなたの字が書いてあったわ。」

 その言葉を聞いて、俺は確信する。


 誰かが家の立体魔法陣を起動したのだ。


 そして、どういう経緯であれ、あの暗号は今、アスティアの手元にある。

「そうか…よかった…!」

 これで一安心だ。少なくとも、転生魔法の研究成果は転送されているはずだ。それだけで肩の荷が下りた気がした。

 あとはアスティアが紙の仕掛けに気がついてくれるかどうか。こればっかりは祈るしかない。

「もう…私が目の前にいるのに、他の女に夢中になるなんて。」

「え、あ、ごめん…シルはあの後どうしたんだ?」

「私は我儘をやめて、とにかくいろんなことを頑張ったわ。」

 貴族としてのマナー、ダンス。それ以外にも、とにかく貪欲に食らいついていったそうだ。

「もう一度、あなたに会うために。会ったときに、一人前の淑女として見て欲しくて、必死だったわ。でも────。」

 目の前の紅茶の湯気を見てから、シルは目を伏せる。


「私がそこに辿り着いたとき、あなたはもう居なかった。」


 その言葉を聞いた時、あの狭間での対話が思い浮かんだ。


「君を愛してくれていたのは、誰もいなかったのかい?」


 ケラノスが俺を咎めたその一言。それが遂に、俺の目の前に現れた。

 全てを投げ捨て、自暴自棄になってしまった俺の罪。何もかもを投げ捨てたその結果が、彼女の悲しみ。

 これは氷山の一角に過ぎないだろう。

「…すまなかった。」

 俺は立ち上がって、シルに向かって頭を下げる。

 俺が頭を下げなければいけない相手はどれだけにのぼるのか。まだ謝罪できたのはイツキとシルだけだ。

「謝らないで。元は自分のせいだってわかってる。それにもういいのよ。今の私を見てもらえただけで、私の悲願は叶ったの。こんな奇跡的な再会も、まあ、悪くないわね!」

 そう言って胸を張るシルの目に、もう涙はなかった。その瞳を見ただけで、彼女が大人になったのだと、心から理解した。

「…シル、いい女になったな。あの頃に比べたら見違えたよ。」

 俺のその一言で、彼女はニィッと笑ってみせる。


「でしょ!私、王妃なのよ!敬いなさい!」


 その肩書に劣らない強さを身に着けた彼女は、俺の目にはとても眩しい存在になっていた。

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