第9話(授業中におしっこ行きたくなったけど、頑張って我慢するヤンキーくんの話)

 件のお漏らし事件から彼は変わった。休み時間の間におしっこを済ませ、授業も分からないながらに聞くようになった。

「矢場、最近頑張っているんだって?国語の中野先生が褒めてたぞ」

「…うっせ、」

「この調子でな」

 答案用紙の返却時。担任からのお褒めの言葉に緩んだ頬は少し赤い。ヤンキーも所詮人の子。褒められれば悪い気はしないし、もっと頑張ろうと思うもの。良くも悪くもバカで単純なのである。

 しかし気をつけていてもバグというものは起こるもので。

 その日は寒かった。ちょうど衣替えの転換期で、自販機のhotの表示が増えてくる、そんな微妙な季節。体育の冷めやらぬ興奮のままお茶をがぶ飲みした彼は、友人らとふざけながら教室に戻ってしまい、微かに感じる尿意に気づけなかった。

 そんな彼が違和感に気づいたのは授業が始まって10分が経った頃だった。

 午後の授業、加えて体育終わり。半数以上が船を漕いでいる中、下腹がじっとりと張っていることに気づく。

(ぁ…しっこ…)

紛れもない尿意と寒さも相まって、思わず身震いをした。

最近頑張っているとはいえ、所詮1ヶ月も経っていない。先を見通す力はまだ足りず、他の子らのように水分量を調節する、といった事はまだ難しい。彼のおしっこ管理能力は小学生レベルなのだから無理もない。

 昼休みに済ませたトイレも先ほどの大量の水分摂取で安心できる材料とは程遠いもの。

 しかし最近の彼は成長中なのである。授業中にトイレに行くという行動に羞恥心を覚えるようになっていた。

(40分ぐらい我慢できるだろ)

 したいというだけで漏れそうという訳では無い。下腹を応援するかのように一撫でした後、いつもだらしなくひらげている太ももをキュッと閉じ、尻をモジモジと数回揺らした。

(っ、しっこ、しっこしっこしっこ、)

手を温めるためと心の中で周りに言い訳をし、股間に左手を挟む。50%、60%、70%…。脳みその尿意を考える容量と共に、膀胱にも続々とおしっこが注がれていく。最初は柔く揉んでいた性器も無意識に力が強くなり、意味もなく足を組み替える数も増えてきた。

 板書なんて頭に入らない。まあ元々分からないのだけど。今彼は猛烈におしっこに行きたい、それしか考えられていない。

 残りはたったの20分、されど20分。集中力のない彼はただでさえ体感時間が長い。ゲームをしている中での20分でもギリギリ走って駆け込むレベルなのに、数学の説明を受けながらの20分は最早拷問に近い。

(っくぅううう…しっこ、もれるもれるもれるっ!!!!)

後少し、後少しだけ。もしギリギリになったら行かせてもらおう、片隅にあったその考えが余計に彼の首を絞める。あと1分だけ、演習に入ったら、区切りが着いたら。先生にお伺いを立てて席を立つという経験の乏しさから、中々言い出せない。彼の膀胱はもう限界に等しい。つん、と誰かがふざけて膀胱の辺りをつついてしまえばとめどなく出口に黄金水が押し寄せ、彼の周りは大洪水だろう。

(せんせーに…いや、残り8ふん、っ、がまん、がまんがまんがまん、)

 自分は中学生であるという自我とプライド。彼を椅子に縛りつけている理由だ。肌寒い教室、窓からの冷気、そして腎部に近い尻を冷やす椅子の板。

 右手は握りしめすぎて白くなっている。ペンを持つ手は震え、進む板書に追いつけていない。

『時間を守る練習。いきなりは出来ないの。中学生のうちに学びなさい』

保健の先生の言葉が頭を駆け巡る。おしっこ、でも後少し。でも出ちゃう、でも。ペンを投げ捨て両手でソコを握りしめ、大きく身震いをして…。




じゅ…

「っ、!!!!!」

パニックだった。今、ここ、教室で雫を垂らした。このままだと漏らす、いくら頭の足りない彼でも分かる。焦った頭で先生に伺いも立てずに飛び出した。教室の中から微かに聞こえる先生の声と生徒のざわめき。しかし「漏れる」と「おしっこ」と「トイレ」のみで支配されている彼には聞こえない。人目がないのを良いことに、両手で前を揉み込みながら青いピクトグラムを目指す。

「っはぁっは、ぁああ、」

二滴目はいつ溢れるか分からない。雫では済まされないかもしれない。誰の目もない彼のステップは見事なまでに小気味がいい。

 タン、タンと右左に踏み締める足は震えていながらも走っているかと聞き間違えてしまうほどの速さ。

「ぁーーーっもおぉっ!!!」

小さな悲鳴に集約された切迫感。チャックが噛んでいるのである。何度もジッパーを上に上げたり下に下げたりするが、お決まりの所で止まってしまう。あとは出すだけなのに。小便器が誘っている。床のタイルが、独特の下水の臭いが彼の放出を誘っている。

前を慌てて握りしめる。これ以上前を離してしまうと限界だ。

「っ、」

じっとしていられない。早く外さないと。

ふとある人の顔が浮かんだ。

一目散に階段を降りる。彼が向かった先はあの時散々世話になった先生のいる場所、保健室だった。




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