AlーPHA

光佑助

Ver.0.0 AFH計画

#1


――「雨の日は悪くない」、記憶の中を優しい歌声が流れている。


 ーーそう、あの日も雨だった。


 イフ・タワー、メカニックラボ。そこでは、人類史を揺るがすような大いなる計画が行われていた。


 緑色の液体で満たされた培養ポッド。その中には、無数のケーブルに繋がれた女性型アンドロイドが眠っていた。人型でありながら、白と黒を基調としたボディに金色のラインが走るその姿は、どこか女神を彷彿とさせる。


 白衣を着た金髪の男がゆっくりとアンドロイドに歩み寄る。

 "沖永レイ(おきなが れい)"博士。

 このアンドロイドこそが何よりも彼の生きがいだった。


 沖永はまるで父親が娘を愛でるような穏やかな眼差しで、ポッド越しにアンドロイドの表面を撫でながら、鼻歌を奏でる。口ずさむメロディは、どこか懐かしくもあり、切なさを帯びた不思議な響きだった。助手の一人が一瞬手を止めて聞き入るほどに。


「起動させます」


 助手の緊張した声に、沖永は静かに頷く。タブレットが操作され、ポッドのハッチが重い音を立てて開く。緑色の培養液が勢いよく流れ落ち、シューッと蒸気が響いた。培養液が尽きると、アンドロイドの目に光が灯る。


 ――月のように輝く、金色の瞳。全てを見透かす美しい光だった。


「成功したのか」


 沖永が呟き、額の汗を拭う。助手たちが歓喜の声をあげ、一斉に拍手した。一人は興奮でタブレットを落としそうになり、もう一人は目を潤ませる。


「やりましたね!」


「まるで生きてるみたい……」


「今日はイフ社にとって記念すべき日だ!」


 助手たちはそれぞれに喜びを表す。しかし、その輪の中で、沖永だけはどこか影のある表情をしていた。


「こんな素晴らしいAIが誕生したんですよ。博士は嬉しくないんですか?」


 助手の問いかけに、沖永は微笑みを作る。


「嬉しいというより……大いなる責任を背負った気分だよ」


 その目の奥には、深い決意が宿っていた。


 やがて、アンドロイドのケーブルが取り外される。


「……さぁおいで。君をずっと待っていたよ」


 沖永は両手を広げて、アンドロイドを出迎える。

 彼女はぎこちない足取りで、一歩、また一歩と沖永のもとへ歩み寄る。そして彼の前に立つと、静かに口を開いた。


「あなたが私のマスターですか? 私は――」


 世界最高のAI、"Al-PHA(アルファ)"が誕生した瞬間だった。



 ――十二年前。

 白くそびえ立つ大きな壁、色とりどりのステンドグラスが美しく輝く荘厳な教会。

 黒い喪服に身を包んだ人々が、聖歌を聴きながら静かに祈りを捧げている。

 だが、そこにある棺は空っぽで、亡くなった人物の姿はない。

 それが普通の死ではなかったことは、誰の目にも明らかだった。


 教会の片隅、おかっぱ頭の幼い少女がぽつんと座り込んでいた。

 その小さな手には、ヒーローのぬいぐるみがしっかりと抱きしめられている。


 ーー"西波ルナ(にしなみ るな)"。それが彼女の名だ。


「パパ……なんで……」


 そう呟きながら、今にも泣きだしそうな気持ちを必死に抑えるルナ。

 亡くなったのは、彼女の父だった。


 ふと、前方から親戚たちのひそひそ話が聞こえてくる。

 難しいことは分からなくても、父や自分たち家族のことを話しているのは幼いルナにも分かった。


「南さん……火事の幼稚園の子供を助けようとしたんですって。子供は無事に助かったらしいけど自分が死んじゃうなんて……あんまりよね」


 南はルナの旧姓。父が亡くなったことになり、母親の苗字である西波になっていた。


「やろうとしたことは立派だけど、遺された家族のことを思うとね……」


「これからお母さんはどうするのかしら? まだルナちゃんも小さいのに」


「お父さん、売れない役者だったんでしょ? 保険にも入ってなかったんじゃない?」


 どうして何も知らないくせに、勝手なことを言うのだろう。


 助けを求めようと母の姿を探す。

 だが、母は遠くで参列者に挨拶して回っており、娘に構う暇などないことは明白だった。


 独りぼっちのルナ。

 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、不安を和らげようとする。


 このぬいぐるみが本物のヒーローになってくれたらいいのに。

 そしたら、今の辛い自分を助けに来てくれるかな……。

 ーーいいや、そんなことはあり得ない。

 ヒーローは忙しくて、たったひとりの女の子のところになんて来てくれるわけがない。


 そう思うと、さらに悲しみが募った。


 とうとう抑えられなくなり、ぽろぽろと涙がこぼれる。


「あなた、大丈夫?」


 不意に背後から優しい声がした。


 喪服を着たその人物を見て、ルナは一瞬で誰なのか分かった。

 綺麗なブロンドの髪に、凛々しい顔立ちの女性。

 それは、ルナが抱きしめていたヒーローのぬいぐるみの姿そのものだった。


 亡くなった父が憧れのヒーローと知り合いだったなんて、今まで知らなかった。


「シャイニングラブ……」


 慌てて涙を袖で拭うルナ。

 憧れのヒーロー、シャイニングラブを前に、恥ずかしい姿は見せられない。


 そんなルナを、シャイニングラブは優しく抱きしめた。


「今は泣いてもいいんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、ルナは我慢するのを辞めた。堰き止めていたダムが溢れるかの如く、わんわんと泣いた。


 泣きじゃくるルナの頭をそっと撫でながら、シャイニングラブは優しく語りかける。


「あなたは大丈夫。あなたの未来は希望で満ちている」


「本当……?」


「本当よ。ヒーローは嘘はつかないわ」


「……分かった。信じるよ」


 他の誰に言われても信じられなかったかもしれない。

 でも、ずっと憧れてきたシャイニングラブの言葉なら、素直に信じることができた。


 ルナが笑顔になったのを見て、安心したようにシャイニングラブは腕をほどく。

 そして、蒼い瞳でルナを見つめ、凛とした声で問いかけた。


「あなたの夢はなあに? お姉さんに教えて」


 少し考えたあと、ルナは不安そうに口を開いた。


「……ヒーロー。シャイニングラブみたいな、かっこいいヒーローになりたい。パパのことは守れなかったけど、ママのことは守りたいんだ。……なれるかな?」


 泣き虫の自分じゃ無理だと、そう言われるんじゃないか、ルナが怯えていると、シャイニングラブは即答した。


「あなたはヒーローになれるわ。願い続けていれば、きっとね」


「……う、うん!」


「よし! いい返事だ」


 サムズアップをして、シャイニングラブはルナを褒めた。


「お姉さん、ヒーローだから……ここで会ったことは内緒だよ」


 しーっと、口元に人差し指を立てるシャイニングラブ。その仕草が、かっこいい外見とのギャップも相まって、とても可愛らしく見えた。


 ヒーローは不思議な力を使って悪を倒すからかっこいいーーずっとそう思っていた。

 けれど、泣いている小さな女の子に寄り添い、心を救ってくれたその姿は、どんな戦いのシーンよりもずっと、ルナの胸を打った。


 ーーこんな温かい気持ちは初めてだ。


 ルナはこのとき誓った。

 いつか、シャイニングラブのように、大いなる力を持ちながらも、人々の心を救えるヒーローになりたいと。



 そんな幸福な気持ちに包まれながら、ルナは目を覚ました。どうやら幼少期の夢を見ていたようだ。


「あれ……なんで泣いてるんだろう」


 夢のせいだろうか。瞳には一筋の綺麗な涙が伝っていた。


 あれから十二年の月日が経ち、ルナは今年で十六歳の女子高生になっていた。

 背中まで伸びた黒髪は寝癖でボサボサだったが、整えれば人気女性アイドルのような可愛らしい顔立ちをしている。


 どうやら昨日は学校の疲れで、制服のセーラー服のまま寝てしまったらしい。そのせいで、あんな不思議な夢を見たのかもしれない。


 欠伸をしながら大きく伸びをすると、壁に貼ってある色褪せたポスターが目に入る。それは夢の中で会ったヒーロー、シャイニングラブだ。


 "シャイニングラブ"は、フィクションで当時放送されていた特撮ヒーロー番組だ。

 今思えば、葬式の日に会ったヒーローは、悲しみのあまりに自分が生み出した想像だった気がする。

 たとえシャイニングラブ役の女優が来てくれたとしても、売れない俳優だった父と接点があるはずがない。

 あの頃の自分は幼すぎて、そうすることでしか自分を慰められなかったのだろう。

 でも、あの温かさだけは今でもはっきりと覚えていた。


「あぁ、もうこんな時間か」


 枕元に置いてあったスマホを手に取り、時間を確認する。もう家を出なければならない時間が迫っていた。

 窓の外では、人口太陽の光が差し、エアカーの飛び去る未来の音がルナを急かす。

 ソニックバスに入ってから行こうと思ったが、間に合いそうにない。制服の上から自分の匂いを嗅いでみるが、別に臭くはない。一日くらいなら入らなくても大丈夫だろう。


 今日は学校で三者面談がある日。遅刻するわけにはいかない。

 机の上に置かれていたタブレットを開き、進路希望調査を確認する。

 そこには、第一志望として「イフ大学機械工学部」とホログラムの文字が浮かび上がった。


 タブレットを鞄にしまおうとした瞬間、脳裏に一人の女性の穏やかな笑顔が唐突によみがえった。


『あなたはヒーローになれるわ。願い続けていれば、きっとね』


 それは、夢の中で聞いたシャイニングラブの言葉だった。


 本棚に飾ってある父の写真に向かって「......ボク、このままでいいのかな?」と心の中で話しかけた。シャイニングラブのヒーローショーに訪れたときのもので、幼いルナを肩車して微笑んでいた。その笑顔が今の自分の人生に問いかけているようにルナには思えた。


 無意識に制服の襟を握りしめる。

 今着ている自分の可愛らしいセーラー服が今だけは、自分の未来を閉じ込めている囚人服に錯覚してしまった。


つづく

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