生きるとは
私は反出生主義について書いた。
反出生主義の是非を問うたら、
賛成派は生きていることは苦痛だと、
反対派は生きているといい事がある、
と言うだろう。
これらはどちらも生きていることを
前提としている。
ところで、生きているとは何だろう。
「生きる」という言葉を調べると、
人間・動物などが、生命があり活動できる状態にある。 生命を保つ。 生存する。⇔死ぬ。
とある。
次に「生命」について調べると、
人間や動物、植物などが生物でありつづける根源。
と出てくる。
生物の定義については、高校で生物基礎を
習った人なら分かるだろう。
細胞で出来ていて、恒常性があり、
などと様々な要素を満たすものを
生物と呼ぶらしい。
ここで2つ疑問がある。
2つ目は次回取り上げようと思う。
1つ目を話すと、生物ではないものは、
生きていないのだろうか?
元々は生きていたが、生物学では
生きていないとみなされるものがある。
例えば僕の近くにあるノート。
元々は植物の一部として生きていたが、
今では生物ではない。
つまりノートは植物の死体で、
生物学的には生きていないらしい。
また、最初から生きていないものもある。
例えば今病室から青空に浮かぶ雲が見える。
大きくて綺麗だ。空を泳いでいるあの雲を
構成するのは水であり生物ではないので、
あの雲は生きていないらしい。
私は生物基礎の最初の授業で生物の定義を聞いたとき、生物学はなんて恣意的な学問なんだと思った。
では、生物学から離れた「生きる」の意味を
考えてみよう。
欅坂46の「二人セゾン」という曲に、
「生きるとは変わること」とある。
そこで私は、「生きる」とは
「感情を持つとともに、変化を続けること」
だと考えた。
また、言葉など概念的なものは別だが、
物質的なものは全て生きていると思う。
何故なら、そうでないと周囲のものは皆
哲学的ゾンビのようなものかもしれない
という感覚に襲われるからだ。
哲学的ゾンビとは、普通の人間と同じように振舞っていても、実は内面的な感情や感覚を持たない存在
である。自分にはクオリア(感情や感覚)がある。
しかし近くの人間がクオリアを持っているかを
見分けることは出来ない。
オックスフォード大学の哲学科で、
「あなたがロボットでないことを証明してください」という問題が出たことがあるらしい。
これを証明するのは難しいだろう。
僕は、全ての物質的な存在は生きていると仮定して生きている。なんともアニミズムのような
考え方だが、何故ならそう思わないと
先述したように、自分以外の人や物は
感情や感覚がないかもしれないと怖くなるからだ。
あなたは、生きるとは何だと思うだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます