第4話 Remind

 轟々と燃える小屋を背に俺はニーナを抱え直して、ついでに転がっている猫を拾いあげて山を下りた。

 正直、適当に進んでいたため、町にたどり着けたのは軌跡に近いだろう。人間には帰巣本能があると言うが、知らない町でも適応されるのかと性質に感謝が絶えない。

 ホテルに向かい俺はニーナを部屋に連れて行く。猫をホテルに連れて行くわけにもいかず、どうしようかと悩む間もなく、旅行鞄に押し込んだ。

「なにをするのだ!」と文句を言っていたが、そんな余裕は俺にはない。ルームキーを受け取って部屋に急いだ。

 もぞもぞと蠢く鞄に訝しまれる前にエレベーターに乗り込んで部屋に入る。もしかすると未成年をホテルに連れ込むとして、通報されるかもしれない。頼むから、弟との旅行と言う認識でいてくれと願いながら、部屋の階層に到着するのを待った。



 部屋について、ニーナをベッドに座らせて俺は椅子に座ると、もぞもぞと猫が鞄から飛び出してくると「ニンゲン風情が」と憎らし気に地を這う声が聞こえる。


「それで? さっきの連中は?」

「ニーナと聖を狙って来た。剣の連中だろう」

「さっきから、そのソードとか、なんだよ」


 猫は俺の言葉に「少しも聞いていないのか」と呆れた声を出されて俺の機嫌が最高潮に悪くなる。仮にも命を助けた人間に対しての反応がそれなのか。


 俺は息を一つ吐いて、感情の高ぶりを落ち着かせる。真水にでも浴びて頭を冷やしたいが、今はそれどころではない。少しでも情報が欲しかった。


 ばあさんが、先ほどの男たちと関わっていた。もしかすると暴力団とかの類か。借金を持っていたなんて話は聞いていない。金銭に困っている話も聞かない。

 ばあさんを連れてきた男も、詳しい話はしてこなかった。ただ死因は事故であるとしか言っていない。もしも当人が金を貸しているのなら、言うだろう。言わなかったどころか突然、姿を消した。


「これだから、ニンゲンは無知で困る……ア、イタ」


 猫が話をしていると、ふいに、ぽんっとニーナが咎めるように猫の頭を叩いた。

「ごめんよ、でも事実だろ?」とニーナを見上げて言う。ニーナは猫を見つめているだけで何かを言うつもりはないようだ。

 元から母音しか話せないのだから話の腰を折るなんてことはしないんだろう。

 猫はため息を吐いて言う。


「先ほどの者どもは、ニーナを狙い、聖を殺しに来たのだ」


 ニーナは、特別であり、その特別性を求めた悪人たちがニーナの行方を追ってる。その際にニーナを匿っていたのが、ばあさんであり、ばあさんがある日姿を消して以来、地下室でひっそりと暮らしていた。ニーナは、ばあさんと二人で危険な戦いに巻き込まれているという。


 その戦いとは、剣と鞘の契約をすることで剣は戦い、鞘は壊れた剣を治す。剣と鞘の役割を二人の人間が担う。ふたりでひとつのペア。

 先ほどの男たちも、その戦いに参加しているようで、勝利した際に得られる報酬を狙って、参加者を減らしている。


 剣は、攻撃的であり、絶対的な力を持つと信じて疑わない。決して屈しない破滅の刃を冠する。剣を破壊して、その報酬を得る。二つを破壊することで、さらなる報酬を手にして強さを手に入れる。

 命さえあれば、力が出なくとも鞘がいれば、何度でも立ち上がり戦うことが出来る。話を聞いているだけで不毛だと俺は気分が悪くなる。


「そうか。言葉を話せないニーナなら、鞘として契約しても文句なんて言えないから都合良い。利用するために捕まえる。ばあさんは、剣としてニーナを護って、死んだってことか?」


 ばあさんが誰かを護るなんて考えられなかったけど、極めて残忍というわけではなかったはずだ。俺には屁理屈ばかりを口にしていたが、子どもが好きだったのだろうか。

 甥っ子の面倒を見るほどには、嫌いではないとは思うが、ニーナを見つけて庇護欲に掻き立てられても不思議じゃない。

 人となりを知っていればと言うが、ばあさんはそれすら把握させない。どこか孤立的で、独創的で、けれど協調性があって、協力的と意味のわからない人だ。

 俺をいじめていると思えば、俺がばあさんをいじめていたなんてことも日常的だった。

 喧嘩に明け暮れていた俺に、喧嘩するなと咎めるわけじゃない。寧ろ喧嘩しろと唆してくる。それが馬鹿らしくなって、喧嘩をやめるとまるで自分の策略通りとでも言いたげに笑い声を発していた。

 だから、今回もきっとそうだったのだろう。ニーナが狙われていることを知ってて、危険だと理解していながら、危険が理解できずに首を突っ込んだと考えられる。


「警察には?」

「警察か。もしもそれが叶うのならば、今頃ニーナは庭付きの家で我輩を愛でているだろうな」


 皮肉を込めて猫は言う。いちいち癪に障る言い方しかできない猫なのかと苛立っていると咎めるようにニーナは、猫をぽんっと叩くが、余り意味がない。


「貴様も狙われるぞ」

「どうして」

「小屋に聖がいないと分かれば、町に来るだろう。そして、貴様が山に入っていたと知れば、奴らは貴様を追いかけて、聖とニーナの居場所を吐かせようとする」


 顔を見ることが出来なかった。小屋を燃やすことを容易にやってのけてしまう相手。業火の中、命からがら脱出して、服は焦げ臭い。相手だって俺の顔を見ているわけではない。すぐには見つけられないが、決して見つからないわけではないと猫は言う。


「俺は関係ないだろ」

「連中はどんな手でも使う。貴様が地元に戻れば、奴らも同じように追いかけて来るだろう。そして、聖の親族を見つければ殺して貴様にニーナの居場所を吐かせる。知らないと言っても奴らにそんな慈悲は通用しない」

「ふざけんな! んな勝手が許されるわけ!」

「許されるのだよ。それが、裏社会に精通している者どもだ」

「だからって、そう言うのは一般人は巻き込まないって暗黙があるはずだ」

「誰が決めた? 所詮は、暗黙。気づかれなければ問題ない。秘密裏に消された者たちがいることを貴様は知らないわけではあるまい?」


 気づいたらいない。気づければ世の中から消えた者たち。

 この世から消えたくなければ、抵抗しなければならない。

 それによって得られるのは、ばあさんがしてきたことを間接的にも知る事が出来る。ばあさんが見てきた世界を同じように見ることが出来る。


「ばかばかしい」

「さて、本当にそうか?」

「……ああ、そうだよ。猫がしゃべるのも、孤児がいるのも、全部夢だろ」

「なんだと?」


 夢だ。俺は夢を見ている。きっとばあさんのメモに書かれた場所に向かう途中の電車の中で眠ってしまったのだろう。

 その長い夢の中でこうして摩訶不思議な現象を受けている。理由はそれで十分だった。


「……はぁ、もしも貴様が現状を夢だと言うなら、貴様はあの業火の中で燃えても死なないと言うんだな?」

「そうだろ」

「そうか……。なら」


 猫は、ニーナの膝から降りて、俺の元へ来る。二つに分かれた尻尾が揺れている。

 見た目に反したその声にギャップが激しく眩暈がしてくるが、今はそれよりも猫がなにをするのかを見ているだけだった。

 猫は飛びあがり、俺の首へ前足を振り上げて、勢いよく引っ掻いた。鋭い痛みが首もとに走り呻いた。


「痛ッ!?」


 鋭い痛みは続いた。ニーナが慌てて猫を押さえつける。


「痛いか? そうだろう。当然だ。これは現実なのだからな。我輩がしゃべる事も、ニーナが狙われていることも、貴様が間接的にでも争いに巻き込まれることも全て現実だ。その首の痛みを戒めとして、理解しろニンゲン」


 首を押さえて痛みを耐えていると静かに言われる。巻き込まれた。

 そんな可笑しい話を信じろと言って、ばあさんの道筋を辿れと言う。


「貴様にとっても悪い話ではあるまい。聖のことを知りたくて、此処まで来たのだろう? なら、ニーナを護るついでに調べたらいい。我輩たちと共にいれば、向こうから聖を知る者たちが集まって来る」

「集まる? 狙われるの間違いじゃないのか」

「同じこと」


 ばあさんのことを知りたい。ただの伯母を知るなんてどうかしているが、不思議なことに好奇心が底を尽きる事はなかった。寧ろもっと知りたいと探求心が疼いた。ただひとつ不安がある。小屋を燃やした連中にまた会うのか。命を狙われてしまうのか。


「俺は、死ぬなんてごめんだ。そう言うのには巻き込まないでくれ」


 喧嘩をしていたから、平和主義ではない。しかし、犯罪組織などに狙われるほど他人に恨みを買っていたなんて思えないのだ。ただの中学生の喧嘩を真に受ける人たちはほとんどいない。

 ばあさんが誰かに恨みを買っているのなら、自業自得で、素直に死んでしまったと告げるだけだ。


 俺の首からジクジクと血が流れていることも思考の外に追い出すほどに猫の視線を鋭く俺を見ていた。何度も意味の分からないことを言われたら、頭がどうかしていると疑うしかないからだ。


 結局その後は、整理が必要だと言って話は切り上げた。

 ニーナを寝かした後、猫が風呂上りの俺に声をかけた。真剣な声色をして、猫の癖に偉そうに俺を呼ぶ。


「おい、ニンゲン」

「おい、猫。俺は、伊瀬いせ緑郎ろくろうって名前があんだよ」

「ロクロウ? 変な名前だな。回せば皿が出来そうだ」

轆轤ろくろじゃねえよ。回すな。それに、お前にだけは言われたくねえよ」


 なんだよ一ッ葉にゃんってふざけてんのか。

 眉間にしわが寄るのがわかる。目元がピクピクと痙攣する。タオルで濡れた髪を乱雑に拭いて「なんだよ」と要件を催促した。こっちはお前が引っ掻いた傷が痛いのを黙っているんだ。早く話せと圧をかける。


「ニーナをどうするつもりだ」

「は? どうもしねえよ。警察とか連れて行く」


 ニーナの特殊な出所は、保護してもらうのが一番手っ取り早い。

 俺が連れて歩くよりもよっぽど安全だ。それに俺だって葬儀を終えて、落ち着いたら仕事がある。俺が見つけたからと言って責任を取る必要はないだろう。


「ならん、警察は奴らの手先が溢れてる。それに一緒に居てくれと言われているだろ」


 猫はそう言って鋭い瞳をさらに細めて俺を睨みつける。その瞳には怒りを宿している。ニーナを大切にしてるのだと肌に感じた。首を引っ掻かれたように、またどこかを傷つけられる気がして咄嗟に一歩下がり、洗面台に手を付いた。


「言っておくぞ、ニンゲン。我輩は、ニーナが危険な目に遭えば、どんな状況でも助けに向かう。ニーナの望むことを叶えない貴様もまたニーナを悲しませる要因として殺す」

「猫が偉そうに言うなよ。お前は保健所送りにするだけだ」


 努めて強く言葉を放つ。ニーナがどれだけ特殊な子でも、俺は一般人だ。問題に巻き込まれるのだけはごめんだった。探求心と好奇心。それらどちらも満たすことなく、平穏無事を願うのがこの世の人々の性だろう。

 俺と言えば、満たせるのなら、満たしたいが、満たせないのなら、それで構わない。平穏無事に生きたい。男らしい好奇心は、間違いなく存在しているが、命の危険を冒してまで遂げたいことなんて何もない。


「聖が死んだ理由を知りたいとは思わないのか?」

「知って何になる。死んだ理由なんて知って、本人が戻ってくるわけでもない。それに犯罪者と関わってるって言われたら、もう疎遠になるしかないだろ」

「戻って来ると言えば?」

「はぁ?」


 元から可笑しいが、さらにおかしくなったのだろうか。

 猫は死人が戻って来ると言う。死んだ人間が戻って来たら、世の中は混乱を極めるだろう。死んでしまったらもう会えない。出会うことは叶わない。

 話をすることも、真実を知る事も出来ない。

 ばあさんがしようとしていたこと、ばあさんがして来たこと、それを俺は本当の意味で知ることは出来ない。


 聖灯が死んだことで、俺は決して知る事は出来ない。


「人間は生き返らないんだよ。猫みたいに九つも命はない」

「だからこそ、我輩たちは不可能を可能にする戦いに身を投じているのだ。願いを叶えるために戦い続けている。もしも、貴様が参加にするというなら、我輩も助力は惜しまない」


 剣と鞘の戦いの報酬は、万物の願いを叶えること、そんな定番の謳い文句に乗らないと叶えられない願いなら、抱く方が残酷だ。


「ニーナにも願いがあるのか。そこまでしないとならない願い」

「ニーナの願いは、聖の復活だ。自分を護った相手を生き返らすために身を投じている」

「……ひとりでか?」


 ばあさんの復活。死者を蘇らせるなんて不可能だ。もうばあさんは燃やされて、狭い箱の中だぞ。どうやって生き返らせるって言うんだよ。


「貴様が参加しないというなら、剣を相手にあのか弱き命を散らすことになるだろう。剣と鞘はふたつでひとつ。片割れが失われてしまえば、本領は発揮されない。剣も鞘も互いに支え合い存在している。抜き身で立ち向かうなど刃こぼれをして朽ち果てるだろう」

「だから俺にも死ねって?」

「必ずしも死ぬわけではない。貴様が身を鍛えれば、並大抵の連中を退くことは出来るだろう。先ほどの火事のように無事に抜け出すこともできよう」

「俺は、生きたいと思ったから火から出たんだ。戦いだとかに関わるためじゃない。ばあさんが死んだのだって、余計なことに首を突っ込んだからだろ。余計なことをしなければ、今もまだ生きてた」


 余計なことをしなければ。俺はそう言って着替えを済ませてソファに横になった。

 猫はトコトコと床を叩いて近づいてきた。腹に乗っかって未だに言葉を漏らす。


「なんだ、逃げるのか? 聖は、逃げるなんてことしなかったぞ」

「ばあさんがどうしようと俺自身には関係ない」

「聖がそれを望んでいてもか?」


 ばあさんが俺になにを望むのか。望むわけがない。俺とばあさんはただの親戚だ。

 ばあさんにとって、俺は甥であり、それ以上でも以下でもない。期待するだけ無駄だ。


 冷たいソファが俺の頭を冷やす。ばあさんのことを知ろうとしていらない厄介に巻き込まれるところだった。ニーナには悪いが、朝早く警察に連れて行った方がいい。そして、保護してもらって、俺も地元に戻る。それでこの件は終わりだ。


 猫を放置して俺は目を閉ざした。

 ばあさんが残したメモ。ばあさんが記録したビデオテープ。

 結局俺はなにも知らないまま、小さな好奇心と共に小さな旅は終えて、もう余計なことを考えずに世の中の歯車になり、誰かの足枷になり、誰かの踏み台になり死ぬのだ。間違っても、まかり間違っても、放火されたり、殺害されると言った死じゃない。死にたくない。

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