第4話 ウキウキウオッチング

 約束の日の放課後、かをりとバスに乗り、駅前に向かった。

 一年目の記念日のスイーツの件と、シュウが通い始めた駅前のギターショップに行きたいのだという。


「シュウセンパイには内緒やで」


「分かった。じゃあバスをひとつ遅らせて行こうぜ」


 そういうわけでオレはシュウに用事があると言って、シュウを先に帰らせ、ギターショップに向かわせた。そしてかをりはシュウに会いに行くために、オレに付き添ってもらうと未歩に断ったらしい。


「梨九センパイも一緒にバンドやるんやろ?」


「まあね」


「楽器買ったの?」


「いや。親戚の兄ちゃんが昔やってたベースをもらったんやけど……」


 シュウとバンドをやり始めたのは、正確に言うと一年の終わりごろだった。


 しかし始めてすぐ、ボーカルとドラム担当が、原付バイクのニケツが見つかり、停学を食らう。

 そいつらは停学が明けても先生に目を付けられたままで、一緒につるんでいたオレとシュウまで何かと注意されるようになった。挙句、バンド活動自体も困難になってしまったのだ。

 

 つまり、精一杯カッコをつけて言えば、オレたちのバンドは「活動休止状態」だ。


 始めた当初はドラム担当の家が集合場所だったが、それ以来、オレもシュウもそれぞれの家で、ただ漠然と個人練習をするに至った。しかし、それからしばらくして、シュウが新しいメンバーの募集や情報収集も兼ねて、練習スタジオのあるギターショップに通い始めたのだった。

 

「楽しみやねぇ」


 そんな状態だとはつゆ知らず、かをりはわくわくした様子で、身体の隅々からきらきらと何かをき散らしている。


 かをりは未だにシュウからはっきりした言葉をもらってないらしい。

 だけど二人はいつも一緒にいて皆の公認となっている。そしてこんなふうにシュウのやる事にいちいち興味を示す。


 バスが駅前に着くと、かをりは意気揚々いきようようと歩き出した。

 放送会館前の歩道から地下道に入り、湿った空気の中を並んで歩く。


「何かいい音する」


「あぁ、これ? 今、オレらの周りで流行ってるやつ」


 オレは革靴のかかとに少し力を込め、その金属製の金具をカツーンと鳴らした。

 金具は歩くたび、カチ、カチと音が鳴り、色んな道の中でそれは地下道がもっとも良い具合に響いた。


「それって靴の踵が減らんように付けるんやろ?」


「まぁ、ホンマはそうなんやろうけど」


 本来の使い方なんてどうでもいい。理由はカッコいいからだ。世間や大人たちから見て、意味が無ければ無いほどカッコいい。


「これ、シュウも付けてるんやで」


「知ってる」


 かをりはニマッと笑う。


「ほやけど、そおっと歩く時には邪魔にならん?」


「ほんな場面、あんまないで」


 小学生のような可愛らしい質問に笑って答えると、かをりは、ねぇ、とオレの袖口を引っ張った。


 かをりが顔を向ける前方に目を凝らすと、誰かが地下道の隅に寝ているようだ。息を殺しながら近付いてみると、それは中年のサラリーマンだった。


 何処で拾ってきたのか、無造作に敷いた段ボールの上で横になり、口を開けて大きないびきをかいている。めくれ上がった紅色のネクタイはその顔を隠すように張り付き、掛け布団代わりにお腹にかけたサマースーツの上着はヨレヨレで、ムッとする熱気の中で、逆に寒々しく見える。


「わぁ、ホントに寝てる」


「死んでないやろな?」

 

 初めて都会で見るような光景に出くわしたオレたちは興奮して、しばらくコソコソと喋りながら、そのおじさんを観察した。


「じゃあ、試しにここ、歩いてみてよ」


「何で?」


「そおっと歩く練習」


「いやいや、もし起こしてもたら可哀想やろ」


 仕事で蓄積した疲労なのか、土色の皮膚はたるみきって目の下が黒く窪んでいる。


「ほんなら助けましょうよ。こんな所で寝てたら風邪ひくし」


 かをりはオレの言葉を逆手に取り、急に真逆の事を言い出した。そしてわざとらしく心配そうな顔を作りながら、口元を緩ませている。


「ほんなら助けましょうって何や。結局起こすんやろ」


「だってこのおじさん、このポスターの邪魔になってるし……」


 かをりが指をさす壁面に、栄養ドリンクのポスターが貼ってあった。丁度その下でおじさんが寝ているせいで、効き目が無いように見えると言う。

 要するに、かをりはどうしてもちょっかいをかけたいらしい。


「お前、悪い奴やな」


「どっちでもいいから、早く」


 理由はどうだっていいらしい。かをりはウキウキしてたまらないのだ。


「しょうがねぇなぁ、もう」


 オレがおじさんの足元に近づくと、かをりは何故かオレの二の腕をそっと掴んだ。どうやらスリルを間近に味わいたいみたいで、オレの身体越しにその姿を覗く。

 おじさんとの距離は、わずか五十センチ程度といったところだ。


 オレは一歩ずつ、ゆっくりと進んだ。

 コツ、コツ、と踵が鳴り、頭の方に近付くにつれ、いびきが小さくなり、小さくなるにつれ、オレの二の腕を掴むかをりの指に力が入る。

 周りには誰もいないが、人が見ていたら明らかに妙な光景に違いない。


「ンゴッ、ゴアッ」


 おじさんの首の辺りまで来たら、急にいびきが止んだ。思わず足を止めると、かをりはオレからサッと身を引く。

 そして、その場所から(もう一回!)と人差し指を立てる。


 期待に満ちた笑顔に答えて悪ノリしたオレは、タップダンスもどきを披露した。

 でたらめなステップにかをりは笑いをこらえ、身をよじらせている。

 最後に一回転し、両足でタタン! とフィニッシュを決めたが、おじさんは苦しそうに低く唸っただけで、もぞもぞと壁のほうを向き、海老のように丸くなってしまった。


「起きんね」


 かをりがつまらなさそうに口を尖らせた。

 

「もう、ほっとこっせ」


 薄い反応にしらけて再び歩き出そうとすると、待って、とかをりが小声で呼び止める。

 するとおじさんは口の中でごにょごにょと寝言を言い、ボリボリと首の周りを掻き始めた。そして海老の格好のまま、蛍光灯の光から逃れるように、お腹に掛けた布団代わりの背広を引っ張り上げた。その瞬間、オレたちは思わず目を見張った。


「きゃぁぁぁあああああ!!」


 オレの耳をつんざいたかをりの悲鳴は、地下道中にこだましただろう。

 そのサスペンスばりの悲鳴に、活きのいい魚の如く跳ね起きたおじさんは、同じく飛び上がったオレと目を合わせた。

 かをりは顔を覆ったまま、一目散いちもくさんに走り出している。


 一瞬オレを見てポカンとしたおじさんは下を向いて、あっ、と小さく叫び、くるりと後ろを向いた。

 すると今まで寝ていたとは思えない素早さで、しま模様のトランクスとズボンを引っ張り上げ、オレたちに披露ひろうした薄汚いお尻をしまい込んだ。さらに身を小さくし、焦りながらベルトをカチャカチャ鳴らしている。

 すると間もなくそぉっと振り返り、オレに向かって小さく会釈した。

 愛想笑いと苦笑いと泣き顔が混ざったような、ぐちゃぐちゃな顔だ。


 底知れぬ恐怖が足元からい上がり、全身に寒気が走った。オレは声を上げる事も出来ず、そろりそろりとその場から後ずさり、距離をとったところでクルリと反転してダッシュした。


「かをりぃー、待てやー」


 何か叫ばずにはいられず、地下道の階段を二段飛ばしで一気に駆け上がる。地上に出ると、かをりは地下道の入り口から少し離れたところをまだ走っていた。追いかけてその手を掴むとやっと立ち止まり、胸に手を当て荒い息をしている。


「おい……、ハァ、ハァ、追いてくな」


「そんなもん……、ハァ、ハァ、逃げるでしょ普通」


「あのオッサン……、ハァ、ハァ、何でパンツ、脱いでたん?」


「し、知らないですよ、ハァ、ハァ……」


「オレ……、ハァ、ハァ、前も見てんたわ」


「ちょっ……、ハァ、ハァ、わざわざ言わんといてよ、もぅ、馬鹿じゃないの?」


「馬鹿はどっちだよ、まったく、ハァ、ハァ……」


 近くのガードレールに腰掛け、お互い無言で息を整える。街のざわめきが妙に心地よく、うつむいた先の点字ブロックに、木漏れ日が街路樹の濃い影を落としている。


 乱れていた呼吸がようやく整い、ふと顔を上げると同時に目が合った。


 どちらからともなくふっと息がもれて爆笑する。


 束の間の恐怖から脱出した安堵感にくすぐられながら、オレたちはいつまでも笑い続けた。

 そのカラカラと散らばった破片かけらを、知らぬ顔の街の風がさらっていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る