第12話 容疑者R

 この時期、生徒指導室や視聴覚室などの部屋はいっぱいになり、うちのクラスはやむなく、職員室の中にある応接室での個人面談となる。職員室の扉を開けると、オレの前に呼び出された祐介ゆうすけと鉢合わせた。

 やんちゃ者の祐介は、担任の山上にきつくおきゅうえられたらしい。力なく笑った顔を引きつらせながら通り過ぎて行く。


 オレは意を決して、閑散とした職員室の机の間を通り抜け、奥にある応接室の扉の前に立った。

 

「失礼します」


 扉を閉めると山上がテーブルの向こう側で資料を広げていた。ぼうっと突っ立っていると、資料から目を上げた山上があごをしゃくった。


「……座れ」

 

 くたびれたこげ茶色のソファーには、たった今出て行ったばかりの、祐介のお尻の形がそのまま残っている。その間抜けな形が出来損ないの指定席みたいで、オレは身体を少しずらして座った。

 

 目の前にある木目調のテーブルと瀬戸物の急須きゅうすが家庭的な雰囲気をかもし出し、この空間だけ何処かの家の居間みたいだ。


 山上はごくごくとお茶を飲み終えると、空になった湯呑ゆのみをテーブルの上に置き、オレに向き直った。


「菖蒲。この前の美展、ようがんばったな」


 祐介の有様を見て、普段の態度を注意されると覚悟していたオレは、面食らって言葉に詰まった。


「えっ……、あ、はい。ありがとうございます」


「それでやな、もう少し先の話になるけど、『高校生が創るアートフェスティバル』っていうのがあるやろ。それに小矢島こやじまとお前が参加することになった」


「えっ、オレもですか?」


「そうや、なんか不満か?」


「いえ、別に……」


 美術展にはクラスから男女それぞれ半数ほどが出展し、女子の小矢島が特別賞、そして何故かオレが銀賞に選ばれたのだった。


「それで急やけど、明日の放課後、学校帰りに小矢島と一緒にここへ行って欲しいんや」


 山上はファイルから抜き取った資料をオレの前に置いた。


 その用紙には美術の非常勤講師で、その美展の審査員の一人だった穂積ほずみ先生の運営するデザイン事務所兼ギャラリーの地図が記載されていた。


「ま、詳しい事は穂積先生が現場で話すことになっとるし、とにかく二人で一緒に行ってこい」





 小矢島とは一年の時から同じクラスだが、今の今まで殆ど話したことが無い。

 こんな事が起きるのは、成績の悪い順に教室の前列から席を埋めていくという、この学校特有のカースト制度のおかげだった。

 一番後ろに位置する小矢島とは、接点というものがまるで無かったのだ。


 小矢島は、美術を志す者なら誰もが一度は耳にしたことがある美大を受験するらしい。そして将来は、デザイン関係の仕事に就きたいと考えていると話した。


「大きな事務所やと、営業だけで何人もいるみたいやで」


 小矢島は楽しそうに、まだ見ぬ世界の話をする。

 今回の入賞を、授業中に山上に褒められて恥ずかしかったと打ち明けると、オレのデザイン画には、色に特徴があって面白いと言ってくれた。

 お世辞でも、有名な公募展に何度も入賞している小矢島に言われたら、悪い気はしない。


「あんなもん、はよ終わらせようと思って、テキトーに描いたんやけどな」


 オレはちょっと照れくさくなり、半分ふざけて言った。


「それって菖蒲君っぽいわ」


「どういう意味?」


「天才肌ってこと」


「何か素直に喜べんのやけど……」


 オレたちはこの日初めて打ち解けたように笑った。


 二人で校門に向かい歩いて行く途中、誰かの足音が後ろから近付いてきた。振り返ると、かをりが上履きのままで駆け寄ってくる。


「どうしたん?」


 かをりは隣にいる小矢島に向かって、ちょこんと頭を下げた。そしてオレに向き直ると、早口で言った。


「ちょっとだけ、いい?」


「あんまり時間ないんやけど」


「知ってる。シュウセンパイから聞いた」


「あっ、それとスイーツの件、明日かあさって、また付き合ってくれよ」


 それを聞いたかをりは少し困ったような眼差しをオレに向け、胸に抱いた楽譜の束を抱え直すと、オレの上着の袖を引っ張り、小矢島に背を向けるようにして小声になった。


「それはいいんやけど、センパイ、噂になってるよ」


「噂?」


「あのね、この前……」


「ちょっと、私、先行ってるね」


 空気を察した小矢島はバスの発車時刻を告げ、遅れないでね、と念を押した。


 小矢島がその場から離れても、かをりはまだ小声のまま喋り続けた。


「ほら、おととい私と駅前に行ったあの日の事やけど。うちのクラスのコらがセンパイを見かけたって……」


 そう言ったまま、かをりはオレの反応を待っている。


「え? それって、オレとかをりが二人でいるのを見て、勘違いしたってこと?」


 そう返すと、かをりは大きくかぶりを振る。


「違うの。私のことじゃなくて……。シュウセンパイが、私を追っかけて来てくれたの知ってるでしょ? そのあとの事やけど……」


 かをりは一旦そこで言葉を区切り、やや間を置いて言いにくそうに言葉を続けた。


「梨九センパイが、女の人と手繋いで歩いてたって……」


 伏し目がちに言うが、その瞳には疑いの色が混じっている。しかし、あの状況を説明するのも難しく、今ここでかをりに弁解してもしょうがない。オレはかをりからそっと目を逸らした。


「ねぇ、梨九センパイ……それ本当なの?」


「……うん、まぁ。けど、色々と事情があって」

 

 言葉にすると、言い訳めいて何故か嘘臭くなる。今度はかをりがオレから目を逸らし、残念そうにため息をついた。


「……それで、未歩はもうその事、知ってるんかな?」


「うん、たぶん知ってる。ほやけど、私には何も喋ろうとせんの……」

 

 ああ見えて、案外気が強いのだろう。

 オレは未歩の生々しい感情に初めて触れたような気がして、胸の奥がチクりと痛んだ。


「ごめん。今日はもう時間ないし、あした自分から話してみるわ」


 ぎりぎりバスに乗り込むと、ほとんどの席は埋まっていた。

 中ほどの二人掛けの席で、小矢島がオレに向かって手を挙げている。近付くと、隣の席に置いた自分のカバンを膝の上にのせた。


「サンキュ」


「いえいえ。どういたしまして」


 小矢島は息を切らせたオレを見て、安心したように微笑んだ。

 

 走り始めてすぐに、前の席から男女の楽し気な笑い声が聞こえてきた。テンポの良いお喋りで、二人の距離の近さがありありと感じ取れる。

 オレは今、偶然乗り合わせた名前も知らないこの二人が羨ましくて仕方なかった。だけどこれは珍しいことではなく、未歩と付き合い始めてから度々感じる心苦しさだった。


 未歩が夢にかける情熱は、美しくてるぎがない。まるで、青天の空に一直線に引かれた、飛行機雲みたいに。


 たまたまバットを振ったら当たった今のオレとは違う。 

 決して卑屈になってるわけじゃない。心からそう思っている。


 そんな未歩の夢を、いつも一緒にいたいなどという、オレの女々しさにも似た小さな希望と一緒に並べることなんてできない。オレは未歩と付き合うようになって、いつからかそう考えることを自分に課してきた。


 そしてオレの心の中には空白が生まれた。

 だけどそれは、未歩がピアノを前にして感じる孤独とは、似て非なるものだ。


「さっきのコ、後輩?」


 不意に小矢島に話しかけられて、我に返った。


「うん、そうやけど」


「菖蒲君て、モテるん?」


「何で?」


「私、この前、違う女のコと駅前歩いてるの見てんた」


「それいつの話?」


「えーっと、いつ頃やったかな? 確かオザワ画房がぼうの辺りやったんやけど」


 かをりの話と被っていて一瞬慌てたが、小矢島は未歩と下校した時のことを言っているのだった。

 

 特に隠す必要もないと思い、今までの事をかいつまんで話した。ピアノの練習で、一緒に居られる時間が少ない中、初めて一緒に帰ることができた事。

 すると小矢島は、いい話やね、と微笑み、さらに未歩の気持ちが分かるとまで言った。

 

 確かに、小矢島は未歩に似ている。

 勉強熱心で、将来の目標があり、様々なコンクールで何度も結果を出している。


「小矢島さんは彼氏とかいるの?」


「うん、こう見えて一応……。キャラにないと思ってるやろ?」


 ためらいがちに答えた小矢島は、恥ずかしがりながらも彼氏とのエピソードを教えてくれた。彼氏は現在大学一年生で、出会ったのは小矢島が一年の時らしく、その時彼は別の高校の二年生だった。 

 

「お互いに会える時間も限られてたし。ほやから今の話聞いてても、自分とあんま変わらんって思ったよ」


「そっか……」


 オレは妙に安心した気持ちになり、それを察した小矢島は未歩の気持ちを代弁するように言った。


「彼女も本当は、菖蒲君ともっと一緒にいたいはずやで」


「うん……」


 オレは曖昧に頷くと、窓の外の流れる景色に目をやった。そして、風にやわらかに揺れる未歩の黒髪を思い浮かべた。

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