第38話 7匹の子ヤギ
順平は、AIテロ事件の際に作られた、狭い非常用通路に向かった。ここはAIには開示されていない通路だが、彼らがその気になれば見つかるのは時間の問題である。
「北村先生が亡くなってから、自分の身を守るために対テロ対策班の特殊訓練を一時期受けていたのよ」
だから、自分用の最先端の防護服を持っていたのか。順平は、溶接部門の巡視を思い出す。戦闘仕様義足の右足にライトも仕込まれているのか、暗い空間でもボンヤリと前方が明るい。
「意識をネットワーク上にアップロードする北村先生の研究が完成していたのは知っていたし、あのしつこい、いや粘り強い性格だから、きっとどこかに自分を残していると信じていたの。いつか先生に会えるまでは絶対に死ねないって思って、戦い方を学んだのよ」
迷い無く前を行く少女は、順平を振り返る。
「あなたは隙を見て逃げて、ここからは私一人で行くわ。ロドを助けて、北村先生と一緒に変革者を消滅させる。そうすれば、会社の人たちも操られずにすむわ」
的射は順平を引き離すように右足の蹴りを強くした。
「先生は、今までたった一人で戦ってきたかも知れません。でも」
少女の肩越しから、温かい声がついてくる。
「今は仲間が居るのを忘れないで。僕は――」
そして、一瞬の躊躇。
「いや僕たち、先生が大好きです。ついて行きますよ。微力ですが何かの役には立つはずです」
「ありがとう」
少しはにかんで、少女がつぶやいた。
「通風路に入って玄関脇の部屋に出てそこから外に出れば助けを呼べるでしょう」
非常用通路から通風口に入り込んだ二人は廊下の上の通風路を這いつくばるようにして進む。時折、通風口の網目から外をのぞくと、ロボットに指示されながら社員達が叫びながら彼らを捜索している。そのなかに零介も居た。
「課長――、的射先生――」
脳を操られているのか、表情が無く明らかにおかしい。
もしや、順平も脳を……。
的射は恐る恐る後ろを振り返る。
「くしゅっ」
ハンカチを鼻と手に当てて、順平が頭を下げる。
「す、すみません。埃が多いと、鼻水が」
埃に過敏な順平は、知らず知らずのうちに鼻腔である程度ナノマシンをトラップしていたのかもしれない。そしてトラップしたマシンは鼻汁とともに排出される。
暴露されていたとしても脳内に指令を受けるに充分なほどの完全な網目構造は作れなかったのだろう。順平は大丈夫そうだ。的射は安堵のため息を漏らした。しかし。
「待って」
的射が手で順平を制する。
曲がり角からライトを持った黒い影が現われた。
ライトに照らし出されたのは、光る二つの円。これは――。
「探しましたよお」
分厚い眼鏡を光らせて、手を振っているのはパースケだった。
「そういえば、あなた社長に雇われたのよね」
的射の目がつり上がり、右手の電子銃が向けられる。
「ぶ、物騒な真似は止めてください」
慌てて両手を前に出して、武器を持っていないことを見せるパースケ。
「助けに来たんですよ、だって僕、GPSIA(Galactic Public Safety Intelligence Agency)、銀河公共安全調査庁の職員なんですから」
左手の掌を強く押すと空間にオリーブと鳩の凝った模様とGPSIAの飾り文字が照らし出された。知る人ぞ知る敏腕なエージェントをそろえた銀河連邦政府直属の情報機関だ。
「アイモト工業がきな臭いという妙なタレ込みが送られてきて、派遣されたんです」
「は? あなたみたいな抜けてる人が?」的射は疑わしそうに横目で見る。「それとも、おっちょこちょいはお芝居?」
「すみません、天然です」
パースケは頭を掻いた。
「だから誰も僕のこと
「マークだけでは真偽のほどは、わからないわ」
的射のレーザーは照準を変えない。しかし、ふと目を右上方に向ける。
「でも、あなたの寝言からできた無能音頭は哀感いっぱいで、AIがぼやきそうな台詞じゃ無いわね。いいわ、信じる、逃げられるところに誘導して」
的射は決断するようにうなずいた。
パースケが先導しており立ったのは大きなアンティーク風柱時計のある第二応接室だった。
「外にも近いし、しばらくここに隠れて、皆をやり過ごしましょう。傍受されるかも知れませんから、通常の通信機器は使わないでください。外に出たら、銀安が使う特殊量子通信で援軍を依頼します」
どの部屋もしらみつぶしに探しているに違いない。ここに来るのも時間の問題であろう。
「いいですか、何があっても出てはいけませんよ。彼らはどうせタイトの奴が値切った安スペックのロボットです。探知能力はそれほど高くありません。なんとしても奴らを出し抜くんです」
パースケは小声で皆に念を押す。
「七匹の子ヤギの話を忘れないでくださいね。たとえお母さんが来ても、絶体にドアを開けないように」
小柄な的射は布の垂れたソファの下、順平はロッカーの中に隠れる。パースケは隠れられそうな所を探すが、大人一人が隠れられそうな所は他には無い。
「七匹の子ヤギ……か」
パースケは、調度品としておかれた大きな柱時計をじっと見て、振り子部を開ける。振り子は単なる装飾で時計とは連動しておらず、その奥には薄い板で仕切りをされて時計と振り子を別々に動かす電子部品が入っていた。配線を手持ちのナイフで引きちぎって機械の塊をごっそりと外に引きずり出す。それを開き戸の中に押し込んで細身のパースケは自分の関節を外して体を折りたたみ柱時計の中に空いた空間に滑り込んだ。
足音が近づいて来た。
高鳴る胸の音、ゴクリとつばを飲む音が聞こえそうなほどの静寂。全員が唾をのむ。
ガチャリと音がして、ロボット達がなだれ込んできた。彼らは部屋を一周すると、あっさりと出て行く。
扉が閉められて三人が息をついた、その時。
「せんせーい、助けてえ。どこにいるの? 僕ちゃん壊されるでゲスーー」
ロドリゲスの悲鳴が飛び込んでくる。そして延々と情けない叫びが続く。
「ロドっ」我慢しきれなくなった的射が、ついに飛び出した。
「出ちゃダメだ、先生。先生っ」
ドアを開ける的射を追う順平。
開かれたドアの外には、ロボット達が電子銃を構えていた。
「手を頭に付けろ」
的射と順平は言われたとおりに手を頭に当てて、立ちすくむ。
「合成音です」くやしそうな順平の声が室内にまで届いた。「先生、グリム童話の七匹の子ヤギの話知らないんですか?」
「知ってたけど、あの声を聞くと、我慢できなかったのよ。文句を言うんだったら、出てくる必要は無かったのに」
「あなたを置いて逃げるわけにはいきませんっ」
柱時計の中まで二人の言い合う声が響いてくる。
「他に誰か居ないか。他に協力者が隠れられそうな場所はないか?」
聞き慣れた声がスピーカーから聞こえてきた。
「あれは、太一の声」
柱時計の内部でパースケが息をのむ。
「奴はやっぱり敵か――」
ロボットの足音が柱時計の前で止り、パースケは全身を硬直させた。
「柱時計はどうだ?」
太一の声だ。背筋にたらりと冷や汗が流れる。
「あれは振り子では動かない、単なるアンティーク風の電気時計です。中に動力部が詰め込まれていて、人は入れません。でも動力部をどければ動きません」
ロボットの声がして、辺りが静まりかえる。
かちっ。
「振り子も秒針も、そして分針も動いているな。狂いは無いようだ。先を探すぞ」
ロボット達が部屋を後にする。
ドアが閉まり、連行される的射と順平の声が遠ざかっていく。
しばらくして、頬を紅潮させ汗びっしょりになったパースケが、時計の中からよろめきながら出てきた。極度の緊張のためか髪の毛は逆立ち、肩で荒い呼吸をしている。知らず知らずのうちに力が入ったのだろう、時計や振り子の歯車の溝が両手の指の腹に刻まれていた。
「人間時計なんてするはめになるとは思わなかった。さっさと辞めたいこんな仕事――だよ、全く」
パースケは、愚痴をこぼしながら全速力で出口に向かった。
しかし、目の前に立ち塞がったのは、三体の二足歩行のロボット。手に銃を持っている。銃口はピタリとパースケの方に向けられていた。
「手を上げろ」無機質な声が響いた。
万事休す。
パースケはうなずくと、両手を挙げた。
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