琉球神舞
国仲
八重山出立編
一話 神と踊る少女
東シナ海と太平洋の狭間にある、小さな
北東には一世紀半続いた内乱を治め、満を持して外海に目を向けた
その二つの大国が生み出す巨大な
遠く離れた南西の海に佇む
それは、いつものように
陽射しの反射光が海面をきらきらと
西暦一五〇〇年―― この地では、琉球の正史に記された唯一の宗教紛争があった。
八重山で広く信仰されていた
首謀者の名をとり、「オヤケアカハチの乱」と呼ばれている。
その
紛争後も秘密裏に信仰は続いたが、王府による度重なる弾圧を受け、やがて当時生きていた島民もいなくなると、それの存在はすっかり忘れ去られてしまった。
それは空から新川村の一角を見下ろした。何人もの村人が仕事に精を出している中で、畑を耕す赤毛の少女が目についた。羽織る着物に袖はなく、ところどころ破れている。
彼女の名は
子供が一人で耕すには広大な畑だ。その証拠に、額の汗を拭う手の皮はめくれ、肉の表面にマメができている。血が出ていないことから、その状態が彼女にとっての常であることがわかった。
過酷な労働をこなしているにも関わらず、表情は晴れやかだ。身の丈ほどもある大きな
土を刺す音の間隔は一定で、一拍の狂いもない。その規則的な
その微笑しい姿に、通りすがりの薪を背負った青年も思わず笑顔になった。真南風の頭上でふわふわと浮かぶそれもなんだか楽しくなってきて、つい踊り出してしまう。
https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818023214017005035
そんな中、三十代半ばの女性が肩をいからせ足早に歩いてきた。鬼の形相で真南風に詰め寄ると、
骨と骨がぶつかる鈍い音がした。真南風の小さな体が土の上を派手に転がる。伴奏を失った蝉の声が虚しく響いた。
青年はぎょっとして立ち止まったが、女性にひと睨みされると震え上がり、逃げるように去っていった。踊りの気配が消えたので、それも風と共にその場から流れて行ってしまった。
殴られて畑に伏した真南風は、真っ先に「土が冷たい」と思った。南国の陽射しを浴びた土より、早朝から鍬を振り続けていた自身の肌の方が熱いのだ。やがて土の香りは鉄の匂いに変わり、流れ出る鼻血が畑に吸われていくのに気付いた。
「真南風! 遊んでないで働きなさい!」
女性の怒鳴り声が降ってきた。真南風は鼻血を手首で拭い、体を起こす。
「伯母さん、私はちゃんと仕事をしておりました」
「足りないね。もっともっと死に物狂いで働くんだ。そんなんじゃ今年の年貢を納められないよ」
「それなら、伯母さんも一緒に耕してください……」
「私にはやることがあるんだよ」
伯母さんのやることとは、
真南風はそう尋ねようとして、やめた。そんなことを言ったらまた殴られてしまう。
蔵元とは、琉球から派遣された役人が常駐する
伯母は真南風に仕事を押し付け、頻繁に蔵元に出入りしている。日中はほとんど家にいない。噂によると役人の愛人をしているらしい。村の者が、伯母が
伯父は
「畑を耕した後は水汲みだよ。その後は薪拾い。墓掃除もある。帰ったら
真南風は無言で立ち上がった。いい年して実の子も持たず、他人に仕事を押し付け、不貞の恋に胸を躍らせながら織物をする伯母を想像すると反吐が出そうだった。
「何だいその顔は、不満でもあるのかい? 両親が死んで孤児になったお前をわざわざ育ててやってるというのに」
「……不満はありません。申し訳ありません」
真南風が頭を下げると、伯母はふんと鼻を鳴らし去っていった。真南風は作業を再開したが、
畑作業を終えた真南風の次の仕事は水汲みだ。
八重山は狭い土地面積の割に高い山があり、かつ頻繁に津波で陸地を削られるため、斜面が多いのが特徴だ。
井戸では
隣の家に住む玉皿は、真南風の姉のような存在だ。伯母に虐められる真南風をよく助けてくれた。
「顔色が悪いねえ。これ食べなさい」
玉皿は真南風のやつれた顔を見て、
「いいの? ありがとう! お腹が空きすぎて倒れそうだったの」
月桃の葉を剥くと、解き放たれた
「おいしい……! さすが玉ねえ、むぐっ」
喉を詰まらせる真南風の背中を、玉皿が笑いながら叩く。完食するのがもったいなくて、真南風は半分だけを食べ、残りは懐にしまった。
水汲みを終え、玉皿と一緒に井戸の横にある
御嶽は琉球における聖域のことである。主に木や石などが神の
八重山の御嶽としては比較的歴史が浅い。百年前のオヤケアカハチの乱で手柄を挙げた
御拝を終えて帰ろうとした真南風を、玉皿が呼び止めた。
「真南風、忘れてるよ」
「……うん」
真南風は御嶽の横にある
八重山では真乙婆御嶽で御拝をしたらこの墓を踏むことが慣例となっていた。ここで眠るのは真乙の妹、
真南風はこれをするたびに胸がざわついた。本来、
姉妹でありながら姉の
「今夜、
帰路につく道中、玉皿が楽しげに言った。毛遊びとは男女が浜辺に集まって歌や踊りを通し交流を図ることだ。現代で言うビーチパーティーである。
「玉ねぇ、旦那さんの
玉皿の夫は子供が生まれた直後、海難事故で亡くなっていた。
「そんなこと気にしてられないさ。この子を食わしていかなきゃならないもの。島の男はどいつも情に厚いから、一度でも関係を持ってしまえば勝手に世話を焼いてくれるのさ」
背中の息子はすやすやと寝息を立てている。玉皿は夫を失った悲しみをとっくに乗り越え、したたかに、この幸せな寝顔を守っているのだ。
「そうだ真南風、私たちで男たちをおだてて魚を獲らせよう。わざと男同士が競うように仕向けるのがコツだよ。お腹いっぱい食べられるよ」
「お腹いっぱい……」
毛遊びの経験は無いが、たまに遠目に見かけるので興味はあった。それにお腹も空いている。最後に満腹になったのは遠い過去の話だ。
「真南風は顔立ちが整ってるし、赤毛もかわいらしいさ。おめかししたら絶対
真南風の放射状に伸びた赤毛は、野生味があってキジムナーを連想させる。一方、玉皿の艶々とした黒髪は木の
真南風が抱える桶の水面に自分の顔が映る。泥だらけの真南風と玉皿を見比べ、恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。行ってみたいけど、明日も朝早くから伯母さんに仕事を命じられてるんだ」
そう断ると、玉皿は「あのあばずれ女、真南風ばかり働かせて本当腹立たしいね」と憤慨した。
自分のために怒ってくれる、その気持ちが嬉しかった。顔も名前も知らない両親や意地悪な伯母なんかより、玉皿の方がよっぽど親身に感じられた。
真南風は帰宅するや否や、伯母にぶたれた。着物の内側に隠していた餅が見つかったのだ。
「他人から恵んでもらうなんて、まるで私が飯を与えてないみたいじゃないか。これは没収だよ」
真南風はぶたれた拍子に桶を落とした。水が
「悔しいかい? 恨みたいなら恨めばいいさ」
伯母が見下ろして言った。何を考えているのか分からない。なぜこんなことをするのだろう。
今すぐ逃げ出したかった。でもこの小さな島に逃げ場は無い。一人で生きる強さも生活力もない。山に逃げれば野犬の餌になり、海に逃げれば
全ての仕事が終わったのは、とうに日が沈み、
真南風はアダンの葉を食べて空腹を紛らわせたが、毒抜きが不充分だったようでお腹を下した。
腹痛で眠れないでいると、どこからか三線の音と笑い声が聞こえてきた。寝ている伯母に気付かれないようにそっと家を抜け出し、木陰から浜辺を覗いた。
玉皿を含めた数人の男女が
玉皿の簪が炎を
真南風には浜辺の景色が滲んでみえた。
青春を謳歌する玉皿たち。一方、自分は木陰で涙をためながら腹痛に悶えている。
「何でこんなに惨めなんだろう……」
玉皿がかわいらしいと褒めてくれた赤毛を指で
男が弾く三味線に合わせて、玉皿が八重山民謡の『
『赤ゆらぬ花や
二三月どぅ咲ちゅる
我がけーらぬ花や
いつぃん咲ちゅさ』
(でいごの花は
二、三月ごろ真紅に咲くが
私の青春の花は
四季を通していつでも咲いている)
こらえていた涙が溢れ、頬をつたう。
日々労働に追われる真南風に、きっと青春は来ない。来るとしたら伯母が死んだときだが、そのとき花盛りは過ぎているだろう。
何より、そんなことを考える自分が嫌だった。他人の死を願うくらいなら、自分が死んだほうがましだと思った。
真南風は踊った。身体の内側でじりじりと
挫けそうになる夜は月に向けて踊るのが習慣だった。体が生み出す律動と脳内で奏でる三線の旋律は、真南風のかなしい境遇を慰めてくれた。
彼女の踊りの気配を察知したそれが、どこからともなく寄ってきた。
人の目には見えないそれが隣で踊っているなどとはつゆ知らず、真南風は星空の海をゆっくりと漕ぐ三日月だけに思いを馳せた。
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