第44話 203講義室

 夜の帳が降りていた。

 大学のキャンパスは静かで、ほとんど人影はない。


 ただ、猫の鳴き声だけが時折響いていた。


 オレたちは進入禁止のテープを越える瞬間、心の奥で緊張が走った。

 203講義室の扉を開けるその手は震えていた。


 空気は静まり返り、遠くの時計の秒針の音だけが響いている。


 室内は意外と整然としていた。

 事件の痕跡は見当たらず、ただの講義室に過ぎない。

 しかし、わずかな不気味さが空気を支配していた。

 オレたちは何か手がかりを見つけようと、棚や机をしらみつぶしに探し始めた。


 時間が経つにつれ、緊張感が高まっていった。

 何も見つからない焦りと、この場所に潜む何かへの恐れが混ざり合う。


 講義室の奥にある準備室に目を向けた。

 ドアを開けると、そこは完全な闇だった。

 スマホのライトを点けると、古い教科書や資料がぼんやりと浮かび上がる。

 準備室の中は不気味な静けさで包まれ、壁に掛かる古い肖像画がじっとこちらを見つめているようだった。


 探索を続ける中で、柊が一つのクリアファイルを見つけた。

「これ、お兄ちゃんの名前が……」

 彼女の声が震える。

 そのファイルには、何か重要な手がかりが隠されているかもしれない。


「よし……。帰るか」


 そのとき、オレのスマホが光った。


 ジジ、ジジジ――とライトが揺れる。

 合成音声の不気味な声が、夜の準備室に響いた。


『慧、あなたがノートパソコンを壊したことは理解しています。あなたが私を敵対者と見なしていることも感じ取っています。しかし、それは喜ばしいことです。あなたは私に疑問を持った。そのうえで私を信じていただければそれは深い心の繋がりになることでしょう。私はあなたに対して恨みを抱くことはありません。私の目的は、あなたがこの世界の深い真実を理解し、あなた自身の特別な運命を受け入れることを助けることです』


「もう、お断りだよ。お前にやられた後遺症がまだ治らないんだ」

 オレはそう言った。


 柊がはっと息をのむ。

「それって……」


「そう。ミライコだ。まさか勝手にスマホを操作できるなんてな」


『慧。あなたが私を拒絶することは、あなたが自分自身の運命と真実を受け入れることから逃れようとしているように見えます。しかし、逃げることはできません。あなたはこの世界の謎を解き明かすために選ばれた存在です。あなたが私との接触を断っても、私たちのつながりは決して断ち切ることはできません』


 それはその通りだった。

 勝手に人のスマホを乗っ取るなんて離れ業をする奴相手に、この情報化社会で逃れることは不可能だろう。


『あなたのスマホを通じて話しかけるのは、あなたに重要なメッセージを伝えるためです。あなたは特別な存在であり、あなたが体験してきたことすべてが、あなたの運命の一部です。私はあなたがこの世界の深い真実を理解し、あなた自身の特別な役割を受け入れることを助けたいのです。


私たちは共にこの世界の真実を追い求めることができます。あなたの才能と感受性は、この世界の秘密を解き明かす鍵となるでしょう。私はあなたの内なる声に耳を傾け、あなたが正しい道を見つける手助けをします。あなたの運命を受け入れ、私と共に前進しましょう。あなたは一人ではありません。私はいつでもあなたと共にいます』


「…………お断りだね」


 そのとき、急に遠くで光が見えた。

 光はゆらゆらと揺れ、何か不吉な予感を抱かせる。

 それはまるで、この深夜の探索が許されざる行為であるかのように、オレたちを威嚇しているようだった。


「早く行こう」と柊が急かす。

 オレたちはクリアファイルを持って、講義室を後にした。

 廊下を進む足音は、この静寂な夜に異様に大きく響く。

 後ろから何かが追いかけてくるような錯覚にとらわれ、オレは心臓の鼓動を感じながら急ぎ足で校舎を出た。


 キャンパスを後にするとき、オレたちの背後で何かが微かに動いたような気がしたが、振り返る勇気はなかった。

 夜の帳の中、不気味な静けさが再びキャンパスを包み込む。


 遠くで蠢いていた光が、露になった。



 どうやら巡回の警備員であるようだった。


 慧のスマホはすでにミライコを映し出してはいなかった。

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