第34話 幻覚

 オレたちは夕方ごろ、黒磯ゼミで合流した。

 そして、赤い陽が照らす中、いつものベンチへと向かった。

 噴水は夕焼けを浴びて、赤く染まっている。


「わたしの話は、後にしていい? 正直、わたしもこれ、信じられなくて」


「いいよ。じゃあオレからだな」

 そう言って今日あったことを説明していく。


 まず桑名と田中の論文テーマは、以前と今ではかなり違っていること。

 そして気づいたのは、二人のテーマがただ似通っているだけでなく、まるで同じ人物が書いたかのように、理論や検証の方法が似通っていたことだ。


 研究テーマの内容は「意識の操作」や「心理状態のコントロール」がテーマであり、それによって心を病んでしまったのではないか――という推測だ。


 聞き終えてから柊は静かに頷いた。だが、その目は不安で曇っていた。


「ありえそう、って思えちゃう。奥のほうから見てると、こっちも見られてるーみたいなやつ、あるよね」

 といった。


 なんだそれは……。


 でも、と柊が言った。

「わたしの話を聞いたら、それ、変わっちゃうかも……」


「というと?」


「……実は、飲み会に来る予定だったっていう、スポーツ科学部の人もね。亡くなったんだって」


「え?」


 唐突な話に、現実に置いて行かれたかのような気持になる。


「その人も自殺だと思われてるみたい」


「そう、なのか……?」


「名前は佐々木美咲さん。この人は学業のほうじゃなくて、陸上競技部のほうで活躍してて。最近、たくさん競技会で好成績を収めてたみたいで。まさにこれから! って感じだったみたい」


「なのに、なんで自殺を? いや、これは桑名と田中と一緒ってことか。あいつらも、これからってときに死んでいる」


「ね」


「佐々木さんも、様子がおかしかったとか、あるか?」


「……うん。詳しくは聞けなかったけど。ノイローゼみたいになってたって」


「だとすると話が変わってくるな……。佐々木さんは、桑名と田中に似た研究なんかやっていなかっただろうし。さっきの共通点が崩れる。となると、この三人の共通点は――」


 と、考えていると、急に頭痛がした。

 それにともなって、めまいがしてくる。


 ぐらり。

 倒れそうになる。


「え! 慧くん!?」

 柊の慌てる声する。

 支えられる感触がした。




 オレはそのまま意識を失った。




 気が付くと、暗い空が見えた。

 太陽は完全に沈んでいた。

 オレは未だにベンチで柊と二人でいる。


 頭の後ろが柔らかい。

 柊の膝の上で、寝ているようだ。


「……大丈夫?」

 柊が上から覗き込んでくる。


「…………ああ。ごめん、心配をかけた」

 そう言って起き上がろうとすると、頭がズキ――と痛む。


「ぐっ」


「ま、まだだめだよっ。もう少し、寝てていいから」


「……ごめん」


 オレは柊と何も話さず、ただ空を見ていた。

 曇っているのか、星一つ見ることができなかった。



 大学の門が閉まり鍵がかけられる直前、オレたちは外へと出た。

 オレは柊と途中まで一緒に帰り、乗り換えで別れた。



 オレは最寄りの駅からマンションへと向かって歩く。


 マンションから家に向かう途中、街灯のぼんやりとした光が路地を照らしていた。


 夜の静寂が、オレの不安を増幅させているようだった。

 頭痛はまだ治まらず、ふわふわとした感覚が続いていた。


 そのとき、突然、視界の端に何かが動いたような気がした。


 振り返ると、影のような人影がひっそりと立っている。

 だが、よく見るとそこには何もない。

 ただの暗闇だけが広がっている。

 オレは自分の目を疑った。

 

 心臓が早鐘を打ち始める。

 また見間違いかと思ったその瞬間、再び同じ位置に人影が現れた。

 今度はよりはっきりと。しかも、オレに向かってゆっくりと近づいてくるように見えた。


「だ、誰だ……?」

 声を震わせながら問いかけるが、返事はない。


 ただ、人影は確実に距離を縮めていた。


 無意識のうちに、オレは後ずさりを始めた。


 人影は形を変えながら、時にはぼやけ、時には鮮明になりながら、オレを追いかけてくる。

 その動きは不自然で、まるでオレの心理状態を映し出しているかのようだった。


「う、うわああああ」


 恐怖が極限に達し、オレは走り出した。

 家への道のりが、これまでになく長く、険しく感じられた。

 背後からは依然として何かが追いかけてくる気配がする。

 その気配から逃れるために、オレは必死になって走り続けた。


 息が上がり、心臓は激しく打ち鳴らされていた。

 ついにマンションの入り口にたどり着いたとき、オレは後ろを振り返った。


 しかし、そこには何もいない。


 ただの暗い夜と静かな通りだけだった。


 マンションに入り、エレベーターに乗るときも、オレは何度も背後を確認した。

 恐怖はまだ身体の中に残っていた。

 エレベーターが自分の階に到着すると、オレは急いで部屋に入り、ドアをガチャリと鍵をかけた。

 ドアの上についているロックもかける。


 安堵の息をつきながらも、心はまだ落ち着かない。


 部屋の窓から外を覗くと、暗闇の中に何かが見えたような気がして、思わずカーテンを閉めた。


 布団に入り、目を閉じようとするが、頭の中は今日一日の出来事と、見たかもしれない、あるいは見ていないかもしれない人影の幻覚でいっぱいだった。

 眠りにつくことができず、ただただ不安と恐怖に怯えながら夜を過ごした。


 気が付くと、いつの間にかオレは寝ていた。


 その日はとびきりの悪夢を見た。

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