19. 始動の合図

「それなら私が、見えないところで強引に人をいじめ倒す‘沈黙の悪女’と呼ばれていた。これは?」


「ウソ!ヴィオさんに‘悪女’なんて言う人、この街にはいないもん」


「残念。これは本当なの」


「えっ!また不正解だよ」


「二択の問題で全て外すなんてある種の才能なんじゃない?」


「からかわないでよ!」


 いつものようにヴァイオレットは店の奥でデイジーとティータイム中だ。クッキーの甘い香りがハーブティーに溶け込んでいる。

 午前9時の鐘の反響が聞こえ、店の前に新聞売りの少年が通りかかった。


「デイジー、新聞を買ってきてもらえないかしら?」


ヴァイオレットは銅貨を3枚渡して言った。


「ほーい」


 デイジーはクッキーを3枚ハンカチにくるんで通りに向かった。

 その間に、ヴァイオレットは小さな物置部屋から椅子を一脚持ち出して、テーブルの前に均等に並べ直した。




 受け取った新聞の文字は小さくて、デイジーの頭は受け付けてくれない。


「ヴィオさんってこういうのよく読むよねー。文字だらけでこんがらがっちゃわない?」


「慣れればそうでもないわ。あなたも毎日読んでみたら平気になるんじゃない?」


 手渡された新聞を開いてヴァイオレットは言う。


「朝から頭を使うのは無理だよー…」


 ヴァイオレットは5枚目を捲って手を止めた。その真剣な表情に、デイジーも一緒になって覗き込んだ。


「<今回の演目は147の結晶。嫉妬から白ウサギの巣穴の命の結晶を持ち去ってしまった孤独な黒ウサギの成長物語。>…ヴィオさんってお金持ちなの?」


「演劇を見る余裕はないわね。これは、暗号なの」


「あっ暗号?」


「この記事を書いたのは私のでね、他のとの連絡の中継をしてもらっているの。その人にはを盗んできて欲しいと頼んであって、その返事がこれよ。黒はその友人で、白はターゲット、そして命の結晶がよ。つまり、成功したってことね」


「ちょちょっとまって、じゃあこれもヴィオさんのの一部?」


「そういうこと、呑み込みが早いわね」


「っていうか、そんなに詳しく話しても大丈夫なの…?」


「あなたは誰かに言いふらしたりしないじゃない?」


 ヴァイオレットは深く濃い意気のある目で、デイジーを捉えた。


「まあそうだけどぉ…」


 デイジーは鼻を触ってニヤケを隠した。


「それでこの後どうするの?」


「もちろんまた細工をしないとね」


 ヴァイオレットの不敵な笑みから、優艶な香りも漂った。


「なんか…ヴィオさんが悪い女っていうの分かる気がしてきた」


「悪い気はしないわね」


 ヴァイオレットはティーカップに指をかけた。


「そうそう、そのある物、あなたの家に届けるようにお願いしたんだけど、やめた方が良いかしら」


「ううん大丈夫、それよりその荷物受け取った後はどうするの?」


「聞いても構わないのね?」


 ヴァイオレットは声色を落ち着かせて言った。デイジーもカップから手を降ろした。


「うん」


「あなたも良く知ってる騎士に手伝ってもらうつもりよ。だから…」


 ヴァイオレットは席を立ち、店の扉を押した。ドアベルが激しく音を鳴らした。

 扉の前ではジェイドが手を引っ込めていた。


「早く入ってきてくれない?覗き魔さん」


 ヴァイオレットがからかうとジェイドは顔を赤くした。


「いや今来たところで——」


「はいはい」


 ヴァイオレットは面白がってその無茶な言い訳を遮った。


「デイジー、ハーブティーを入れてあげて」


「えー?私その人嫌なのにぃ」


「おねがい、ね?」


「んもう私ってばヴィオさんに弱すぎ」


 デイジーはテーブルに手をついて立ち上がった。


「ふふっありがとう」


 扉は閉められた。だがベルの音はしなかった。



 ジェイドはカゴの中に並んでいたまだら模様のクッキーをかじった。


「美味いな」


 その満足げな顔を見たデイジーはツンとして言った。


「それ私が作ったやつですよー」


 睨み合った末、ジェイドは残りを一気に口に放り込んだ。


「今度は何をするつもりだ?」


「本格的に始めるのよ。前にも言ったとおり、私の目的は私を破滅させた人への報復。まずは第二皇子リビウスをまず失脚させる。そのためには、彼の支援者との繋がりを潰していくのが一番無難でしょう?だから今回は教会とパルスリス公爵家の関係悪化を狙うわ。公爵は聖女であるカルサを通じて教会の支持を受けていて、その支持は彼女と婚約しているリビウスにも降りかかっているからね」


「きっかけはどうする?」


「公爵の傘下にアドゥール子爵がいるでしょう?彼に引き金になってもらうの。彼、公爵の指示も含めて、裏の世界で結構幅を利かせているらしいのよ。先日消失した裏帳簿の一つが教会の手に渡っていると情報を与えて、教会に侵入させる。そしてアドゥール関与の証拠は私たちで残す。上手くいけば、教会が調査を要求し、両者の間に亀裂が入るわ」


「待ってくれ。『私たち』ってまさか…」


「もちろんあなたと私よ。デイジーに危険な真似をさせるわけにいかないからね」


 ジェイドがいやな視線を感じて隣を見ると、やはりデイジーはわざとらしく笑顔で見つめていた。彼はこの分かりやすいマウントに応じないふりをした。


「俺はいいのか?」


「あなたは何があっても、なんとかできるじゃない」


「そうですよ。おっかない騎士様なんですからも得意ですもんねー!」


 2人はまた睨み合った。

 今度は先に目を逸らされると、デイジーは頬は膨らませて更に力を込めて睨んだ。


「…偽の情報を与える方法は?」


 ヴァイオレットは簡易に畳まれた新聞紙をもう一度広げた。真ん中のページから手紙を取り出し、新聞をデイジーに渡した。彼女はもうけろりとしている。切り替えが早いのだ。


「友人にね、取引をした教会のある男の裏帳簿をすり替えてきて欲しいと頼んでおいたのよ」


 封を切りながら説明を始めた。


「さっきのってそれだね!」


「そうよ。デイジー、新聞の三面には何て書いてある?」 


 デイジーは手早にページをめくっていった。ジェイドは彼女に触れないようになるべく離れた位置から覗き込んだ。


「えと…“港を癒す教会支部長が引退。次の代表に任命されたのはジア・ノーリス”」


「まさかこの男の帳簿か?」


「そう。調査済みのはずの男の情報が偽造されたもので、その上、何の権限も持っていないと思っていたその男が実は次期支部長だと分かったら、あの男相当焦るでしょうね?」


 ヴァイオレットは顔を上げ、目をギラつかせて笑った。


(ハっ…!悪女の笑い方…!)


 デイジーは思ったことが顔に出るタイプだ。


「つまり奴は組織を信用できず、しばらく動かせなくなるということか?」


「いいえその逆よ。ジャッジは蜘蛛の巣のようなアドゥールの影を掻い潜って、その仮面を守った。そんなことができるのは孤児院や多数の施設と手を繋ぎ、彼の身元を証明したが手を引いていたからだってね」


 デイジーは口が空いたまま眉をひそめて首を傾げている。ヴァイオレットはクスッと笑って説明した。


「これが教会の上層部が主導した計画なら、裏帳簿は当然本部にいる彼らの手に渡っている。ならば公爵に知られる前に、是が非でもその帳簿を取り返そうとするでしょうね」


「そっか!あっでもでも!その帳簿ってホントは教会は持ってないんだよね?だったら何を取り返させるの?」


「そうね、聖書とか良いんじゃないかしら?」


「そこは適当なんだ」


「別の組織が疑われるようなよっぽど貴重なものじゃなければ何でも良いのよ」


「だが、教会保有の書物を盗むとなると少々厄介だな」


 ジェイドはテーブルを指でなぞって透明な図を描き始めた。


「本部の中央に建つ祉聖塔では記録や伝承本が一括管理されていて、ここに入るには手間がかかるんだ。一度3階に上がり、ある部屋から内部への階段を下って地下に行き、特殊な鍵を開けてやっとその部屋に入ることができる」


「それって戻ってくるまでにどのくらいかかるのかしら?」


「急いでも15分だな。だが時間より問題なのは、警備に気づかれないようにできるかどうかだ。地下の扉前の音は3階の入り口まで響くようになっている。その上見張の交代は30分から20分おきに変更された。そのことを奴らが知らなければ確実に捕えられるだろう」


「それなら、退出のお手伝いもしてあげましょうか。事前に制限時間を把握させて、見張とすり替わっておけば、彼らは滞りなく任務ができるでしょう」


「あのさ、普通に影さんたちを警備の人に捕まえてもらうんじゃダメなの?証拠はその後でも残せるんでしょ?」


「ええできるわよ。だけど、彼らには教会に侵入し、目的の物を盗んだと主人に報告して欲しいのよ。こういう既成事実は誰も知らなかったとしても後々効いてきたりするものだから」


「それで、奴らが教会本部に侵入するのはいつなんだ?」


 ヴァイオレットはまた口角を上げた。待っていた質問だと言うような表情だ。


「今日の深夜よ。アドゥールは毎日夜10時に帳簿を確認しているの。それがないことに気付き、すぐに‥多くて二人の影を放つとして、彼らが侵入できるポイントは見張りの人数が増える午前0時。私たちも同じタイミングで入らないとね」


「俺たちはその手のプロじゃない。他に入れる時間はないのか?」


「そんなのを待っていたら夜が明けてしまうわ。それに彼らと同じ方法で侵入するとも言っていないでしょう」


 ジェイドはゆっくりとその意図を導き出すと、落ち着いた声で言った。


「…友人だな」


「正解」


 ヴァイオレットは伸ばして重ねた手紙をテーブルの中央に差し出した。


「ついさっき、優秀な彼女が内部の詳細な地図を送ってくれたから、上手く紛れ込めると思うわ。制服はその場で借りないといけないけど」


「奴の手下が侵入した証拠というのは?」


「まだよ。だから急いで調達しないとね」


 ヴァイオレットの態度は、まるで時間に追われているようには見えない。


「どこにあるんだ?」


「内緒よ」


「なっ何故だ…」


 ジェイドは不服そうにうろたえた。


「デイジーと二人でやるつもりだからよ」


「え私っ…⁉」


 デイジーは熱心に読み込んでいた手紙を落としてしまいかけた。


「教えたらあなたまた付いてくるつもりでしょう?」


「ダメなのか…?」


 ジェイドは毅然とした風格に似合わずしぼんでしまった。


「ふふっジェイド!私のような平民と歩いていたら、あなたが目を付けられるかもしれないじゃない。そんなの嫌でしょう?」


「…そんなことはないさ」


「もう、意地張らないの」


 ヴァイオレットはまるで子供を慰めるように、ジェイドの皿にクッキーを一枚置いた。

 なぜ自分を連れていくのかと盛り上がるデイジーとヴァイオレットをよそに、ジェイドは皿にのったアマレッティをじっと見つめている。


(嫌なわけがない…。何にも邪魔されることなく君の隣を胸を張って歩けたら…君が俺を認めてくれたら…君が心から楽しいとささやいてくれたら…俺はいつもそんな願望を隠すのに精一杯なんだ‥‥ヴァイオレット。君は、どう思っているんだ)


ジェイドはそっとアマレッティを口に運んだ。その少し苦いような独特の風味がじんわりと彼を温めた。


「好きよ」


「え…」

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