3つの嘘で返り咲く

梁名 鏡

1. 幕開けのトリガー


生まれて6年で運命は確定する。

たった1年で人が変わる。

愛のために人生を奪う。

信じることは破滅を招く。


思いは交差し、打ち解けることはない。


7年を経て戻ってきたこの土地で。

大切なものを奪った全ての人々へ。




『初めまして。私はリビウス・ウィン・ラナンキュラス、あなたの婚約者です。よろしくね』 


『何度言えば分かるのです!伯爵家に泥を塗らぬよう常に完璧な淑女でなければならないのですよ。』


『お前のような愚図にはもったいないでしょうが』


『アイリス・パルドサム。婚約をこの場で破棄する。』


『何を言うかっ!お前が我々の家族であったことは一度もないではないか。』




・・・スッー

 

 目覚めたばかりの爽やかな瞳で窓の外を見つめる。その紫色と同じ名を持つ彼女は、ヴァイオレットという。

 

 昇り始めた太陽の明かりが時計塔の屋根を照らしている。


「……今日という日に見るなんて、なんて良い夢かしら」


 彼女以外の者であれば、酷い現実だったその悪夢を決して‘良い夢’と言うことはできないだろう。 しかし彼女は清々しく笑っている。


バサッ


 ヴァイオレットはベットから降りて身支度を始めた。

 ウェーブがかかったプラチナブロンドを優しく梳いて、質素で上品なドレスを身に纏い、店を開いている下の階へ降りていく。


カランカラン


 開店の表札を出した後は、お客が来るまで店の片隅で新聞を片手に紅茶を飲む。毎朝のルーティンだ。

 しかし彼女の表情はいつもの穏やかさとは何か違っている。




 本屋,時計屋,パン屋が民家と入り組んでいるこの通りに、慌てた足音が聞こえる。

 

 呼吸を乱してスカートを翻すその少女は、夕日に反射したショウウィンドウの前で足を止めた。止めたというよりは、何か不思議な感覚に止められた。

 いつもは気にもとめていなかったそのガラス窓に、彼女はすい寄せられた。


「‘ビタークレス’…?」


 看板には艶のある黒でそう書かれている。

 大きなガラス窓から中をのぞくと花や装飾品、骨董品や異国の衣服、綺麗な女の絵画といった不思議なもので溢れている。

 

 彼女は気がついたら扉を開けていた。


カランカラン…


「わぁ……」


 店内は一層不思議な雰囲気で満ちている。彼女は商品の一つ一つに見とれて奥へと進んでいくと、女を見つけた。


 彼女はアンティークな椅子に腰かけ新聞を読んでいる。小さなテーブルからは紅茶の良い香りが漂ってくる。

 彼女の優雅な所作がこの店の店主が誰なのかを物語っていた。


「あら。お客さんかしら?」


 ミステリアスな紫色の瞳をゆっくりと彼女に向けてヴァイオレットは言った。

 訪問者は一瞬、その夜空のような深い色に吸い込まれそうだった。


「あっはい、いえ…素敵なお店だなぁと思ってつい入っちゃったんですけど…」


「それなら、お客さんね」


 ヴァイオレットは柔らかな声でそう言った。


「気に入ったものはあったかしら?」


「いえ…特には…あっでも、ここにあるものは全部ステキだと思いますよ…!この剣とかあの青いマントとか!」


 彼女の答えを聞いたヴァイオレットは一瞬何かを考えた。そして不敵に笑って言った。


「…ふふっ。やっぱりあなたは、私のお客さんみたいね?」


「え…?でも、私は何も買えないので…」


「まあまあ、とりあえず、ここへ座ってくださいな」


 対にある椅子を指して言った。

 訪問者は言われるままそこに座ると、目の前に紅茶が出された。


 彼女はその香りに懐かしさを覚えた。


「お口に合うと良いのだけど」


 彼女はなんとなく声を出さずに頷いて、鮮やかに自分の姿を映すカモミールティーを一口だけ味わった。


「まだ自己紹介はしていなかったわね。私の名前はヴァイオレット・ビタークレス。見てわかる通りこのお店の店主。でもね、お客さんによっては相談にのったりもするの」


「相談…ですか?」


「ええ。もし良かったら聞かせてもらえるかしら?あなたの、特別な悩みを。相談に代金を取ったりはしないから」


 ヴァイオレットは冗談まじりにそう言った。


「あえっと…じゃあ、こんなこと言ってもしょうがないと思うんですけど…実は会いたい人がいて」


「あら、恋のお悩み?」


 ヴァイオレットが興味ありげに聞いてきたので、彼女は少し恥ずかしくなって答えた。


「いっいえ!そうじゃないんですけど、その…ある騎士様を探してほしいんです」


「騎士?」


「えっと私、向こうの大通りで花屋をしてるんですけど、1週間くらい前に貴族っぽい女の人と一緒にいらっしゃった騎士様に『この花の名はなんだ?』って聞かれたから、『それはポピーですね!いろんな色がありますけど、この赤い花が一番人気なんですよ!』ってお答えしたんです」


 デイジーは絵に描いたように表情をコロコロ変えて話す。ヴァイオレットは思わず緩んだ口元をティーカップで隠した。


「それで、そのあとは何も言わずに帰られたんですけど…」


「やっぱり恋のお話かしら」


「いやいや!ここからが大変なんです!その翌日!店じまいの準備をしていた時にさっきの騎士様が仲間を引き連れてきたんです…」



 その夜、デイジーは店前の植木鉢を台車に並べていた。


『君』


 いきなり現れた大柄な男たちの影に驚いて、デイジーは飛び退いた。


『あっはい!すいません今日はもう——』


『この店を閉めてもらう』


『え…?あの、ですから今日はもう——』


『そうではない。店を畳めと言っているんだ』


 銀髪の騎士は印の押された書類を手渡した。


『え…っと、それはどういう…?』


 デイジーが閉店命令の文字に戸惑っている間に、銀髪の騎士が指示を出した。


『探せ』


『はっ!』


 部下たちが続々と店の中に押し入った。


ガタガタ——


『あちょっと!…あの!』


 デイジーが慌てて止めに入るも騎士たちは聞く耳を持たず、箱に詰めた花を次々と持ち出して行った。



「精一杯声をかけたんですけど全然聞いてくれないし…どうしたらいいのか分からなくなっちゃって、お店にあったものみんな持っていかれちゃって、そしたら『次は店主と話をつける』とかわけ分かんないこと言われちゃうし…」


 デイジーはガックリ肩を落としている。今にも泣きそうに目が赤い。


「あらあら、ひどいわね」


「はい…だから今働き先を探しているところで…」


「それで『何も買えない』って言っていたのね?でも、だったらその騎士に会ってどうするつもりなの?今の感じだと、あなたの話を聞いてくれそうにないけれど」


「あっそれは最後の頼みっていうか、お花をあげようと思ってて」


「花?」


「えっと、さっきの質問をされる前に聞かれたんです『アイリスの花はないのか?』って。でもそのお花がヘリオトロープから渡ってくるのが3日後で、『ない』って答えたんです。そしたら少し残念そうに『そうか』ってだけ言われたんですけど…だから、よく分からないけどお花のことで騎士様を怒らせてしまったのなら、そのアイリスの花を渡せばどうにかならないかなーって…すごく欲しかったみたいだし」


「アイリスね…」


 ヴァイオレットは小さく呟き、何か考えていた。


「あっそういえば、その話の時一緒にいたお嬢様がすごく嫌な顔をされてたんでした。やっぱりやめた方がいいかな…」


「…そうね、私もそう思うわ。さすがにお花で解決はね」


「やっぱり…でも、それじゃ私どうしたら…!」


 デイジーの胸にまた不安が押し寄せて来た。涙はもう結界寸前だ。そんな彼女とは裏腹に、


「ふふっ、そんな顔しないで?」


 ヴァイオレットはそんなデイジーの顔を覗き込んで、笑顔で言った。


「でも——」


「大丈夫。私が解決してみせるわ。権力に立ち向かう方法は十人十色。あなたがしたように真っ当な主張が届かないなら、私の力を借りるべきよ」


「でも…私さっきも言いましたけど報酬にできるものなんて持ってないですから…」


「報酬、ね。私も初めに言ったのだけど、相談事にお金は取らないわ。だから、」


 彼女は握りしめられていたデイジーの拳にそっと温かい手を重ねた。


「私に任せて」


 ヴァイオレットの濃い紫色の瞳には不安は一切浮かんでいなかった。そして自信に満ちた笑顔でデイジーを真っすぐに見つめていた。


 それが分かった途端になぜだかデイジーの中の不安は消えていった。デイジーにはヴァイオレットの金色の髪が初めて見た時よりも輝いているように見えた。


「本当に良いんですか?」


「ええ、もちろん」


「…じゃあ、おっお願いします!」


 彼女にすべてを預けられて、デイジーは少しだけ肩の荷が下りたような気がした。


 結局そのあとも三時間デイジーはお店に滞在したが、彼女にはその時間が妙に居心地が良かった。

 あんなに揺らいでいたデイジーの心もすっかり落ち着き、ヴァイオレットを信じる自信さえ湧いていた。




カランカラン—


「さてと、」


 すっかり日が落ちて人の声もしなくなった頃、ヴァイオレットは店を閉めて、二階の自室に戻る。軽い足音が床に響いた。


 机の上には新聞の切り抜きや手紙の束が溢れ、サイドテーブルには染髪料の小瓶や黒皮の手袋が置かれている。


 半開きのクローゼットの中には大緑色のワンピースやくすんだ外套、マーメイドラインの美しいドレスと、ただの平民には持ち得ない着装品が並んでいる。


「夕方には閉めるつもりだったのに…」


 ヴァイオレットは鉢植えが一つあるだけの小さなベランダに干していたタオルを取り込み、夜空の空気を目一杯吸った。


 空には青みを帯びたどこまでも深い紫が輝いている。

 ヴァイオレットは笑みを浮かべた。


「やっと歯車が回り始めた…さぁ反撃開始と、いきましょうか?」


 その瞳は星々を捉え、決意と自信を隠し切れずにいた。

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