第39話 作戦会議というにはあまりにも(後編)

「……テメェを信じて託せってのか」

「できればそうしてほしいね。少なくともこちらはキミを信用した上で話を持ち掛けている。それだけは疑わないでもらいたい」


 シュニーの回答には、しばしの沈黙が挟まる。


「俺なんかの、どこが信用できるってんだ……」

「人柄は気に入らないが、能力はある。その辺り、ボクは……今は冷静に評価できていてね。ありがたく思いたまえ」


 ちょっと見栄を張りながら、でも嘘は付ききれずにシュニーは嘯く。

 冷静さを失ってしまい突っ走ったのが、今回の失態を招いた要因の一つだ。

 シュニーもラズワルドも、きっと同じだろう。


 普段であれば偉そうに言うなと槍を突きつけられていただろうが、今のラズワルドにはそのような気力は無いらしい。

 シュニーの尊大な態度にも、ただただ精魂尽き果てたような自嘲の笑いを零しただけだった。


「すげえヤツだよ、テメェは……」


 それから絞り出されたラズワルドの言葉に、シュニーは目を見張る。

 賞賛なんて、予想から最も遠い反応だった。


「俺はテメェみたいにはなれねえ……まとめ役もガキどもを無理矢理押さえつけてやっとそれっぽくできてるだけで、リーダーとしてやっていけるだけの頭もねえ……領民を思いやる優しさも、牢にぶちこんだヤツ相手に落ち着いて取引できる度量もねえ……ただ棒切れ振り回せるだけの、甘やかされて育ったクソみてぇな野郎だ!」


 堰を切ったように、シュニーへの賞賛と自己嫌悪の言葉が叩き付けられる。

 シュニーが何か口を挟む隙もなかった。


「そんな俺が協力したところで何が出来るんだ! ステラもガキ共も何も守れやしなかった! 笑いに来たんだったらさっきからそう言えっつってんだろ!? いくらでも笑いものになってやるからよ!」


 ひとしきり捲し立てた後、ラズワルドは深く玉座に身を沈めた。

 もう何もかもがどうでもいい、というような脱力だった。


「……なあ、ラズワルド」


 自分が無力だと突きつけられて、絶望に打ちひしがれて気力を失っている。

 立ち向かわなければならない現実があるとわかっているのに、立ち上がる力が出ない。


 シュニーは彼の姿を知っていた。

 知っていたからこそ、その時に気付いたからこそかけられる言葉がある。


「きっとボクたちは、他人に突き刺さった鏡の欠片を見ずにはいられないんだ」


 シュニーが気付けた事実は、とても卑屈で自分でもうんざりするようなものだった。

 他人の自分に重なる部分からは、目を背けることなどできないのだ。 


「キミのことが、最初からずっと気に入らなかった」


 ラズワルドに対する、単純な嫌悪感ともまた別な得体の知れないいけ好かなさ。

 一体それはなんだったのか、彼の本音を知れば簡単に見いだせた。


「傲慢で、言葉が過ぎて、素直に感情を出すこともできない。そうやってボクの醜さを突き付けてくる癖に、ボクより優れているキミのことがね」


 自分と似たところがあるからこそ、弱く見苦しい部分を映し出されているように感じてしまう。

 その癖して、自分より優れた部分はまざまざと見せつけられる。それが不愉快で耐えられない。なんと情けない嫉妬だろう。


 同族嫌悪。

 シュニーが抱いていた悪感情は、ラズワルドが自分と同じ高貴な身分の出身だと最初から薄々感づいていたからこそだったのかもしれない。


「キミの人徳が妬ましい。ボクには友人の一人だって、キミのように弟分妹分ができた経験だって無かった」

「んなワケ、ねえだろ」


「キミのような強さに憧れている。ボクは堪え性に欠けているからね、特訓が続かないのだよ。たぶん才能もないだろうしね。……ああ、恨めしいな」

「必死こいてやっとだ。テメェだって命懸けになりゃすぐこれくらいできんだよ」


「キミ、意外と優しいところがあるだろう。子供たちに対するのもそうだし……マルシナと戦った時に、身体強化を使ってなかった。必要以上に傷つけず無力化したい、と思ってたんじゃないのかい? ボクには無理な選択だよ。それに、わざわざステラに王族だと名乗らせたのは……」

「うるせぇ」


 ひとつひとつ、自分には無いと思った目の前の乱暴者の美点を挙げていく。

 自分の非力を認め、他者を褒める。

 心の内に留めていた澱を吐き出すのは、少女に弱音を吐いた時とは違ってどうしてか胸がすく思いだった。


「キミは自信を持っていないのだろうが……それでも、ボクの目にはキミが輝かしく見えるよ。それだけは認めてやろうじゃないか」


 その度に否定されるけれど、少なくともシュニーにとってそれは真実だった。

 他人と比べて自分の不出来に苦悩する。

 けれど、他人から見ればそれは違う時もあるのだと、少しでも伝えたかった。

 ラズワルドがシュニーのみっともなさを、一部でも良きものだと思ってくれていたように。


「何も、知らねえ癖に……訳知り顔で言ってんじゃねえよ……」

「そうだとも。ボクは君たちのことを何も知らないんだ。キミたちがボクを知らないのと、同じようにね」


 目を逸らしたラズワルドの言葉を、シュニーは迷いなく肯定する。


「だから、キミがすごい奴だと言ったボクの秘密を教えてやる」


 それから言うか言わまいか、少々悩んだ後。



「最近、仲を深めたいと思っている女の子がいるのだよ」

「……あ?」


 胸を張って堂々とシュニーが語ったのは、場違いに過ぎる牧歌的な秘め事であった。


「実はボクが領主として民を導いてやろうと思えたのは、彼女のおかげでね」

「待て、待て待て」


 待ってやる理由がどこにあるというのか。

 困惑しているラズワルドを無視して、シュニーは声量を一段階上げる。


「丸々とした赤色の瞳がとても素敵でね! 何を考えているのかよくわからなくていつも振り回されるがボクが困っている時には優しくて、なのにちょっと危なっかしいところも目が離せなくて……あの、すまないこれちょっと恥ずかしくなってきたのだが」

「知らねぇよ……」


 しかしその威勢は脆くも崩れ去る。

 自分は後ほど激しく後悔しそうな告白をしているのでは? とシュニーの中の正気が強烈にストップをかけてくる。  

「ボクは彼女の名前を教えてもらうために良き領主を目指しているのだよ! ああそうだとも、単純な男だと笑うがいいさ! キミは知らないだろう! 怠惰に沈んでいたから故郷を追い出されたような人間だぞ!? 打算で動けるほど賢いわけがないじゃないか!」


 だが、今のシュニーにここで止まるという選択肢は無くなっていた。

 なかばやけくそ気味になりながらも、声を張り上げる。


「というか何が度量だ! ボクもキミみたいに泣いて喚きたい気分に決まっているだろう! なんなのだねちょっと認めてやったみたいな事言っておいて次会った時には助言も聞かず牢に放り込むとは! 上げて落とすのもいい加減にしてくれ! この非礼の対価は後できっちり取り立ててやるから覚悟したまえ!」


 自分でももはや何を言っているのかわからない。

 頭に次々と浮かんでくる言葉を吐き出すのがやっとだった。


「そもそもやっていられなくなってつい先程その子に泣き付いたばかりなのだよ! ボクが今こうして平静を保てているのは彼女のおかげだ! 主にキミのせいで情けないところを見せる羽目になったのだから反省してもらいたいね! キミだって今の姿をステラには見られて失望されたくなんてないだろう! ああいやステラなら失望とかしなさそうだなむしろ心配して抱きしめたりしてくれるんじゃないのかいおのれおのれ!!」


 ラズワルドへの愚痴と彼が自分に対してどれだけ過大評価をしていたか、言葉を尽くしてシュニーは語る。

 もう最後の辺りは話と関係ない欲望が漏れ出していた。


「ぜぇ、ぜぇ……そういうワケだよ。キミから見たボクも如何に上辺でしかなかったのか、これでわかっただろう……?」

「……そうだな」


 それは、作戦会議というにはあまりにも稚気じみている。

 お互いの過大評価を否定し合う不毛な時間を過ごし、少年ふたりは疲労に苦笑する。

 嫌味以外のラズワルドの笑顔を、初めて見た気がした。


「お互いに、まだわからないことが多すぎる。キミに何ができるかとかも、今はまだ答えなんて出せないとも。少なくとも最低限、今の状況に役立つ能力があるとは言ってやるがね」


 ラズワルドの自嘲に明確な答えが出せる程、シュニーは己の審美眼に自信を持っていない。

 もしかしたら彼より優れた人間はいくらでもいるのかもしれないし、唯一無二の逸材なのかもしれない。

 心にもないことを言って慰めてやれるほど優しくもない。


「だから……これから知っていきたいな」

「はぁ……」


 なので、答えは保留することにした。

 卑怯と言われてしまうかもしれないが、それがシュニーに示せる誠意だった。


「わかんねぇ……。なんでそうまでして、テメェは俺らに構おうとするんだ。めんどくせえ立場の領民ふたりだぞ」


 ラズワルドが、困惑に呟く。

 どうしてステラとラズワルドの進退に、シュニーが関心を寄せるのか。

 つい先ほどシュニーが尋ねられて、しかし話題が逸れてしまっていた疑問だった。


「キミとステラが、この地に必要だと感じたからだ。仮に必要じゃなくても、もっとキミたちを知りたいと思った」


 シュニーとしてはきちんと回答したつもりだったが、あまり納得できていない疑念のまなざしが返って来る。

 気まずそうに眼を逸らすシュニー。

 シュニーは未だ知り得ない過去の話だが、あらゆる場所から拒絶された人間がいきなり必要だ、などと求められても実感など湧かないのだ。


「……繕わずに言え」

「む……ううん……」


 ラズワルドの詰問には、荒々しさが殆ど抜け落ちていた。

 もしかしたら、隠し事が下手なシュニーの本音を薄々でも察していたのかもしれない。


「その、なんというかね。初めてできた……ゆ、友人かもしれない者たちを惜しむのはおかしな話じゃないだろう?」


 観念したように、シュニーは目を泳がせながらぽそぽそと小声で答える。

 格好付けて少女の下を去った手前、巧みな話術でクールにラズワルドを説得するつもりだったが、どうやら向いていないようだと痛感し。


「キミたちがどうやって出会って、どのようにしてここにたどり着いたのかが気になる。悪徳領主に一杯食わせて独立したのも、きっと胸がすく武勇伝だろう。また祭りを開くなら、行ってやってもいい。……いや、是非行きたいな」


 もはや隠し立てなどするまいと、シュニーは己の思ったそのままを口にする。

 思いは、隠していたら伝わらないのだ。

 それが、此度の件でシュニーが学んだ何より大切な物事だったのかもしれない。


「それが、こうしてキミと話している理由の全てだとも。不満かね?」


 言いたいことは言い切った。キミの答えを聞こうじゃないか、とでも言うように。

 新任領主は亡国の王子へと、偉そうな態度で手を差し伸べた。





「……いくつか、聞かせろ」

「構わないよ」


 不敵な態度のシュニーに、ラズワルドは逡巡する。

 恥を晒してでも、必要もない自分の弱さを見せてでも共に歩もうと言ってきた未熟な領主。

 もう一度くらいは、信じてやってもいいかもしれない。一瞬己の甘い部分が顔を出したが、それでも多少の落ち着きを取り戻した彼は冷静だった。


「テメェは領地をひとつに纏めたいのか」

「ああ。キミはスノールトの大人たちを信用できないから反対するだろうが……それは違う、と示してあげようじゃないか」


 最初に、目的を聞く。

 自信満々に言ってのけるシュニーのその言葉が真実かどうかは、ラズワルドにはわからない。信用できる材料は全く足りない。


「考えがあるんだな」

「まあね。ボクなりに頭を捻ったからね、多少は勝算がある。このフィンブルの町を……キミとステラの誇りと子供たちの暮らしを、守ろう」


 次に、方法を聞く。

 具体性が全くなくて、今のままでは判断するに値しない。

 美辞麗句で騙そうとしているだけかもしれない。


「それを皆のために……なんつってやろうとしてんのか?」

「いや? 正直みんなのためというのはあまり実感が無いね」


 最後に、何故そうしたいのかの望みを聞く。

 最後の最後で、綺麗事を捨て去った回答が。

 わざわざ露悪的に振舞う理由など無い以上、それは本心なのだとわかった。


「もしかしたら……笑顔が見られるかもしれない、などと期待してしまうだろう?」


 照れくさそうに頬をかくシュニーがぼかした主語は『領民のみんな』でないことなど、ラズワルドにはすぐにわかった。

 勝手に友人だと認識した相手を切り捨てられない。恐らく一方通行で好いている相手を喜ばせたい。

 そんなあまりにも私的な感情で、この領主を名乗る少年は本来必要もないだろう戦いに臨もうとしている。


「……こんなのが、これから俺らの上に立とうってかよ」

「そうだが。せいぜい崇め敬ってくれたまえよ」


 シュニーが伸ばしてきた手を、呆れながら見つめる。

 それを取るのは、きっと無謀極まりなくて、得られるものとは釣り合っていない選択だ。

 楽で見返りも大きい最適解を捨ててまで走るなど、愚かと言われても仕方のない茨の道。


「……はっ」

 

 差し伸べられた手を乱暴に掴んで、ラズワルドは玉座から立ち上がった。

 姿勢を崩して慌てるシュニーを鼻で笑いながら、彼はかつて己が抱いた想いに改めて目を向ける。


 自分のやりたい事を好き勝手やった結果、たくさんの人が救われる。

 あまりに都合が良くて馬鹿馬鹿しくて、でもそうなれば良い。


「ほんと、馬鹿な話だよな」


 まだ詳細を聞いてもいない、分が悪いのがわかりきっている賭けに出る。 

 王子がこんなのとか滅亡待ったなしだろこんなの、父上は正しかったなとラズワルドは自嘲に口端を持ち上げる。

 けれど、どこか憑き物が落ちたような……己の選択に微塵も後悔などしていないと言いたげな、清々しい笑みだった。


「どうせ失敗したら俺もテメェもおしまいなんだろ。普通なら誰が乗るってんだよ」

「よくわかってるじゃないか、キミは間違いなく大馬鹿者だとも」


 かくして、逆襲の嚆矢はつがえられた。

 勝って得られるものは苦労に対してきっと少なくて、負けて失われるものは数知れない戦いが始まる。


「でも、そう罵ったらボクまで大馬鹿者になってしまうじゃないか、それは嫌だな……」

「はっ。うだうだ言ってねえでとっとと認めろ」


 シュニー・フランツ・フォン・スノールトと、ラズワルド・ケータシア・ネザーリアは、似た者同士だった。

 高貴な家柄に生まれ、だが親に見捨てられて生家を追われた。

 意固地になりやすい。ひねくれ者だけど目標を決めたら一直線。

 偉そうなのに、根が卑屈。

 挙げていけば、きっといくつもあるだろう。 


 ただ、一番大きな共通点は──


「惚れた女の為に命賭けて危ない橋渡るなんざ、大馬鹿しかやらねえに決まってんだろ」


──あまりにもくだらないのに本人たちにとってはこの上なく大切で、でもこんな状況でないと素直に認められらない。そんな譲れない一点だったのかもしれない。

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