第34話 誰が過ち

「……悪い。ほんとは俺たちがやるべきなのにな」

「そんなこと言ってる場合じゃないさ」


 街に隠れ散らばっていた子供たちを集めて安否を確認するには、いくらかの時間が必要だった。

 怯えて家に立て籠もる子がいて、シュニーの姿を見て泣きじゃくる子がいて。

 ラルバと同じように何人も負傷して倒れていて。


 そんな惨状の中で皆を先導し、怪我人を何人がかりかで運び、どうにかここ城の中庭へと導く。

 目の前の現実が呑み込みきれず半ば思考が麻痺してしまっていても、シュニーは直感に従って体を動かすことができた。

 

「……本当に、襲われたのか」


 疑念ではなく事実の再確認として、シュニーが茫然と呟く。

 実際に被害を受けた子供たち皆が先ほどから訴えているのだ、疑う余地などどこにもない。

 絶え間なく響いているすすり泣きと負傷者の呻き声は、嫌という程にこれが現実なのだと訴えかけてくる。


 皆が語る情報を統合すると、あの後会談は無事に終わったようで、子供たちの前にやって来た代表者たちは和やかな雰囲気だったらしい。

 それからは食事をして交流の時間があって、皆は和気藹々と楽しんでいたという。


 事態が急変したのは、夕食会の最中。

 何の前触れもなくガウルがすっと手を上げ何らかの合図をした途端に、新しい友人たちは豹変した。

 突然に椅子を蹴った彼らはラルバたちフィンブルの衛士を押さえこみ、子供たちを追い立てたという。


 普段から訓練を受けていた子供たちはどうにか反撃しようとしたものの、不意打ちという状況な上、相手は大人ばかりでさらには身体能力に長けた人狼という種族だ。

 まともな戦いにならず、瞬く間に叩きのめされた。


 被害は食料のいくらかと、農具や武器類の中でも金属製の道具が主。

 そして。


「あ、うぅ……ステラちゃぁん……」


 子どもたちが口々に呼ぶ名から、シュニーは察していた。

 この中庭には、フィンブルの子供たち全員がいるわけではない。

 理由は、冷静さを保てていた一部の子供たちは城の奥、共用倉庫目指して避難したからだと聞いていた。

 だが、全員の避難を見届けずして逃げるとは思えない性格の少女が町に残っていなかった。


「……姫様が連れて行かれた。返してほしけりゃ、こっちが要求する分だけ寄越せっつってな」


 ならば、どうしてステラの姿が無いのかは明白だ。

 相手は会談のために訪れた代表者と使者、という体だったので少人数だった。

 盗み出せる物資もたかが知れていたのだろう。

 だから、もっと多くと引き換えられるだろうこちらにとって価値の高いものを奪っていった。

 貴人を人質に取り交渉するのは大規模集団の戦では常だ、とシュニーは父から聞いていたが、なるほど実際にされてみれば反吐が出そうな程に効果的な戦略だ。

 それだけで民の士気が削り取られ、意思を挫かれる。


「明日の夜にもう一回来るからその時に返事を聞く……って……」

「……傷が開くからあまり力を入れてはいけないよ」


 相手に時間を与えれば与える程打てる手が多くなるからこその、短期間での判断の強要。どこまでも身勝手で、だが有効な手である。

 シュニーは歯を噛みしめているラルバを宥めるが、それ以上何ができるわけでもない。ここに集った皆の憤りや不安を取り除いてやる方法など何もわからなかった。


「あとの応急処置は任せたよ」


 周囲の子供たちに言付けし、ふらりと立ち上がる。


「シュニー、どこ行くの!? あぶないよ!」

「……少し様子を見てくるだけだ。構わないでくれたまえ」


 制止の声に言葉だけで答え、シュニーは中庭から離れ歩き出す。

 気遣いに冷たい声で返してしまったが、それを気にするだけの余裕はなかった。




 静まり返ったフィンブルの町を、ふらふらとあてもなく彷徨う。

 曇り空なので分かり辛かったが、暗さから察するに寝るにはまだ早い時間なのだろう。

 普段であれば子供たちは広場に集まって、微かな灯りを頼りにわいわいと遊んでいたに違いない。


 そんな楽しげな日常風景の面影は、目の前の光景からはもはや感じ取れなかった。

 家のいくつかが無惨に潰れ、食べ物が地面にぶちまけられ、ひしゃげた蛍石灯が転がっている。

 シュニーはぼんやりと、曇った視界に変わり果てた町を映していく。


 幸いにも死者は出ていない。

 たしかにラルバを初め戦いの心得があった子供たちは無事ではなかった。

 骨を折られるか拘束されるか、という形で立ち上がられない程度には怪我を負い無力化されている。

 だが、致命傷にまでは至っていなかった。


 きっと喜ぶべきなのだろう。喜ぶ権利があればの話だが。


「……寒い、な」


 両肩に雪が厚く積もっているかのように、体が重たかった。

 切迫した状況を放置してのこの放浪に、目的があるわけではない。

 現状をどうすればいいかわからなくて、目を背けてしまったも同然だった。


 賊の襲撃。

 それは追い詰められた人間が溢れる今の世では珍しくもない、ありふれた悲劇だ。

 シュニーが好む冒険ものの物語では、主人公が序盤の人物紹介代わりで解決するような他愛もない戦いである。


 悪の魔王率いる軍勢との決戦や強大な怪物退治のような、心を躍らせる英雄譚とは違うただの前座。

 絵空事の話でなくとも、帝都で起こったならあっさり鎮圧されて民の井戸端会議に挙がる程度の問題だろう。

 たかがそんな事態が、今のシュニーには、フィンブルという町にはあまりにも重い。


 本当はこんなはずではなかった。

 領地をひとつに纏められる自信があった。それだけの情報を手にしている。

 もしそうできていたなら、たかが賊の襲撃くらい、跳ねのけられたはずだった。


 全てが上手く行くはずだったのだ。

 領民全員とまでは言わずとも多くの人が笑える結末を迎えられるはずだった。

 そのために、シュニーはらしくもない努力を少しずつ重ねていたのだ。

 だが、すべて崩れ去った。


 どうして、こんな状況に陥ってしまったのだろう。


 これはいったい、誰の過ちなのか。

 ふらつく思考の中で、議論が始まる。シュニーは議長の席に座って、何十人もの審問官がシュニーを囲んで意見を交わす。


 甘い顔をして近付いて、略奪を働いたガウル達か?

 平和な町を襲撃するなど、言うまでもない大罪。帝国法で極刑に処されるべきだ。

 ……だけど、今は敵対者が悪いなんて大前提の話をしているわけじゃない。


 では愚かな選択をして、外敵をまんまと招き入れてしまったラズワルドか?

 彼がもう少し状況を正しく分析できていたなら、ここまでの事態にはならなかったかもしれない。


 ……でも彼は、きっと何らかの事情があってそうしてしまった。

 ステラと同じくらい住民たちの事を考えていて、ステラ以上に街の安全の実態を知っている彼は、危ない橋を渡ってでも防備を固めたいと願ったのかもしれない。

 もしくは、壊れかけの橋を渡っているのに気付かないくらいの焦りに苛まれていた。


 だったらどうして彼は、ああも平静を失っていたのだろうか。彼を追い詰めていたのは、一体何だったのか。

 何故ラズワルドは、急に敵意を向けてきた? もしかしたら、そこに理由があったのでは? 薄々自覚していたのに、衝突が怖くて眼を逸らしていたんじゃないのか。

 彼の様子がおかしいと気付いていたのに、波風を立てまいとして触れなかった者もまた間違いを犯したのではないか。


 それなら、状況に疑問を抱いていたのにラズワルドを御せなかったステラか。

 配下の失態は主君の失態。ああ、その通りだ。


 シュニーは納得して頷き、頬をほころばせる。感情に著しく欠ける、乾いた笑みだった。

 途端、嵐のように脳内の議場に罵声が飛び交う。


 全くもって情けない! なんという失策、失態! 本当に愚かしい!

 こんな様で民を導くなどとよく言えたものだ! 非才の身で領主になろうなどという恥知らずの愚か者、思い上がりにも程がある!

 ああ、本当にどうしようもない。


 誰もが、一番の罪人を見つけ出してありったけの侮蔑と憎しみをぶつけていく。

 審議など名ばかりの罵詈雑言の場で、議長のシュニーは首をかしげる。

 ラズワルドの責はステラの責だ。ならばステラの責は? 配下の失態は主君の失態だと言うなら、その連鎖はステラで止まるのか?

 この状況をみすみす招き寄せ、本来避けられたかもしれない事態を悪化させ、責任を負うことすらできていない。


 ……そのような、本当に罪を問われるべき者が他にいるんじゃないのか?


 疑問に、全ての目線がシュニーへと集中した。


“やっと気付いたかい?”

“いや。やっと認める気になったのかね?”


 ずっとうつむいたままの頭を上げて、審判官たちをぐるりと見回す。

 彼らはみんな同じ顔だった。朝起きて鏡を覗くだけで会える、誰よりも見知った人間だった。


「……ああ、なんだ」


 それでようやく理解する。

 嘲笑と罵声と悲鳴と、他もろもろ。


「ぜんぶ、ボクのせいじゃないか」


 それらは全て、最初から自分に向けられていたのだと。


 雪が、降ってきた。

 誰もいない荒涼とした街の中心で、シュニーは呆然と立ちすくむ。

 なにかがへし折れたような、そんな音が静寂に響いた気がした。




「ぽんこつ」


 シュニーを、だれかが呼ぶ。

 ああ、その通りだ。今の自分にこの上なく似合っている、惨めなあだ名。

 その声色に普段と違って感情が混じっていると気付けないまま、シュニーは声の主へと目を向けた。

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