第30話 渦巻く不安

「……そういえば、まだ相手方について何も聞かされていなかったね」


 フィンブルの町への道中、沈黙に耐え兼ねたシュニーが口を開く。

 徒歩にしておよそ二時間の道程。

 これが街から町の移動である、という事情を考えればむしろ短時間だと言えるかもしれない。

 だが相対的な長さの話など、当の本人は知ったことではなかった。


「先日ボクが帰る時には、領地外の人間としか言われなかったが……具体的にどのような者たちなのだね?」


 半分を真面目な領主の執務として、もう半分を私的な感情で。

 シュニーはふたり、特にラズワルドへと尋ねた。


 フィンブルの町に外部からの使者が訪れるため、非礼が無いように監修を。

 それがシュニーに任された仕事であるが、こなすに当たって情報が大きく不足していた。

 相手は一体何者でどのような立場なのか、現状では一切聞かされていないのだ。

 同じ客人を迎えるにしても、王族と平民では何もかもが違う。

 さらに付け加えれば、最初から友好的な態度が望めるのかそうでないのかも事前に知っておく必要があるだろう。

 最初から手を取り合える雰囲気なのか、隙を見せれば喰らい付かれるような恐れがあるのか。

『この町と良い関係を築きたい』という名目とはステラから聞いていたが、実際のところどうなのか。


「領地外、というのも不思議な話だね。そもそもこの地の外に交渉ができる集団などいるのかい?」


 シュニーは今回の件について、少々の疑念を抱いていた。

 そもそも、スノールト領はそう易々と外部勢力が接触できる立地に無いのだ。


 バルクハルツ帝国の北西端であり現代の人類生存圏の北限であるこの地の外は、北部、西部は完全に“冬”に飲み込まれており人がまともに生きられる状況ではない。

 東部には山脈が壁のように立ち塞がっているため、これを超えて交流を交わすのも困難だろう。

 唯一南東方面の一部だけは比較的安全な街道が拓けており、その先に帝国の近隣都市が存在しているものの、距離にして馬車でも半月はかかる。

 近隣都市とは言うが本当に『強いて言えば一番近い都市』というだけだ。

 そこに続く唯一の道ですら、“冬”が本格化する時期になれば豪雪と活発化した雪の魔物によって閉ざされる。


「こんな有様だからね、一体何者なのか気になってしまってね」


 シュニーが把握している領地の情報からは、外交が望める集団など皆無なように思えてならなかった。

 思い当たるのは先に挙げた帝国の近隣都市くらいだが、同じ帝国に所属する街を『領地の外の方』などという迂遠な表現で呼ぶだろうか。


「どうせ退屈な道行だ、解説してくれたまえよ」


 その辺りのもやもやを晴らしたかったし、単純に暇だったので何かしらの話題が欲しかった。

 それも「今日の天気は?」のようなすぐ終わるものではなく、しばらく保たせられそうな話題が。


「……」


 返ってきたのは、シュニーの思惑に反する無言だった。

 ラズワルドは振り向くことなく先導を続け、ラルバもまた何も言わない。


「なんだ、随分とご機嫌斜めじゃないか」


 それだけではない。

 ただ沈黙が続いただけではなく、どこか場が重たくなったような、嫌な感覚が。

 物理的な寒さと同じくらい冷えた空気に、シュニーはぼやく。


「まったく、姫君の側近ともあろう者がこんな態度ではな。キミもそう思うよね、ラルバ?」

「……」


 この沈黙を長引かせたくなかったので隣のラルバに話を振ったが、言葉は返ってこなかった。

 シュニーがちらりとラルバの顔色を伺えば、何かを堪えているような沈んだ様子が見えた。

 ラズワルドの悪口に同意したら後ほど仕置きされるから、程度しか理由は思い浮かばなかったが、それにしても思い詰めているような表情だ。


「テメェは、疑ってんのか?」

「……なに?」


 理由を聞くべきか深入りは避けるべきか決めかねていたシュニーに、今まで黙り込んでいたラズワルドの声が投げられた。

 だがその内容は唐突で、シュニーは困惑と共に聞き返す事しかできない。


「俺らが変な連中とつるんで何かやらかすとか言いてぇのか? 反乱でも起こすんじゃねえかとかよ」

「べ、別にそんな話はしてないじゃないか……」


 次いでの険しい言葉で、シュニーはそれが先に自分がした質問への返答なのだと気付く。

 確かに疑念はあったが、それはただ状況的に出自が謎な来訪者を不思議に思っていただけで、悪意や警戒心からではない。むろん、なにか企みがあるなどと疑ってはいない。


 シュニーは別にラズワルドを責めたかったわけではなく、ただ必要な情報を得るついでに暇つぶしと雑談がしたかっただけだ。

 なのでどちらかといえば聞く時にも友好的な態度を心掛けたと自負している。


 ラズワルドだってシュニーが事情を伝えられていないのは承知だろうし、シュニーの果たすべき役割には外交相手の情報が必須であるのは把握しているだろう。

 乱暴ではあるが、それがわからない男ではない。はず、だった。


 だというのに、今の彼からは余計なことを聞くな、とでも言いたげな明確な不快感と苛立ちしか読み取れない。

 

「……ならいい。黙ってついて来い」

「なんなのだね、一体……」


 シュニーが何か言葉を続けようとする前に、一方的に会話が打ち切られる。 

 何やらもやもやしたものを感じるが、声を大にはできずシュニーは小声でぼやくしかなかった。

 結局、三人がフィンブルの町へたどり着くまでに交わした言葉は、これが最後だった。


―――――

 そうして町に到着した後にも、無言の時間はしばし続いた。

 すっかり日が落ちていたため子供たちの姿が見えない町を通り、ステラの城へと向かう。

 元々今用事があったわけでもないので構わないのだが、一旦立ち止まるかどうかシュニーの意向が聞かれることはなかった。


 城にたどり着けば、ステラと再び顔を合わせないまま客室へと案内された。

 まるで、呼びつけておきながらシュニーを


「……んじゃ、また明日。時間になったら呼ぶからさ。なんか困ったことあったら言ってくれよ」


 ラルバが次に口を開いたのは、ラズワルドがシュニーへの対応について言付けして立ち去った後だった。

 

「客を迎えるのだろう。ボクは手伝わなくていいのかね」


 風呂や食事などいくつかの説明をして、ラルバもまた客室から出ていこうとする。

 そんな彼を呼び留めて、シュニーは尋ねた。

 自分から仕事を増やそうとするなど以前の自分からは考えられなかったが、それでも。


 その理由は、勤勉だからなどではない。

 何か形容し難い不安が胸の内にあって、周囲から独り取り残されているような気がしてならなかったのだ。


「おう……兄ィがそう言ってた」

「……そうかね」


 後ろめたさを感じずに、公認で休める状況。

 本来なら喜んで然るべきなのに、今のシュニーにはとてもそうとは思えない。

 ラズワルドは、自分を気遣っているわけではなく情報を与えないようにしているのではないか。

 そんな嫌な予想が、不意に脳裏を過る。

 彼がいない今、ラルバに深く事情を聞くべきなのかもしれない。


「では、貴賓としてゆっくり休ませてもらうよ。案内ご苦労だったね」

「おう……明日はよろしくな……」


 けれど、シュニーはそうしなかった。

 ねぎらいの言葉をラルバにかけて、会話を終える。

 ラルバの少し掠れた声と共に扉が閉じられ、場がしんと静まり返った。



「……まあ、明日が過ぎれば落ち着くだろう」


 ベッドに寝転んで、シュニーは独り呟く。

 いくら自分が鈍感でも、ふたりの態度が明らかにおかしいのはわかる。

 特にラズワルドのそれは、まるで憎むべき敵の捕虜に相対するかのようだ。

 今までのやり取りで仲良くなれたとまでは言わないが、少なくとも敵対者よりは近づけていたはずなのに。

 原因については……外交じみた外部との交流なんて慣れない行事を控えているから、緊張でカリカリしているのだろう。


 だから、客人への応対が良い形で済めば、普段通りに戻るはずだ。

 今は明日の外交と、その後に控える自分のやるべき事に集中しよう。


 薄々、そうじゃないような気はしているけれど。

 己の内にある不安を見なかった事にして、シュニーは灯りを消し目を閉じた。

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