異世界で、コンドーム使って純愛してみた

入夏みる

第1話 健全&安心なセックスライフには、コンドームがおとも!

「健全かつ安全なセックスは、人間の健康寿命を伸ばす」

 粟野夏美(あわの・なつみ)は、本気でそう考えている。

 そのために、健康的な男子とのまぐわいを欠かさないでいるといっても過言ではないわけではない。

 心拍数も程よく上がる心地よい運動、嫌いな上司の小言さえ吹き飛ぶ快感は、メンタルダウンを起こしやすい現代人が健康に過ごすために必要不可欠と言えるだろう。今のところ、夏美はこの効果を得られる行為を、セックス以外に知らない。


 自宅の最寄駅の改札を抜けると、駅の出口は寂れた東口と少し夜の店がある西口とに分かれている。もっぱら居住地区は東口なので、夏美も自然とそちらへ足を向け、自宅への帰途についた。

(せっかくの金曜日なのに、残業しちゃった……)

 いつもなら、セフレの一人とでも遊んでいることだろう。しかしこのところ仕事が忙しく、約束を取り付けなくてはというところまで頭が回っていなかった。

 歩きながら、駅から居住区へ切り替わる、その境目くらいにあるドラッグストアに目がいく。夜でも煌々と周囲を照らし、低価格なイメージの染み付いたあのフォントで書かれたたくさんのポップが嫌でも目につくからだ。

(あっ、そういえばストックなくなっちゃったんだった! 補充しておかなくちゃ)

 夏美は口角を上げて、ドラッグストアへと足を踏み入れた。

 そして目をつぶってもたどり着けるほど歩き慣れた、あるコーナーへの通路を行く。

(おっ! もしかして新作!?)

 目当てのコーナーの前にしゃがむと、これまで見たことのないパッケージが並んでいるのが目に入った。モノがモノだけに、店の人も目立つフォントは避けたのだろうか。価格の横に小さく新商品、と書かれていた。

(『0.01ミリ』……『素肌感伝わる新触感の素材を開発』……?)

 そう、夏美が手にとってまじまじと説明書きを読んでいるそれはコンドームだ。

 他の客がいてもためらわない。夏美にとってそれは、あまりにも日常の一部であるからだ。歯磨き粉を選ぶのと同じ感覚である。

 女友達に『性欲の権化』と呼ばしめた夏美だが、ただ快楽だけを最重視して他人とのセックスに臨んでいるわけではない。セックスを楽しむ際に最も重要なのは、その安全性である。望まない妊娠や、性病のリスクに怯えて過ごすことほど精神的に不安なことはないのだ。だから夏美は、コンドームをまるで歯磨き粉のように、生活必需品だと考えている。

(8つで2000円か……ちょっとお高いけど、試してみたい……)

 裏の説明書きを読むに、「今のセックスじゃ、まだ密着度が物足りない」と感じているカップルに向けて、より相手の温度を感じられるよう開発した新素材でできているらしい。

 それがまとうゼリーは温かく人肌で、よりスムーズで、底に埋まるような挿入が可能だということだ。

(うん、買おう。決めた! 誰と試そうかなぁ)

 こういう性的好奇心に、夏美が勝てた試しがない。夏美はそれだけを手に取り、弾む足取りでレジに向かった。レジの男性アルバイトは無表情だが、内心ではさぞかし気まずいだろう。しかし、今の夏美はそれよりも早く試したい気持ちが勝っていて、彼の心情を慮ることはなかった。

 袋を断って会計を済ませ、そのパッケージ裏にもう一度目をやる。見た目は、女性の目線を意識したパステルカラーと美しい花びらで彩られ、乙女心で揃えたインテリアの間に置かれていたっておかしくない具合である。

(ゴムは何色かな──)

 そう思いを馳せた瞬間、夏美の瞳には画角いっぱいに車のヘッドライトの光が映っていた。全身を、息ができないほどの激痛が襲い、夏美は自分の脳が意識を手放そうとしているのがわかった。

(あ……これ私、死んだのかな。せめてこの新商品使ってから……欲を言えば、相性最高のイケメンと合体してから死にたかった…)

 夏美の心臓は、その願いを聞き入れることなく停止したのだった。


◇ ◇ ◇


 それから、どのくらい時が経ったのかはわからない。

(あ、れ……)

 何か近くで物が動く気配がし、夏美の意識がゆっくりと覚醒していく。目を開けると、どこか、自分が暗い場所にいるのがわかった。

(私……死んでないの……?)

 ゆっくりと首を動かし、ここがどこなのかを確認しようとする。その瞬間、さっき自分の意識を揺り起こした何かが、隣で再び動くのがわかった。

(ひっ……!)

 夏美は思わずがばっと体を起こし、それから自分がさっきまで寝転んでいたことに気づいた。体を起こして見えたのは、見知らぬ男が裸で隣に寝ている後ろ姿。

(え……どういう状況……? 私、やっちゃってた……?)

 一番新しい記憶を呼び起こそうと少しの間、息を詰めて思考した。思い出すだけでも苦しい、あの全身の痛み、ヘッドライトの明かり、ものすごい音と衝撃……。

(私、あれで死んでなかったの……?)

 直前の記憶は確かに車に轢かれたはずだった。しかし、そこからどうしてもここまでの記憶が思い出せない。

(未練残しては死ねなかったか……さすが私だわ……)

 あまりに強欲すぎて、死ぬに死にきれなかったのか、と納得しかけるが、そこまで考えて、自分が手に何かを握っていることに気づいた。それを視線で辿ってみると、あの日に使っていた通勤用のバッグ。自分以外に、自分の存在証明をしてくれるものが見つかった気がして、夏美はどこか安心した。

(まぁ私のことだし、記憶がないままヤッちゃったんだなきっと)

 自分でもそんなことをしないはずだと言い切れないところに、内心少し呆れる。改めて周囲を見回すと、西洋風コンセプトのラブホテルと言って差し支えないようだった。おそらくキングサイズの天蓋付きベッド、大きく切り取られたアーチ型の窓からは月明かりがかすかに差し込んでいる。ベッド脇に置かれたナイトテーブルも、現代で言うアンティークの部類に入るものだろう。天井には天蓋のせいで半分しか見えなかったが、大きなシャンデリアがついていた。

(一泊いくらくらいだろう、かなりいいラブホっぽいけど……)

 そう考えつつも、自分の居場所がなんとなく把握できたことにも安堵を覚える。ようやく、この状況から自分の記憶が途切れてからの行いが見えてきた。

 これはよくあるワンナイト・ラブ。だとしたら、今睡眠を欲しがっているこの身体の欲求に答えるべきだ。

(でも……その前にちょっとだけ、この人の顔が見たい。相手はどんな人かな……?)

 なるべくベッドに振動を伝えないよう、そっとその男の顔を覗き込んでみる。鼻筋の通った高い鼻、目は彫りが深く、眠っているだけでも美形だとわかるようだった。

(どことなく西洋風な感じ……いよいよ外国の人にも手出したか……)

 知らないうちに新規開拓をしていたことに少し驚きつつ、全くセックスの記憶がないことを残念に思ってしまう。

(外国の人とは初めてだから、どんな感じか知りたかった──)

 もう少しよく男の顔を眺めようとして前傾姿勢になった瞬間、ベッドについていた手首がバランスを取るために動いてしまった。その小さな振動で、男の意識を覚醒させてしまったのか、眉間にしわが寄り、すぐに目が開く。

「あっ……ごめんね、起こして」

「……誰だお前は。なぜここにいる」

 男は目を覚ますと同時に、すっと身を引いた。夏美のことを警戒しているということが、その所作や目つきからも見て取れる。

「え、あの……覚えてない? 私、さっき、あなたとシたと思うんだけど……」

「何を」

「えっ? セックスを……でしょ?」

 記憶がない夏美に比べ、相手の方がこの状況を理解しているはずなのに、どこか的を射ない。男は目を細め、眉をひそめた。

「……していない」

「嘘……したはず……してないの? いや、そんな訳ないよね、この状況で」

 だって、ベッドに男女二人きり、しかも男は全裸なのだ。

「……していないと言っているだろう」

「してないのに、ラブホのベッドで二人で寝るなんてことある!?」

 慌てて言葉を重ねる夏美の様子に、相手が少し警戒を緩めたのがわかった。夏美のあまりのあたふた具合を見て、何も覚えていないことを悟ったのか。

「……お前、この国の者ではないな」

「いや、あなたこそ」

「ここは俺の国だ。出て行け」

 男の厳しい口調に、夏美は言葉が詰まる。

(どうしよう、この人……なんか話通じないんですけど……? ちょっと変わった人?)

 そう思い、再度男の顔をまじまじと見ると、寝ているときにはわからなかった精悍な目つきに気づいて、思わずとくりと胸が鳴る。

(待ってこの人……想像してた何十倍もかっこいい……)

 そんな上半身裸の男と同じベッドにいて、なんの気も起こさないほど、夏美は純粋ではない。むくむくと夏美の中の性欲が、頭をもたげてきた。

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