第2話 精霊達
早朝、ようやく日が差してきた台所で俺は母の横に並び、一緒に家事に勤しんでいた。
あれから心機一転、いくつかの目標を立てていた。
まず俺がやろうと決めたのは家族として馴染むことだった。生活のあれこれを共有し、協力しあえば自然と家族なんじゃないだろうか。ちょっとだけ綺麗事のようにも聞こえるが、今の環境を前向きに捉えるなら必要だと思う。
心の中でそういう理論を持ち出したりしているが大した考えはなく、要はリハビリをしながら家の仕事だけでもしようと思い立ったわけだった。
そう、こんな活動的な思考を持つ位には健康体になっている。
あれからすでに目を覚ました日から数日が経つが、病むのが突然なら健康になるのも突然なのか、日を追うごとに活力が戻っているのがよくわかる。
食事も毎日毎食で彩りが増えていき、母も俺の体調は良くなる一方だと安心したのか、今では二人で同じものを食べるまでに回復していた。
俺自身はたった数日でこの回復したことが信じられなかったし、逆に疑わしいと勘繰った。
しかし、元から病の原因が精霊の仕業だと言われていて今の自分たちには調べようはない。寝ている間も生き続けてはいたのだから変に心配するのも意味がないと母が割り切っているのをみて、自分もうだうだ考えるよりも健康になることに集中しようという気持ちに変わっていった。
そして、元気そうならと母からも家の中なら制限して動き回る許可をしてくれたので、最初と比べればかなり自由が利くようになっていた。
「そういえばドラゴンを見たよ。山の向こうに飛んでいったみたいだった」
「へぇー、そうなの。珍しいわ、何か良いことあるかも」
「珍しい? そういうものなんだ」
何となく振った話題だったが、あまり驚きのない母に対してあの威容の怪物はそう危険なものでもないのかと認識を改める。そして、あの時の感動もそっと胸の内にしまい込んだ。
これは後に聞いたことだが、ドラゴンにも色々あって、あれは渡り鳥みたいな種類らしい。わざわざ人里を襲うような生態はしていないし、季節が来れば運良く見る者もいるちょっと珍しい現象だということだそうだ。
この世界の空にはドラゴンが飛んでいる。それが当たり前だということに異世界の風情を感じた。
それにしても、俺と母の間にはこうやって会話を楽しむ余裕があるのは素直に嬉しい状況だった。
本当に初日の混乱と焦燥感は大変だった。こうして人間らしい暮らしを得ていることの安心といったら、この瞬間も含めて思いを馳せるその度に噛み締めてしまう。
実際、急にこれまでの何もかもを失うように異世界に放りだされて、しかも見ず知らずの女性の子供になっていたという状況、これで出会う人や場所が悪かったならどんな目にあっていたか。
もし、この世界の治安なんかが中世ヨーロッパ風という想像通りのものなら、それはもう考えるのも嫌になるような事が現実になっていたかもしれない。
そういう物語を読んだことがあるせいで無駄に心配し過ぎだったような気もするが、それも今は不安が杞憂であったからこそ言えることだ。
ただ、先日のミルク粥の件は仕方ないこととはいえ流石に暴走気味じゃないかと引きずっていた。
たしかに俺がユーサや母リューサを受け入れる大きなきっかけになったが、あくまでも弱っている所で気が緩んで起きた予想外の出来事であり、それはもう次の日に猛烈な気恥ずかしさで目を合わせられない位におかしくなっていた。
もっと冷静にとか、そんな急に信頼するのかとか、他にスマートなやりようがあったろうと俺の中の成人としての自意識がうるさかった。
それがあって、今の母親との関係に落ち着くことが出来ているので、不幸中の幸い、結果オーライ、塞翁が馬ではなかろうか。
もしこうならければ、いくら母親が良き人であろうとも、俺が彼女を母親として受け入れられずに反抗期の少年か頭のおかしい狂人のように振る舞って迷惑をかけていたかもしれないし、良し悪しは半々と言えるだろう。
それに、そもそもあまり重い話にはしないように避けていたのも、今の状況へと後押ししている。
正直、初日のハードさにはかなり堪えていて、今の生きている分だけ精一杯であり、深刻になって考え込むよりも先に元気になってから取り掛かった方が良い。
それは、母も同じなのか、俺の記憶喪失のことにはあまり触れなかった。
この数日で進んだこともあった。
町の方にいるという父にも知り合いを通じて連絡をしており、一日も経てば息子のユーサが目覚めたと伝わるはずだという。しかし、向こうもタイミングが悪いのか到着の予定から数日遅れている。
そして精霊憑きについて。
体調の経過は驚くほど良好で、母は少しなら診れるという知り合いの冒険者の女性を連れてきたが「疲れがあって栄養は足りてないが、不思議な位に何も病気は無い」と言い切る程度には健康だ。
ただし、今も変わらず精霊に狙われているのは変わらない。そのせいで外に出たら急激に体調を崩したので、色々とやりたいことが制限されてしまっていた。
少し前に、とても調子が良いことをアピールして他の手伝いを申し出たのだが、外に出た瞬間に母の見ている前でぶっ倒れてしまったのが良くなかった。
幸い、家の中にいれば安全だとわかり、落ち着いた状況を保てるように外出は厳禁になっていた。
色々と思い返していたら、家の中で出来る家事はすっかり終わっていて、気づけば俺は母が外に出かけるのを見送っていた。
少し出かけるからゆっくりしなさいねという母の言葉を頭の中で反芻し、口には出さずに謝っておく。
これから、母がいない間にあることについての確認と実験をするつもりでいた。
理由はこれまでに感じていたいくつかの疑問について、一つの仮説にまとまってきたからだ。
外に出た瞬間に倒れたというが、それは生命力が奪われて意識を失ったからではなかった。たしかに多少体の力が抜けるような感覚はあったものの耐えられないほどの影響はない。
ただ、眼の前に急に現れた強い光達と耳を劈くような大音量の雑音に驚いてひっくり返り、そのショックでひどい頭痛や吐き気を起こして動けなくなったからだった。
しかし、その経験がいい方向に作用した。一発で倒れるほどの強さは初めてだったが、あの強い光と爆音には思い当たるものがあった。
それは強弱の波はあれど、何度も体験している奇妙な雑音と目眩の症状に酷似している。
もう健康だというはずなのに外に出るのを控えさせられるこの症状について、それを解明するためには準備が必要だった。
ところで、なぜ家の中だと安全なんだということことだが、それは家中に精霊避けの道具があるからだ。
これらの精霊避けの効果は本物で、これだけの精霊避けが大量に置かれた家はだけでも結界のようになり、またちょっかいをかける精霊も撃退されるので外の精霊達は近寄ろうとしなくなる仕組みという話だった。
特にベッド周りには精霊避けの様々な小物ぎっしり並べてある。丸っこくデフォルメされた化け物っぽいものの像が多く、モデルは精霊を食べる怪物らしい。
他にも、妙な柄のカーテンは何なのか聞くと、カーテンや家具を含めてそれらも精霊避けになる効果があることを教わった。とにかく精霊の影響を防ぐ為に様々な精霊避けを集めた結果、部屋には怪しげな家具や置物が揃い、家の狭さを考えなければ魔法使いの住む部屋にも思えた。
そこで、ついでに聞いた話から得た新情報が大きかった。母は精霊をほんの少しだが感じ取れる体質らしい。
母の場合はいるかいないかの気配をぼんやりと感じる位で、こういった感覚は人それぞれだが優れた精霊術の多くは精霊の存在を感じ取る能力が高いという。
それを踏まえた上でこの光と雑音に注意を向ければ、もしかしたらこれが精霊なんじゃないかと半ば確信するように思い至っていた。
今も、外からささやくような雑音は止まず、窓越しに見る外の風景にはそこかしこで色とりどりの光がちらついている。
初めは疲れのせいだと勘違いをしていたがよく観察すれば幻覚の類いではなく、そこに何かがいるという視覚と聴覚の判断に間違いはない。
ただ繋がらないのは、精霊避けがこの家に精霊を寄せ付けない力を持つとは言っていたが、反対に自分の精霊への知覚過敏が家の中にいる間は抑えられている理由にはならないことか。
母は精霊憑きが原因で倒れたと認識しているに違いないが、実際の原因は精霊の知覚過敏によるショックである。
別にこのことをそのまま母に聞けば済むことかもしれないが、多少こじれた話で説明が難しくはあるし、それで色々と気を回させるのも忍びなく、そういうわけがあって一人での行動を決めた。
というわけで、俺はこの雑音と発光体に対する仮説を実証する為に動き出した。
狙いの物は、部屋にある精霊避けの道具達だ。
その中から身につけられそうなものを選別していく。意外と身につける前提の精霊避けも多く、探す苦労はあまりなかった。
この精霊避けを身につけることで少しだけでも外に出られないかという発想をもとに、それが上手くいけば敵である精霊のことを知るチャンスになるという作戦だった。
しかし、これは精霊の存在を強く感知しすぎる体質だという推測をしてみれば色んなものと結びついていく。
というのも、例えばひどい時のこれらの症状について、雑音の方はイヤホンの音量を大きくしすぎたり音割れするような動画を見た時の感覚に近く、光の方は目の中で光るような感覚はなく、オカルトなんかにある発光体のように空中を漂っていたりとその場で生きているかのように動いていた。
これらは、精霊を感じ取る感覚が鋭いせいで過剰に知覚してしまった視覚と聴覚の情報だというのが、最も妥当な結論だと思う。
この、精霊への知覚過敏だが、元々ユーサが持っていたのか、長く寝ている間か俺が入った後かに発現したものなのかは、多分ユーサ自身は本来持っていなかったと考える方が自然に思える。
普通に生活するのも困難なほどに激しい感覚の異常である。果たして病弱な幼い子供が親に何も訴えずに過ごしていられるとは到底思えない。
あれを耐えるにはそれなりの覚悟をしてからでないといけないだろう。
そう一度意気込んでから、選んだ精霊避けのアクセサリーをできるだけ身につけてから扉に近づいていき、目と耳に強い刺激が来るのを想定しながらこっそりと扉を開けていった。
眼の前にいる彼らはこれまでと違い、強烈な光も音もなくただの村の風景が存在していた。
思ったような展開にならず戸惑っていたが、彼らの方はこちらに気づいた瞬間から、俺に向かってワッと集まった。
しかしすっかり落ち着いたもので、その発光体達の個々の様子が見て取れ、彼らの会話も賑やかな街の喧騒程度には音が抑えられていた。
俺は彼らの行動に少したじろいだが、今のところそれ以上の害は感じないと確認をしてから様子を観察を始める。
顔に寄って来る精霊を避けながらまずは精霊はどんな姿なのか探ると彼らはきちんとした形には定まっていないもやの塊なことを知る。また、こちらから触れることも精霊側から触れられることもなく、彼らは体を通り抜けていった。
次にその会話を聞き取ろうとするが、音量が下がっても雑音は雑音のままだった。何となく抑揚や節などの言語のような雰囲気はあるような感じもするが、どちらにしろ理解はできなかった。
そうこうして精霊にだけ集中していたせいだろう。すぐ側でピシピシという精霊ではない異音がなっているのを聞き流し、次にゴトッという落下音とともに身軽になってから、そこでようやく異常に気がついた。
それはアクセサリーが壊れる音だった。首にかけていた紐がちぎれ、足元にはいつの間にかヒビだらけになっている怪物の像が落ちていた。
途端に雑音と目眩が激しくなり、身の危険を感じるとすぐに部屋に引っ込んで扉をしめる。
勢いで何体かの精霊が部屋に入ってきたが、部屋中に置かれた怪物の像はまったく動く様子もないのに掃除機のように精霊を吸い込んでいき、抵抗するように震える精霊の最後の一体が呑まれると同時に部屋は何事もないかのように静寂で満たされた。
実験内容は、精霊避けの効果についてはちょっと予想外の方向だが十分な働きを体験する事ができ、肝心の精霊を知ることについては上々の成果だったし、それ以上に精霊の知覚も抑制する効果もあったことは嬉しい誤算だった。
ただし、それがどのアクセサリーだったかは分からないので、また探したり違いを比べれる手間はかかるが。
後はこの成果をどう母に報告するかだった。
きっと話しを聞けば喜んでくれる。しかし、その前にちょっとは怒られるのが確定している。
それともう一つ、外に散乱する壊れた道具達はどう説明するのかを忘れていた。
そのことに、気がついたのは、扉の先から帰ってきた母の控えめな叫び声を聞いた後だった。
あの後、俺が精霊避けを持ち出し、実験をするために外に出たことは、たっぷりと時間を使って怒られた。
それも単に身勝手な行動をしたことを責めるのではなく、まずは思ったことを話してほしかったということ方向で叱られるものだから、変に反発する気にすらされずに受け入れるしかなかった。
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