極星の旗印

エピソード3

 空を劈く血振り。ルドウィクの身の丈に迫る刃の大剣だ。それが彼の剛腕によって払われ飛び散った血は、短い豪雨の如く地を打った。


「呆気ない幕切れだ。しかし、友を二度殺めるか。これも導きによる数奇なもの」


 ルドウィクは地面に横たわる人外の体躯を見下ろした。荒野を吹く乾いた風が小さく渦を巻いてそれを撫でる。


「しかし、君よ。変わり過ぎではないか? 魔族になるとはどんな気分だ、なあ?」


 長髪の美丈夫が投げかけたのは、地へ横たわり風に崩れ始めたそれと、周囲へ無数に蠢くそれらへ向けてだった。


「王が倒された……」


「王が、王が……」


 呻き声に似たそれが反響するように聞こえてくる。魔族でも嘆くのか。ルドウィクはほくそ笑んだ。


「君達に告げる。これは王ではない」


 ルドウィクが大剣の切先で崩れ去っていく魔族の遺骸を差した。


「君達を謀り、ヒトどもの巣へ招き入れた偽りの王、偽魔王だ。だが、喜べ。これは今私が殺した。君達は自由だ」


「貴様何を言っている!」


「何が自由だ!」


「殺せ! その男を殺せ!」


 ルドウィクの投げかけに対する魔族達の返答は怒号だった。自分の推測が当たっていた。彼らは元々恐ろしく自由だ。それが故に強者により支配されることへ望みを抱く。ヒトどもと大して変わらないじゃないか。ルドウィクは自らの長髪を掴み喉奥から笑い声を上げて顔を歪ませた。


「ならば、死ね! 魔族の魂は浄化され、大いなるものの元へ帰る! 君達の王と比べものにならぬほどの充足を与えてくれるぞ。好きなだけ安寧を貪るが良い!」


 ルドウィクは咄嗟に大剣を後方へ薙いだ。横一文字に斬り裂かれた魔族の骸が数個出来上がる。


「無粋だぞ。敵の口上は最後まで聞くものだ」


 そう嘆くルドウィクの元へ、既に八方から魔族が迫っていた。


輝蓮華きれんげ


 ルドウィクが振るう魔剣クレイヴ・ソリッシュの軌道は輝く蓮の花だった。その開花に呑まれた魔族の体は微塵となっていく。


「君達よ。安寧へ」


 白い閃光が魔族の群れで起こっていた。遅れてその異形達の体が上下に分かれて飛び散る。ルドウィクが大剣で薙いでいたのだ。驚愕、唖然。その表情を浮かべた魔族の顔も次の瞬間には斬り払われていた。


「な、なんだこいつは……」


「化け物め!」


「君らがそれを言うか」


 漏れ聞こえてくるその声に、ルドウィクは思わず笑みを浮かべ大剣を振るう手を止めた。


「取り囲め! 一斉だ! 相手は二つの眼と二本の腕しかない人間だ! 隙は出来る!」


 王と崇めたものに率いられた魔族達だ。拙くも戦術を使うか。体勢を取り戻した魔族の攻撃がルドウィクに迫った。動揺から立ち直りつつある。人であれば中々こうはいかない。恐怖心の少ない魔族ならではだろう。


 恐ろしく牙と顎が発達したもの、多足多手であるもの、単純に巨大であるもの。魔族の肉体は人類を害する為にあるかのようだ。それが人などでは到底扱い切れない異形の武器を振るって襲いかかって来る。


「嗚呼、堪らないよ、君達は……」


 ルドウィクの皮膚の下をゾクゾクと血液が這いずり回った。気付いた時には衝動に体が従っていた。戦術も戦法もない。美丈夫はクレイヴ・ソリッシュの重い刃で、魔族の肉体を武器ごと両断する。一つ、二つ、三つ……。大剣を振るうのと同じ数骸の山が出来上がっていく。


「これではどちらが魔族か分からないな」


 自嘲しつつルドウィクは気付いていた。空高くに凄まじい力の塊があることをだ。見上げると、三体の魔族が飛翔しつつ掌を寄せて魔力を練り上げ、巨大な炎の塊を形成していた。


 あれは普通の炎ではい。無数の水の属性体へ超高圧と超高熱をかけ、強制的に融合させた時に生成される太陽の如き炎。それを堕とすか。周囲数キロは灰燼と化すだろう。


 そう目算するも、ルドウィクは一歩も動かなかった。それに反して、魔族の群れは一斉に逃げていく。だが、遅い。あれは味方もろとも焼くつもりだ。これが魔族らしさだ。非情などという人ならではの感覚すらも持ち合わせていないのだろう。


「さあ、放て!」


 ルドウィクは空を飛ぶ魔族へ向けて両腕を広げる。それに応えるように、炎の塊は堕とされた。それが、空気を摩擦する轟音と熱と圧力とが、ルドウィクを構成する肉体の細胞と魂とを波打たせた。これをこの身で受け止めてみたい。悪い癖だ。衝動が昂る。ルドウィクは頭を振った。


「無粋なことはしない。奥の手には奥の手。君らに応えねば」


 ルドウィクは右腕でクレイヴ・ソリッシュを掲げ、堕ちて来る巨大な炎塊へその切先を差した。そして、体内の魔力を練り上げ、更に脳内へ魔法式を走らせる。


光崩壊クリサット・オル


 光にとってこの距離は距離に値しない。発動すれば届く。巨大な光が炎塊を包み込んでいた。その眩さは唯白かった。周囲一切が等しく白へ染め上げられていた。遠間からこの光景を見れば新たな星がそこへ誕生したかと紛うだろう。


 これは物理世界の事象であれば全て光へ還すことが出来る。故に放てば決まっていたのだ。光の中でルドウィクは、魔族が放った太陽の如き炎が霧散していくのを感じ取っていた。そして、それはこの場所へ莫大な光が解き放たれたと同義である。


「ありがとう。君らの光、万丈なる墓標としよう!」


 ルドウィクは再びクレイヴ・ソリッシュを天へ指し示すかのように掲げた。


光あれイェヒ・オル!」


 その瞬間、天を貫く光の柱が幾筋も立ち上がった。魔族達へ死を与え、その魂を大いなるものの元へ導く巨大な墓標である。百、二百、三百……。天へ還る魂達の数を、ルドウィクは感じ取っていた。


「千七十二、いや、あの男を入れると三か」


 魔族の群れを送り終えると、巨大な光柱は静かに瞬きながら消えていった。その後に残ったのは円を複雑に組み合わせた形の谷と丘だった。新たに出来上がった地形を物見するかのように風が鳴っていった。


 ルドウィクはクレイヴ・ソリッシュを背に納める。そして、跪き手を組むと、天へ向け祈った。大いなるものの元へ還った魔族達の安寧の為である。


「さすが世界最強、勇者の再来。相変わらず凄まじい。いやもう、あなただけでいいんじゃないですか?」


 背後から聞こえて来る。軽薄な、囃すような男の声だった。彼が叩いているであろう乾いた拍手の音がそれをより引き立たせる。祈りを邪魔された。ルドウィクは大剣を振り下ろしたくなる衝動を抑えた。


「こら、同志ノイエス。同志ルドウィクの祈りの邪魔しちゃいけません!」


 小動物が喚くような甲高い少女の声だ。トコトコと駆ける音と共にそれが近付いて来た。


「あ~いや、これは失敬失敬。あまりに見事だったので、つい。あはは」


 ルドウィクは立ち上がり振り返る。そこには、薄緑を基調とした軽鎧を纏った青年と、杏色のローブを纏った少女が立っていた。


 青年の髪は山吹色で襟足が長い。奥二重の切長の眼に、細い顎。腰元にはそれに合わせたかのような細身の剣を差していた。


 少女は栗色の巻毛だった。顔の輪郭は丸く眼も丸い。キリッと結んだ口元から利発そうな印象を受ける。


「ノイエス・スティルヴェント。御用命により、参上仕りました」


 慇懃無礼。最敬礼を行なっているのに、この言葉がよく似合う男だ。ルドウィクは鋭い視線を細身の男へ投げた。


「同志ノイエス。そのような挨拶やめてくれ。我らは同胞だよ」


「いえいえ、平民の私めが、お貴族様で世界的な大英雄様と同胞などとぉ」


 これがこの男、ノイエスの怒りの示し方なのだろう。ルドウィクは短く溜め息を吐いた。


「もう、同志ノイエス。同志には友愛を持って接しなきゃいけないんですよ」


 少女が頬を膨らませる。


「でもさ、エナちゃん。こんなヴァルノスの荒野くんだりに呼び出されたんだよ。嫌味の一つも言いたくなっちゃうよ」


 ルドウィクは、ノイエスとエナのやり取りに思わず笑みを漏らした。分かっている。この男はいつも悪戯猫のような戯れ付く悪意を振りまかなければいられないのだ。


「いや、すまない。君達にはあの男の最後を見届けてもらおうと思ってね」


「あの男……魔王もどきですか。確かに、エナ達が作ったんですからね」


 エナが眉を下げて悲しそうな顔を作る。この少女は表情豊かだが、何者かから仕組まれた作為のようにも感じる。


「で、同志ルドウィク。僕らへの用件は、魔王もどきの死と、あなたのとんでもない強さを見せつける為だけじゃないですよね?」


「そう。さすが同志ノイエス。話が早いね。もう、あれらの役割は終わったんだ。アヴェリアとヴァルノスの崩壊という役割はね。この大陸の混乱は残った魔族達に任せればいい」


「うーん。で、僕らを呼び出したってことは、また魔王もどきでも立てますか? 今度は使命じゃなく、あなたの興味本位で。同志ルドウィク?」


 ノイエスが細い眼で風を裂くような視線を投げた。


「鋭いね。でも、私の興味本位だけではないさ。これも大いなるものから受けた啓示にまつわるものだよ。その姿が見たい人物がいてね。もっとも、彼女は魔族になっても魔王として君臨したがらないだろうけど」


「あの、エンシェント様は何と? そもそもご存知なのですか?」


 エナが不安げな上目遣いをする。


「同志エナ、心配いらないよ。あの方は結社の総帥と言っても、名誉職だからね。方向性は示されても私達を縛りはしないし、その権限もない。むしろ、我らが自らの意志で動くことを勧めておられるくらいさ」


 ルドウィクは笑みで少女へ応えた。エナからも花が開くような笑顔が返って来る。人々はこの笑顔に心許し安堵するらしい。ルドウィクが自然と身に付けた魔法だ。


「ま、あなたの頼みですからね。断れない。やりますよ」


「すまない。よろしく頼む」


 ルドウィクは、ノイエスとエナに向けて頭を下げた。


「や、やだ……やめて下さい、同志ルドウィク」


「お礼に何か奢って下さいよ。甘いお菓子がいい」


「それなら、エレスティアの北東部アルベルティンという街で最近流行り出した棒焼きケーキはどうだろう? なんでも、木の年輪を模した形で作られていて、しっとりと柔らかな食感に、上質な砂糖の甘みとバターのハーモニーの中にバニラとラム酒の香りが混ざり合って、素朴さと上品さを合わせ持つ複雑な味わいらしいよ。私もいつか食べてみたいと思っていたところさ」


「何それ、めちゃくちゃ美味そうなんですけど……」


 生唾を飲み込む音と共に、ノイエスの喉仏が上下に動く。


「いいですね! エナも食べてみたい!」


 エナが丸い眼を輝かせた。


「と言うことで、目的地はエレスティアさ。既に同志達が手筈を整えてくれている頃合いだろう」


 ルドウィクは遠くを見詰め、指笛を吹いた。それに呼応して乾いた蹄の音が荒野へ響き渡ったかと思うと、赤い閃光が迫って来る。ルドウィクの愛馬、バイコーンのシャムロックだ。深紅の魔馬は主人の元へ駆け寄ると、参上を宣べるかのように一つ高く嘶いた。


「相変わらず、おっきいですね……」


 エナがシャムロックを見上げた。


「さあ、二人とも乗ってくれ」


 ルドウィクはシャムロックの鞍の上へ跨った。


「やったぁ。僕乗ってみたかったんですよね」


 ノイエスが無遠慮にルドウィクの後ろへ跨る。


「もう、同志ノイエスったら、すぐはしゃぐんだから」


 むくれつつエナがルドウィクの前へ跳び乗って来る。こちらも遠慮ない。根底ではこの二人似た者同士かもしれない。


「出発だ。更なる呪詛を届けよう」


 ルドウィクは手綱を振る。シャムロックは嘶きと共に空を裂いて駆け出した。その馬上でルドウィクは蹄の音に紛れるように薄く笑い続けていた。

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