7話


 次の日から母の稽古は始まった。


 無茶苦茶な走り込みや筋力トレーニングなんかを予想していたけど、それに反して基礎から始まった。


 拳の握り方、突きや蹴りの打ち方、受け身の取り方。そして、意味が分からないのは、ひたすら立つってことだった。


「オニ族の子は、ほっといたって筋肉はつくさ。実践を重ねればさらに力は強靭になる。筋トレなんて必要ない。愚の骨頂さ。それよりも体の使い方、コントロールの仕方を学ぶんだ。その為には肉体が生命体ってだけでなく、構造体であることを知るのさ」


 母は、立っていた俺の胸を人差し指で軽く押した。突然のこともあって、俺はグラリと後ろへ体勢を崩して尻餅をついた。ちゃんと立っていたつもりだったのに。


「しっかり立っていたつもりでも、体の構造とその使い方とを知らなきゃ脆いもんさ。まずは眼を閉じて身体の中心、臍の下へ意識を置く。それから、足の裏から順に骨の構造を探ってみな。骨は建造物で言うところの柱や梁と土台に当たる。それを知らなきゃ、堅牢な城は愚か、ほったて小屋だって建てられないだろ?」


 俺は頷いて母の言う通りにした。なんだろう、この鍛錬。前世で言うと日本の古武術みたいだ。力ではなく身体の合理的な使い方で戦う、みたいな。オニ族特有の怪力による力任せの戦闘方法を教わる思っていたから、全くの予想外だ。


 この後、ひたすら歩くなんてこともやらされた。これも臍の下へ意識を置きつつ、骨の構造と動きを探りながらだ。渋い。激渋の修行だ。でも、本当の戦い方を学んでいるような気がする。


「これを、そうだね。朝から夕まで、一ヶ月は続けるよ。あんたは天才だからそれくらいあれば充分だろ」


 これ、逆に無茶な修行じゃないのか。何十年も学んで行き着くような、悟りの境地にも似た武の道とかだよな。いや、この世界の俺は普通のヒトではないんだ。母を信じよう。



 それから一ヶ月はあっという間に過ぎ去った。俺は母の言われた通りに基礎の打ち込みと、立つことと歩くことをひたすら繰り返した。正直、自分の何が変わったか分からなかった。


「よし。今日から魔力の練り方を教えるよ」


「え? いきなり?」


 俺がそう答えたのは、かなりの飛躍だと思ったからだ。だって、立つと歩くからだよ。


「なんだい、嫌かい? じゃ、もう一ヶ月続けるかい?」


「嫌じゃない。嫌じゃないです」


 基礎と、立つ歩くには退屈してたからな。なんか派手な技とか覚えたいと思ってた。


「だろ? 退屈な基礎より、ド派手な技覚えたいだろ?」


 見抜かれてた。流石、母ライカだ。俺は何度も頷いた。


「オニ族は魔法よりも魔技が得意でね。雷を呼べる能力とも相性が良い」


 魔技。前に母さんがシルバーウルフと闘う前に使ってたあれか。


「魔技を使う場合、魔力は肚、下丹田げたんでんで練るんだ。立つ時も歩く時も、臍の下を意識しろって言ったろ。その場所が下丹田さ」


 俺は臍の下に手を当てた。ここが下丹田か。前世でも、東洋的な武道なんかで聞いたことがある。


「まあ、下丹田って呼び名は、アタシの故郷、龍峰皇国りゅうほうこうこくって国のものなんだけどね。こっちじゃ単純に肚って言うことが多いよ」


 母さんの出身が龍峰皇国ってこと、今初めて知った。この人自分のこと語らないんだよな。俺が聞かないってのもあるけど。因みに、龍峰皇国って国は、ここエレスティア共和国のあるミドガルズ大陸の東方に位置する島国だ。やっぱ東洋的な、日本みたいな文化の国なんだろうか? 


「まずは、今まで通り立って下丹田に意識を集中するんだ。そこへ魔力の渦が生まれるのをイメージする」


 俺は母に言われた通りにした。なんだか臍の下が熱くなっていくみたいだ。


「魔技を使うとき、その渦から起きた魔力の流れが、頭のてっぺんへ立ち昇りながら全身へ巡るんだ。イメージ出来るかい?」


「……立ち昇る……巡る……イメージ」


 俺はブツブツ呟きながらイメージした。だが、中々上手くイメージ出来ない。魔力が流れるっていうものを今一イメージ出来ないからか。いや、これは骨だ。この一ヶ月間散々やって来たあれだ。その構造を探るように……流れる。


 突如、俺の全身が熱くなった。熱くなるだけじゃない。なんだろ、これ……膨れ上がるような、硬くなるような、不思議な感覚だ。


「流石、アタシのリデル、天才!」


 母は俺をヒシと抱きしめて頬擦りをした。俺が可愛いのは分かるけど……。


「……ちょっと、母さん」


 俺の短い抗議に、母は解放してくれた。


「ああ、すまない。つい母性が溢れ出ちまった。だけど、気付いたみたいだね。魔力が全身を巡るって言っても、その全身が中々イメージ出来ないもんさ。みんな普段自分の体の構造がどうで骨がどこにあって、それがどうやって手足を動かしているなんて、意識したことないからね」


 それで立つ歩くをひたすらやらされたんだ。非合理だと思っていた修行が、実はとんでもなく合理的だった。少年マンガによくある修行展開みたいだ。 


「だけど、その歳で魔力を練れるようになるのは、親バカ除いても、本当に天才だと思うよ。ヒト族だろうがオニ族だろうが、出来ない者は一生出来ないからね。しかし、その魔力……」


 母が打って変わって、俺を射抜くような眼差しで見た。


「ど、どうしたの、母さん……」


 きっとこれは闇神の影響を疑っている。俺は心の中で闇神へ呼びかけてみた。


(疑われて当然だろう。しかし、魔力の強さは魂の強さに起因する。この魂、俺とお前が合一されているのだ。魔力も凄まじいぞ。宇宙の深淵と呼べるほどにな。今のお前の体なら、間違えなく崩壊する)


 俺は声を上げそうになるのを、口を押さえて堪えた。闇神のハッタリじゃない。こいつの声と共に俺の魂からなのか、力のイメージが脳へ入り込んで来たからだ。魔力を練ることを覚えた今だから分かる。果ての見えない星如きの力の塊へ立たされている。そんなイメージだ。震える。


(……どうしよう? 今世はもっと生きたいんだけど……)


(崩壊しない程度に、魔力は俺が抑えている。だが、お前の意志や感情でこれは簡単に暴走する。そうならぬよう、もっと学び鍛えることだ、武蔵)


(……はい)


 闇神に叱咤されちゃった。だけど、これは俄然本気で鍛錬しなくてはならない。まだ死にたくないし。


「これは早くに魔力の扱いを教えて正解だったね……。よし、リデル。これから魔技を教えるよ」


 母がパチンと一つ柏手を打った。それによって自らにも気合を入れているようにも見えた。


「ど、どんな技?」


「最も基本的な魔技さ。だけど、戦いではこれの練度だけで勝敗が決するくらい重要な技さ。見てな」


 母ライカが大きく息をする。途端にその体から凄まじい魔力が立ち昇った。何千年も生きた大樹。それを連想した。


魔装まそう無式むしき


 そんな技名と共に、母の体表へ魔力が薄く張り付いていった。


「リデル、ちょっとそこの石ころを投げてみな」


 母が地面へ転がる拳大の石を指差した。つい先日までの俺だったら拒否してただろう。でも、分かる。母にはこんなもの効かない。ただ、確かめたい。この技の凄さを。


 これぐらいしないと。俺は石を爪先で弾いて空中へ浮かせると、後ろ回し蹴りでそれを放った。


 石が飛ぶ。そこへ空を裂く音が、尾鰭のように付き従った。


「ふふっ」


 母が短く笑った。その眉間へ石が衝突する。破裂音が正しかった。パンッて音だ。石が粉々に砕け散る。顔に掠り傷一つついていない。それどころか、衝撃はあったはずなのに、母は一ミリも動かなかった。


「……すごい」


「だろ? 魔装を使えば生身でも剣の刃を受け止められる。更には……」


 母が大股で踏み締め、大地へ拳を放った。轟音と土柱と共に、深さ三メートルばかりの穴が穿たれた。


「あら? ちょっと強くやり過ぎたね。後で埋め直すのが大変だ。レオナルドに文句言われちまう。って感じで、攻撃にも使える。高位を目指す戦士には必須の魔技だね」


 俺は口を開けてそれを見ていたことに気付いた。防御も攻撃も高める技。魔力の鎧を纏っているって考えればいいのか。


「えっと、無式って言ってたけど、無属性のこと?」


「そう。器用な奴は、属性を付与したりもする。まあ、それには魔法の法理の知識も必要になるから複雑化もするね。でも、アタシらオニ族にはこれがあるからね。……雷式らいしき


 母が纏っていた魔装へ稲妻が奔った。いや、稲妻を纏っている。凄い。これだけで周囲の空気が震えている。バチバチと熱も伝わってくる。これと対峙する敵も嫌だろうな。ド派手な威圧感がある。


「無式と、この雷式さえ覚えれば問題ない。ぶっちゃけ、アタシはこの二つしか使わないし、使えない」


 それでも七つ星の冒険者になれたんだ。出来るもの、得意なものを伸ばせってことか。


 母は溜息のように大きく息を吐いた。纏っていた魔装が消えていく。よかった。雷式はド派手だけど、目には優しくなかったから。


「そんじゃ、リデルも実際やってみようか。まずは練った魔力が外へ流れ出すイメージをしてみな」


 俺は魔力を練り、さっき母ライカがやっていたことを思い出した。確か、大きく息をしていた。あれが、魔力が外へ流れ出すイメージと繋がっているかもしれない。


 眼を閉じて大きく息をした。確かにイメージしやすい。俺の魔力が体の外へ出て行くのが分かった。だけど、なんだろう? 周囲の空間が軋んでいるような気がする。


 ゆっくり眼を開けると、俺を包んで巨大な魔力な柱が天へ立ち昇っていた。やばいやばい! 流れ出すってイメージだけでこれか!


「……凄まじいね。だけどリデル、それだと体がもたないよ。もう少し抑えるイメージだ。あんたの場合なら、魔力が染み出すぐらいで丁度いい」


 母が努めて冷静に言ってくれたようだった。


「……染み出すか」


 俺は再び眼を閉じてイメージした。染み出す。染み出すには、息をもっとゆっくり吐けばいいのか。で、ジワリと股間から……おしっこが漏れて……って違う違う。俺はもう赤ん坊じゃない。お漏らしは卒業したんだ。頭の奥底で笑い声が聞こえた気がした。闇神か。染み出すって聞くと、漏らしていたことを思い出してしまう。ついこの間まで悩まされてたから……。


 なんて思っていると、空間の軋みが消えた気がした。うっすら眼を開けると。俺から天へ立ち昇っていた魔力が、小さく身体を覆う程度になっていた。お漏らしのイメージ……凄い。


「……天才、流石アタシの子……。いかんいかん。親バカ封印。クゥ~、でも天才過ぎるぅ」


 ライカさん、悶えてる。


「えっと、母さん。このくらいでいい?」


「あ、ああ。充分さ。実は、もうその状態でも多少は防御と攻撃は上がっている。でも、煙みたいにムラが多いのさ。だから、魔力を密にして鎧みたいに纏わせる。それが魔装さ」


「密にするか……ギュッと押し固めるみたいなイメージ?」


「そうだね。あと、一つ言い忘れてたよ。魔力は自分の身体の一部なのさ。その認識だけで魔力コントロールの質が上がるよ。やってごらん」


 俺は母へ深く頷くと、自分から流れ出て包み込んでいる魔力を仰ぎ見た。これが俺の身体の一部か。なら、出来そうな気がする。これをギュッと固めて纏わせる。それのイメージだけで魔力の密度が濃くなり、それと共に縮んでいくのが分かった。でも、なんか、遅い。


 俺の頭に閃くものがあった。そして、それは古今東西のヒーロー達の言動を正当化するものである。それは……


「魔装・無式」


 俺は技名を声に出した。そう、これだ。何かスイッチが入ったみたいだ。イメージが形になる。俺は魔力の鎧を纏っていた。だけど、母さんのものに比べると、厚い。


「うんうんうんうん。ああ、リデル、お前って子は……」


 ライカさんが感極まって、空を見上げている。でも、母は毎度これをやるつもりなのだろうか? まあ、この人の個性だからな。


「母さんみたいに薄くならないんだけど、これでいいの? なんか分厚い服を着ているみたいで手足を動かしにくい」


 俺は突きや蹴りを放ってみた。空気がブンブン鳴って重く威力が上がったのは分かるけど、重い分遅い。


「魔装の弱点の一つは、魔力を高密にする分素早さが落ちるってことさ。だけど、練度を高めれば高密に保ちつつ、滑らかさと柔軟さも持たせることが出来るようになるさ。そうすれば、素早さを犠牲にしないで済む。分厚さもそれに伴って解消されるさ」


 母はサラリと言ったけど、それってとんでもなく難しい。まず、そのイメージが湧かない。今の俺は魔装を維持しつつ手足を動かすだけで精一杯だ。更に、より高密ってことは、魔力操作も高めなければならないし、滑らかさと柔軟さってことは、魔力の質を変えるなんてことも覚えなくちゃいけない。そんなこと出来るのか? 


「まあ、リデルは天才だし、探究心も強いからね。そう時間もかからないさ。今は魔装を息を吐くみたいに出せるようになることを、目標にするんだ」


「うん……あの、母さん、雷式は?」


 最初から欲張りなこと言ってるって分かってる。でも、あのド派手なのを早く覚えたい。


「オニ族の子は、みんなそう言うさ。ド派手だからね。安心しな。雷を操るのは、アタシらの生来の能力だ。魔力を練れるようになったら、教えなくても自然と出来るようになるよ」


 母がニカッと笑った。お前の考えてることは分かってるよって感じで。


「よし、今日は魔力も使ったし、鍛錬はこれで終わり! 帰って肉食うよ。ジャイアントボアのいい肉をレオナルドに貰ったんだ。こんがり焼いて、とって置きのブルーペッパーをふって齧りつくのさ。今日は贅沢するよ!」


 母さん、俺の成長を喜んでくれている。大きな笑顔だ。前世の母親からこんな笑顔見たことなかったな。身体が弱かった俺見ると、悲しい顔するばかりだったから。


 今世の母は、俺を見てもっと喜んでもらいたい。そんな想いがジワリと湧き上がった。

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