スキーと京都の思い出
山川タロー
第1話
スキーを始めたのは二十代後半、会社に入っておよそ五、六年が経っていた。車の免許を取得し中古車を購入、行動範囲が広がった。
最初に行ったのが水上スキー場で関越自動車道からすぐの所にあった。だがスキー場はオープン前で、スキー場ではコーチ達が集団で練習をしていた。その中に女性が一人混じっていた。その女性が私をかまってくれた。板を付け準備を終えて女性の前に立った。女性が「板を上げて」と言うので右の板を上げると、なんとそこに板の保証書が張り付いていたのだ。女性曰く「まっさらですね」スキー板は降ろしたてだったのだ。なにェえせスキーは生まれてこのかた初めてだったので、雪の上に立っているのがやっとであった。それでも歩き方を教えてもらいもたもた歩いていると女性が後ろからおしりを押してくれた。なんとも妙な気がした。
雪の中、車で帰ろうとしたらチェーンが外れて雪の中に埋まってしまった。タイヤは空回りするばかりであった。しかたなくチェーンを雪の中から掘り出し、再びタイヤに装着してなんとか帰ることができた。
夏場はなんでもない山道も冬場は一変危険な山道と化す。下手をすると滑り落ち山道からはずれてしまう。高速道路でもそうである。ある時高速道路が雪のため渋滞し路肩から本線に滑って入れないのである。後ろの車に場所を開けてもらい何とか入ることができた。
雪山はすばらしい。雪山の景色を見ていると心が洗われるようだ。この世にこんな素晴らしい所があるのかと感動すら覚える。しかしながらもう随分と雪山に行っていない。もう二度度行くことはないのかもしれない。
前述の女性が夏(五月~六月)山形の月山でスキーをするというので五月の連休、月山に行った。それから週末に月山に何度か行った。こちらはロープウエーが本当にロープだけで、ロープにつかまりながら登のである。金曜日の夜会社が終わってから山形に車で向かう。そして土曜日の朝月山に着く。途中休憩しながらパーキングエリアで仮眠を取るのだが眠れない。興奮しているのだろう。そして運転を続けるのだが今度は睡魔が襲ってくる。何度も危ない思いをしながらなんとか現地に到着する。そして日曜日の午後帰って来るのである。そんな生活をしていたら転勤を命じられた。
京都に平成元年四月に転勤した。会社の独身寮に二年六カ月いた。
会社の独身寮にいた時の思い出は京都の夏の暑さだ。独身寮の冷房は夜の十一時に切れてしまい夏の熱帯夜が始まる。その時一年で最も暑いのが七月二十日頃であることを経験的に学んだ。あまりに暑いので部屋を出て一階のロビーで寝ころび、涼しさを求めてはいつくばった。
あついと言えば当時は五山の送り火の山に登ることができ、大の字に登ったが、これもかなり火の近くまで行ったものだからものすごい熱さであった。
京都の町は狭い。端から端までタクシーで夜中なら十分もあれば行くことができる。その京都の人は先斗町を町と呼ぶ。太秦にいるとこれから町に行こうと言う。東京の感覚だとここも町じゃないかと思うのだが、京都の人はそうじゃない。先斗町が町なのである。
京都の寿司はネタが大きい。シャリの倍はあるだろう。
京都は食べ物がおいしい。俗に関西は薄味とよく言うが、それは関東人の感覚である。薄味ではない。おいしいのである。
京都に住んでいる人が滋賀県に引っ越してショックだと言う。なぜかと聞いてみたところ、例えで話してくれた。東京に住んでいる人が埼玉に引っ越すようなものですよと。私は以前東京から埼玉に引っ越したことがあったが、特にショックではなかった。京都の人が江の島を知らなかった時、私はショックだった。
京都の人は大文字焼きとは言わない。五山の送り火という。山が五つあり、お盆であの世に帰る御霊をお見送りするという意味からきている。関東の人は大の字の山だけだと思っている。そうでなければ大文字焼きとは言わない。京都の人に大文字焼機と言うと、鯛焼きと間違えられる。
スキーと京都の思い出 山川タロー @okochiyuko
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