04-42 血ヘドに塗れて その②
*
部屋の土砂が光った。次の瞬間にはすべての土砂が消えてなくなっていた。侵入者が土砂を除去したのだ。と考えながら、〈血反吐男爵〉は部屋の様子を伺った。光が戻った部屋の天井や壁や床、そのほとんどに圧殺された仲間の血がべっとりとこびりついており、赤黒く染まっている。現在血液と同化している〈血反吐男爵〉が身を隠すには好都合だった。
〈血液同化〉発動中の〈血反吐男爵〉の姿は、さながら動く血だまりだった。〈血液同化〉中はあまり早く動くことはできないし、強制的に【水】属性になってしまう。その代わり壁や天井に張りついたまま移動することができる。ふよふよと壁を這い上がり天井に張りつき、隣の部屋につづくドアの真上に陣取った〈血反吐男爵〉は、ドアが開く瞬間を今か今かと待ちわびる。
来い……!
ピンチのあとにチャンスあり。大技の後には必ず隙が生まれ、勝利の後には必ず油断が生まれる。
断言しよう。
侵入者は油断している。警戒している敵をうちとるのは難しいが、油断している敵を殺すのはたやすい。殺された12体の犠牲がこのチャンスをもたらした。
逃してたまるか。この部屋に入った瞬間、〈血反吐スペシャル〉を喰らわせてやる。耳や鼻や口から入りこんで脳みそぐちゃぐちゃにかき回してやる。準備は万端。真上という死角、不足しているスピードも重力で補うことができる。加えて二重三重の策も巡らせてある。この部屋が貴様らの墓場だ……!
って殺しちゃあダメだったか。訂正。脳みそは止めて内臓にしてやろう。
まあ、それでも死ぬかも知れんが。
そのときだった。
「……もうっバカぁ」
女の声がした。なんだ? この緊張感のない声は――やっぱり油断してやがるな……!
と思った瞬間にドアノブが回る。
来る……! そしてドアが開き、侵入者の1人が部屋に足を踏み入れた。金色の長い髪をなびかせ、るんるんと散歩でもするような足取りだ。――女だ。と思った瞬間には〈血反吐男爵〉は天井から落下していた。
女を殺せるなんて、今日はツイてる……!
油断している敵の真上。死角からの攻撃――その奇襲は完璧だった。はずだった。
96階層の床から天井までの高さは5メートル。ミノタウロスなど中型の魔物の居住性を考慮し、やや高めに設定されている。そのため侵入者に到達するまでに0.8秒ほどの時間がかかってしまうのだ。それなりのスピードがある魔物ならば十分躱せる時間である。〈血反吐男爵〉の接近にまったく気がつく様子の無かった侵入者だが、侵入者の頭まであと1メートル――時間にしてあと0.13秒というところで、侵入者の女が思い出したように顔を上げた。目が合った……気がした。美しい青い瞳の少女だった。
気が付かれた!?
と、〈血反吐男爵〉はわずかに動揺したが、ここまできたら技を中断するわけにもいかない。それに、気がつかれた所でこの距離ではどうしようもないはずだ。事実、少女は落ちてくる〈血反吐男爵〉に対して何もできなかった。逃げることも叫ぶこともできずに、あんぐりと口を開けてただ突っ立っていた。
驚かせやがって……!
「ダンジョンでは一瞬の油断が命取り……! ぶちまけなッ! 血反吐スペシャルッ!」
侵入者の顔面上に到達した〈血反吐男爵〉は、その大きく開いた口腔内から体内に侵入した……かったのだができなかった。
「あれ」
侵入者の顔があったはずの空間には、何もなかったからだ。
「残像です。惜しかったですね」
床に落下する寸前に囁かれた声に〈血反吐男爵〉は戦慄した。そのまま床の上に叩きつけられた彼の体は、ばしゃんと赤い飛沫を飛び散らせた。次の瞬間、彼の体は炎に包まれ、水属性の体と炎が属性反発作用を起こし、消滅した。
*
液体化の方だったか。 というのがステラの抱いた感想だった。ヘルメスの土砂攻撃から逃れる者があるとすれば、ゾンビやスケルトンといった不死の魔物か、ヴォイスゴーストのような壁をすり抜ける能力を持った魔物、あるいは先ほど倒した〈血反吐男爵〉のような液体化能力を持った魔物だろう。と当たりをつけていたので、ステラは〈血反吐男爵 〉の奇襲にも対応することができた。
奇襲を誘い出すために、「もうっバカぁ」なんて甘ったるい声をだして油断しているフリをしたのだ。思惑通り、〈血反吐男爵〉が奇襲を仕掛けてくれたおかげで、恥のかき損にならずにすんだ。バカ正直に奇襲してくれてどうもありがとうございましたと、感謝したいくらいだった。
もっとも全てが思惑通りだったわけではない。ステラは天井からの奇襲は想定していなかった。そのせいで少し反応が遅れたので、それについては反省しなければならない。が、しかし反応が遅れたおかげで〈血反吐男爵〉を【残像術】でギリギリまで引きつけ炎属性魔術攻撃を仕掛ける作戦が上手くいったのだから、差し引きゼロといったところだろうか。
【残像術】を実戦で試せたことも大きな収穫だ。メイが使っていた技を【天武の才】で覚えたのだが、なかなか使えるスキルだ。うまくハマれば大技を空振りさせ、カウンターを狙うことができる。先ほどの戦闘でなんとなくコツはつかめた気がする。もう2、3回試せば完璧にモノに出来そうだ。
などと考えながら、ステラは壁にこびりついた血のシミに右の掌を向けた。生き残った〈血反吐男爵〉は1体だけではなかった、ということだ。壁のシミに擬態しながら奇襲をしかけるタイミングを測っているのだろうが、バレバレだ。〈ステータスチェッカー〉は、あらゆる擬態を見破ることができるからだ。
マヌケ野郎は死んでしまえ。
掌に魔力を一気に集中させて、思い切り放出した。おばあちゃん仕込みの【魔弾】が、一直線に飛んで行き、壁に衝突した。それと同時に小規模な爆発が起こる。ボンという音と同時に巻き起こった爆風がステラの肌を撫でていった。
*
「ちィ」
2体目の〈血反吐男爵〉は舌打ちをした。【液体同化】を解除するのが精一杯だった。侵入者の魔弾を躱すことはできなかった。炎の魔弾が左肩に直撃し、その爆発が肩から下を吹き飛ばした。血飛沫をまき散らしながらちぎれ飛んで行く左腕を一瞥(いちべつ)した。くそッたれェと内心で毒づいた直後、負傷した肩に激痛が走る。思わず顔をしかめた一瞬に、侵入者が追撃の魔弾を放っていた。 炎、炎、炎、炎。速射された魔弾の群れは目の前にまで迫っていた。一発一発の破壊力は弱めだ。しかし放射状に広がる弾道で放たれたそれは、極めて避けづらい。ほんのりだが弾幕が薄くなっているところもある、躱すのならその方向へ跳ぶしかないが、おそらくそれは自分をその方向へ誘導するための罠だ。もしその方向へ跳んだら、侵入者は直後に『本命の一撃』を放ってくるだろう。その餌食になるのはごめんだ。
〈血反吐男爵〉は、侵入者の魔弾をあえて『受ける』ことにした。といっても、ただでは受けない。【火】属性に属性変化(エレメントチェンジ)した上で受ける。これが上手くいけば、無傷で切り抜けられるばかりか、同属性吸収作用(エレメントアブソーバー)によって、体力を回復させることもできるはずだ。問題は属性変化が間に合うかどうか、だが。 直後に、〈血反吐男爵〉の体に炎の魔弾が殺到した。ポンポンポン、と小さな爆発が連続して起こり、〈血反吐男爵〉の全身が炎に包まれる。が、その炎は立ちどころに消えた。
間に合った。同属性吸収作用で体力も回復。ちぎれた腕は元には戻らないが、出血と痛みは治まっている。これならいける、動ける。武術による接近戦は分が悪いが、黒魔術による中距離戦闘ならなんとかなる……はずだ。
なぜ、黒魔術戦闘の基本である『順回し』、『逆回し』を行わない?
『あえてしない』のか、それとも『できない』のか。どっちだ。
2体目の〈血反吐男爵〉は【火】属性の体を【風】属性に変化させた。【火】→【風】→【水】→【土】の順番回しは得意だ。実体化しているときの〈血反吐男爵〉は、どちらかというと武術より魔術の方が得意な魔物なのだ。
対して、侵入者の女はどうか。自分の
2体目の〈血反吐男爵〉は掌から風属性の魔弾を、女の足元に向けて放った。風属性の魔弾は、基本的に殺傷能力が低い。空気を操作し真空の刃を発生させる魔術だが、魔力効率が悪く命中してもせいぜい肌に傷をつけるだけだ。熟練の魔術師ならば、風を真空の刃にして切り刻んだり遠くへ吹き飛ばしたりできるが、あいにく〈血反吐男爵〉はそこまでのレベルには達していない。
とはいえ風属性の魔術は火力の低さを補ってあまりある特性も備えている。まず攻撃範囲が広いということ、つぎに攻撃速度が迅いということ、そして視認が困難だということ――つまり避けにくいのだ。威力は低いが隙をつくるのには適している属性なのだ。
案の定、侵入者の女は風の魔弾を避けることが出来なかった。足元から強烈な風が吹き上げ、女のスカートがめくれ上がった。「きゃあっ」と可愛らしい悲鳴があがり、女がばっと片手でスカートを抑えた。――それは致命的な隙だった。 瞬時に【水】に属性変化した〈血反吐男爵〉は、間髪入れずに【水】属性の魔弾を発射――もし女が【火】属性のままであればその魔弾は属性反発作用を引き起こし、女の命を奪う――そのはずだった。
「なんだと」
ところが〈血反吐男爵〉は身動きできなかった。スカートがめくれ上がった一瞬に見えた光景にくぎ付けになってしまっていたからだ。男の悲しい性であった。普段なら、戦闘中であれば、相手が女だろうが心を乱されることはなかったのに、フリーズしてしまったのは、侵入者の女の美しさが尋常ではなかったからだろう。
美しさもあれほどのレベルになれば、もはや凶器だ。 我に返ったときには、女が床を蹴っていた。伏せるくらいに身を屈め、刀の柄に手を掛けたまま、地面すれすれを滑空するように迫ってくる。
接近戦は、まずいな。というか、片腕だし、丸腰だし。
無理。
の二文字が脳裏に浮かぶ。が何もしないわけにはいかない。2体目の〈血反吐男爵〉は、とりあえずカウンターをあわせるべく右腕を振りかぶったが、それは有効な手段とは言い難かった。
力任せに突き出した〈血反吐男爵〉の右腕と、侵入者の斬撃が交差する。
しゃりん。
鍔鳴りと共に刀が鞘に収まったのと、〈血反吐男爵〉の右腕が床に落ちたのは同時だった。
「ふう。ちょっと危なかったかなぁ……おかげで
勝利を確信した侵入者の女が刀の柄に手を掛けたまま、つかつかと歩み寄って来る。実際両腕を失った2体目の〈血反吐男爵〉には、もはや成す術はなかった。魔術勝負に持ち込みさえすれば、勝算はあったはずなのに……と後悔したが、後の祭というやつだった。こうなってしまっては大人しく殺されるしかない。とはいえ、ただで殺されるのも
「見事だな。しかし小娘、自分の力で勝ったのではないぞ! その美貌のおかげだということを忘れるな! まさか履い」
女がにっこりと笑って凄まじい殺気を発した。(あとは頼んだ)と心中に呟いたのと同時に、しゃりんと鍔鳴りがした。
「キモい」
〈血反吐男爵〉の全身から血飛沫が上がり、首から上が体から斬り飛ばされた。床に転げ落ちた彼の表情は、満足気であった。
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