04-40 おてあげ




 でかい口なんて叩くもんじゃない。


『結界さえ突破できれば、ヘルメスさんたちの救出は可能です。そして僕にはそれができる』


 と豪語したブラックハットだったが、実際にやってみるとこれが上手くいかないのだった。


 ブラックハットは焦っていた。転移魔法陣の部屋に籠り、空間転移を阻む結界を破るべく、端末(デバイス)とのにらめっこを開始してすでに1時間が経過していたが、シャニ・ヴァージが張った結界は想像以上に堅かった。


 ブラックハットは持ちうるすべての知識と技術を駆使して結界の突破を試みた。しかしそれはできなかった。ブラックハットが突破を試みれば、相手もそれに対応して転移結界のセキュリティを強化する。転移結界をめぐる攻防はいたちごっこの様相を呈していた。


 これほど手間取る相手には長いキャリアの中でもお目にかかったことがなかった。元は部下だったシャニ・ヴァージの転移回線技術がこれほどまでに進化しているとは。技術者として才能の全盛期ピークに達したらしいシャニと、全盛期を過ぎて衰える一方の自分の間に存在する、いかんともしがたい技術力の差に心が折れかけたブラックハットは、気を紛らわせるべく端末デバイスにくぎ付けにしていた視線を上げた。目の前に置かれた椅子の上で足組みをし、あくびを噛み殺している眼帯の少女――メイと目が合った。


『作戦責任者は、状況をより速く正確に把握する義務があるの。だからあたくしはあなたの傍にいさせていただくわ』


 指令室でブラックハットがダンジョンの陥ってしまった状況を説明した。それ以来、メイはブラックハットに張りついている。言ってしまえば彼女は監視役で、ブラックハットがちゃんと仕事をしているか、また不穏な動きをしていないかを見張っているのだった。可愛らしい外見とは裏腹の鋭い視線に睨まれながらの作業は正直やりにくかったが、彼女の監視をあまんじて受け入れたのは、自分の作った直接転移回線ホットラインが今の状況を招いのだという後ろめたさがあるからだった。


「どうなの調子は?」


 目が合った一瞬に投げかけられた問いに、ブラックハットは首を横に振って肩をすくめた。明らかな『お手上げ』のジェスチャアにメイは「そう……」 と、失望混じりの短い返事をし深いため息を吐いた。皮肉屋で口の悪いメイのことだ、例え無能と罵られても文句は言うまいと覚悟していたブラックハットだったが、予想に反してメイはそれ以上何も言わなかった。ブラックハットはそっけない彼女の反応に拍子抜けをしたが、直後にそれが彼女なりの気遣いなのだと気が付き、慌てて端末デバイスに視線を戻した。


 ダンジョンマスターが敵地で孤立、イエカエルで戻ろうにもこちらから助けに行こうにも『結界』がそれを阻む……という現在の絶望的な状況を打開するには、兎にも角にもシャニの結界の解除が不可欠で、それができるのは転送回線ネットワーク技術者であるブラックハットだけなのだった。


 となればもはや、このダンジョンの命運はブラックハットの腕にかかっていると言っても過言ではない。口うるさいメイが文句も言わずにただブラックハットを見守ってくれているのは、ブラックハットの邪魔をしないように、との彼女なりの気づかいだ。


 このダンジョンに生きるすべての魔物たちの期待が自分の身に圧し掛かっている。そう自覚した瞬間その重さに潰されそうな錯覚がブラックハットを襲った。しかしそれでも踏ん張らなくてはならない。


 逃げるな、それが責任を果たすということだ。


 と自分に言い聞かせたブラックハットは、目を見開いて、端末デバイスに表示されている壁――シャニの転移結界を睨みつけた。


「ふうむ……」


 あらゆる空間転移を弾き返すシャニの結界。相変わらずの強固さで立ちはだかる壁と対峙したブラックハットはどうにか相手を出し抜けないか、頭をフル回転させていく。しかしアイデアは浮かばない。


 まったく、でかい口なんて叩くもんじゃない。ブラックハットは苦々しさに口元を歪めた。








 未だ進行を続ける2名の侵入者たちの行く手を阻むべく、67お仕置き部屋には15体の魔物が集結している。侵入者はドア1つ隔てた部屋にいる。戦闘の火ぶたが切って落とされる瞬間が近いのを感じ取った15体の魔物たちの表情に緊張が走っている。


 水晶玉に映った彼らの様子を眺めながら、バアルは酒を飲んでいた。侵入者の手によって96階層の魔物が――それも莫大なポイントをつぎ込んで育成した強者が5体も葬られているというのに、バアルは何の対策も打たない。『殺さず捕らえよ』と指示したきりで、あとは96階層の魔物たちの好きにさせているのだった。それをもどかしく思ったヴォイスゴーストは、主人の心中を知るべく声をかけた。


「バアル様」


「なんだい」


 と応じたバアルの口調には当事者の焦燥というものがまったく感じられなかった。あくまでバアルは傍観者で、自分の部下が死ぬ様子を肴に酒を飲んでいるのである。


「その……我々は何の対策もしなくてよいのでしょうか。侵入者たちの戦闘能力は思っていたよりも高い。ただ眺めているだけでは同胞に無駄な血を流させることになるのではないでしょうか」


 出来るだけ言葉を選んだつもりだがやはり辛辣な口調になってしまった。バアルは気分を害したのか不愉快そうな顔になり黙ってグラスの酒を飲みほした。


「君は僕にもっと働けと、そう言いたいわけだ」


 事実だったので黙っていると、バアルは口元を僅かに歪めた。


「ひどい言いようだね。まるで僕が働いてないみたいじゃないか。いいかい。ダンジョンマスターの仕事は戦術指揮をすることじゃあない。戦略を立てシステムを構築するまでが僕の仕事で、現場のことは現場の判断に任せてある。わざわざ僕が口出しをする必要はない」


 やはり。この人にとって部下の生死は他人事なのだ。改めて認識した途端、頭に血が昇るのを感じたヴォイスゴーストは、怒りに任せて大声をあげた。


「現場の判断が間違っていてもですか!? 96階層の魔物たちは1つの部屋に戦力を集中させていますが、あれでは……!」


 先の戦いでダンジョンマスターが見せた土砂による攻撃、あれは脅威だ。ひとたび発動すれば巨大な体積と重量が、強者も特殊能力者もお構いなしでで押しつぶす。防ぐ術も逃げ場も与えず圧殺する。そんな技を前に1部屋に戦力を集中させたりするのは愚の骨頂で、それこそ一網打尽にされてしまう。


 このような場合は戦力はできるだけ分散させ、被害を最小限にしながら戦うのが上策なのだ。


 と進言したのだが、しかしバアルはそんなことはとっくにお見通しだった。


「君の言うとおり、あのままでは全員死ぬだろうね」


 言い終わるとバアルは「承認」と唱えた。空中に現れた光の球が、空になったグラスに新たな酒を注いでいく。


「しかし、僕は口を出す気はない」


「彼らを見殺しにするのですか」


 バアルは酒を一口あおり、目をつぶった。


「言っただろう、現場の事は現場の判断に任せている。その結果彼らが死ぬことになろうと、僕の知ったことではないんだよ」


「バアル様の人でなし!」


 主人のあまりに無責任な発言に怒り、ついつい暴言を吐いてしまっていた。ポイントに還元されてもおかしくない、とヴォイスゴーストは覚悟したが、バアルはくつくつと笑うだけで何もしない。


「褒め言葉だ」


 ヴォイスゴーストは呆れて物も言えなかった。


「まあ君が心配をする気持ちはわかるよ。しかし焦る必要はまったくない。こんな状況は想定内さ」


 本当かいな。ヴォイスゴーストは怜悧な視線を主人に向けていた。バアルはグラスの酒を飲み干し、すさまじく大きなゲップをした。

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